ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

還暦過ぎ頃の九州旅行18

2018年07月11日 21時19分51秒 | 最近の出来事

九州旅行も最終日を迎えています。
じつは先日、大阪梅雨明けの
翌日に大阪の柏原の方を歩いてきました。
きれいな青空と夏の雲が
気持ちのいい散歩でしたねえ。
今年も楽しい夏にしないとねえ。

では九州もあと3話
読んでくださいね~

ーーーーーーー

知覧の特攻平和会館は、
鹿児島県南九州市知覧町郡
(旧川辺郡知覧町)にある、
第二次世界大戦末期に編成された
大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する
資料を展示する施設です。

運営は南九州市。

知覧、頴娃、川辺の町が
2007年に合併して市となったところだ。

特攻に関して、写真、遺書などの遺構が
5000点くらい展示されている。
でもねえ実際に相手の船に飛び込んで
大きな被害を与えた特攻機は
少なかったといいます。
もうアメリカ軍の飛行機なんかが
高性能で飛んでいた時代だ。
船にたどりつく前に撃墜されていただろう。

それにしても、国のため、家族のためにと
特攻に向かう人々の想いは壮絶で、
それを展示したこの施設は
すごいオーラをはなっている。



そして目的は、彼らの想いを
胸に刻みながら、やはり平和を
願うための施設なんだそうだ。

展示されている遺書は、
家族への愛に満ち、
自分の決意を完璧にたたえている。

みんな幸せになるように。

そんな言葉の反乱がもうまるで
私らの心をかき回すように
あふれている。

もし今の世の中で戦争があったら、
そんな風には絶対ならんやろなあ。
まあ今はボタン一つの時代やもんなあ。
やはり教育があんな風に人間を
変えていくんやろかねえ。

ここにきている小中学校の子どもたちは
これらの物を見てどんな風に考えただろうか。

まるでゲームの1シーンのように
とらえてはいないだろうか。

きっと実のある施設見学で
あってほしいものだ。

そうそうここでもゼロ戦が置かれてあったなあ。

ここは撮影可能ですから
撮っておきました。



一世を風靡したゼロ戦も終戦前には
アメリカ軍機の前ではおもちゃみたいな
存在だったんでしょうねえ。

ほかの展示物はすべて撮影不可です。
旅立つ前の戦士たちの姿の写真なんかは、
もういまなら涙なしでは
シャッターを押せないような
素晴らしいもので、それらを
紹介したかったけど無理ですねえ。

みなさんできれば一度はこの施設に
行かれるのはいいんじゃないかと思いますよ。

この平和会館の開館は1985年。
なので高校の頃に旅行に来た頃には
存在していなかったんですねえ。

あの頃で終戦後まだたった40年。
戦争なんてずっと昔のことだと
思っていたけど、意外にそれほど
遠い世界の事じゃなかったんやなあ
と思ったりする今日この頃です。

このあとミュージアム知覧も
共通券でのぞきましたが、
ありふれた過去の展示物はもういいです。



これよりもっと平和会館の充実に、
お金を使った方が
よかったかもしれませんね。

首Dさんおすすめの場所は
とてもすごいところでした。

さあ、ではこの辺でそろそろお昼です。

小中学生は周りの広大に広がっている
公園の中でお弁当を食べたり
しているようです。

では私らも知覧の食堂にでも
入っていきましょう。



この時はもう和食尽くしの毎日ですから、
ちょっと変わったものをと思い
カツカレーをいただきました。



カツカレー、かつ丼、とんかつなんかが
定食になっていましたね。

ここを訪れた元気なおっさんたちが、
勝カレーやあ、勝丼やあ、
とん勝やあとか言って
熱狂的に食べたりするんでしょうかねえ。

はあ、まあそんなことはないでしょうねえ。

さあ、今日が旅行の最終日。
まだ行こうと思っているところはありますよ。
次は鹿児島の西の海岸線、
吹上浜の方に車を転がしていきましょう。



南国になると、車で走っていて
やはりね~と思うのが、
道の植え込みにヤシの木みたいな
植え込みの多いことです。

途中で道の駅に寄りました。



ここでも「コノハナサクヤひめ」は
重要な役割をしているようです。

「桜島」の名前の由来になった
というのもうなづける話ですね~。

続く