今度は奈良県に歩きに行きました。
行った先は「五條市」。
かつて吉野川マラソンなんかにも
よく行ったところですね。
ここには、昔の山手の紀州街道に
残っている昔の家々、
線路を作りかけて
すぐに配線となった
五新線の線路の痕跡などが
残っているそうです。
そもそも、古くより大和と
紀伊を結ぶ交通の要衝として
発達してきた町。
後村上天皇が、吉野を逃れて
南朝の本拠を置いたところでもあり、
そこに江戸になってから
松倉氏が町を築いたのです。
それと五條のことを書くときに、
注意しとかないといけないのが
その漢字です。
JRは駅の名前を「五条」とかきます。
でも市役所なんかは
「五條」と書きますよねえ。
では、どちらが正しいのでしょうか。
と書くとやはり「五條」となりますかね。
昔、市名を決めるときに
国に「五條」と送ったのに、
間違えて「五条」と書かれたそうです。
そのご訂正はされましたが、
むかしから「五条」と
書いてたところなんかの
固有名詞なんかは
そのまま治せないところも
あったそうです。
ではなぜ五條なのかといいますと、
むかしここに「五條代官所」が
あったところから
この名前は来ているそうです。
そんな場所を、今回は
車で訪ねて行って
歩いてみようと
出かけて行ったのでした。
コースはあの鍋谷トンネルを
こえていきます。
これだと昔の五條行に比べて
飛躍的に早くなりますねえ。
すぐに到着します。
今回車を止めたのは、
五條市役所。
ここでさらに資料を手に入れて、
五條の町のブログ宣伝かねての
歩きをすることにしたのです。
だから駐車は許してもらえるでしょう。
で、結局資料は手に入らなかったのですが、
開いてる場所に駐車は
きっちりとさせていただきました。
では、ナビをセットして
歩き始めましょう。
あ、さっそく五條のマンふたです。
市の花が「桔梗」なので
それをあしらっていますねえ。
こんな古いレンガつくりの
倉庫なんかも眺めながら
歩いていたら、すぐに
「本陣」という名のややこしい
交差点にさしかかりました。
車道でいうと五差路で、
歩き道を入れたら
なんと七差路という
まあややこしい交差点です。
信号はかなり考えて
つけられていますねえ。
ここは地下にも通路が
できていますが、
これはまあ目的のところに
出るのはむつかしいかったですねえ。
どの角をどう曲がっていくか
よく考えたうえで
地下道に入っていかなくては
なりません。
外に出てみると、
目標にしていた道標があります。
「左 高野 わかやま 四国 くまの道
右 いせ はせ 大峰山上 よしの道」
とあります。
その狭い露地を入っていきましょう。
住宅街をくねくねと進んでいきますと、
「御霊神社」があり、
その横に古い家があります。
これが「栗山邸」です。
慶弔12年すなわち
1607年の棟札が
残っています。
徳川が瀑布をひらいたころですね。
建築年代がわかる
日本最古の民家といわれています。
ここはまだ個人の民家なので
内部は非公開だそうです。
トイレはどうなっているのかなあ、
お風呂はどうなっているのかなあ、
エアコンは?
アンテナもないのでテレビは
ケーブルかなあなどと
いろいろと連想してしまいますねえ。
重要文化財だから、
あちこちをいじるのも
大変でしょうねえ。
表札を見たら2枚が張られていて、
どちらにも「栗山」氏の
名前が書かれていました。
先祖代々引き続いてきた
お家なんですねえ。
頑張って残しておいて
もらいましょう。
その先にあるのが、
江戸時代からの町屋が並ぶ
昔の風景の見られる
「新町通り」の入り口である
「新町口」の交差点だ。
左側にも古い家がありますが
今日は右側のこの新町通りに
入っていきましょう。
続く