ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

南海の孤島で

2009年04月15日 22時33分20秒 | トライアスロン

今週末、
南の島で日本のトライアスリートたちの
熱き戦いが繰り広げられる。

全日本トライアスロン宮古島大会

日本最古の皆生についで、
琵琶湖アイアンマンなども始まった
日本のトライアスロン元年といわれる
昭和60年に始まり、
今回で25回目の開催となる大会だ。

第1回目の当時、
この大会の様子が
BSで放映されたとき、
日本中のアスリートたちの血が
さぞかし沸騰したに違いない。

当時の車のコマーシャルのコピー
「いつかはクラウンに」
をもじって、
トライアスリートの卵たちは
「いつかは宮古島へ」
の言葉を胸に、
見よう見まねで
この競技に取り組んだものだ。

わしもその一人だった。
疲労困憊でゴールする人々の姿は、
感動を通り越して荘厳な情景で、
今すぐにでも、宮古に行ってみたい。
と思ったね。

「いつかは宮古島へ」と
そのときは思ったものの、
マラソンもチョロッと始めたばかり、
水泳にいたってはまったく泳げなかったので、
当時トライアスロン完走なんて
遠い夢のまた夢だった。

だが、人生何が転機になるかわからない。
わしの場合
トライアスロンに取り組むようになったきっかけは、
意外にも腰の故障だった。

「腰椎分離すべり症」

聞いただけでも
腰が痛くなるような
恐ろしい名前を持つ故障に見舞われた。

要するに背骨を支える腰椎が骨折し、
支えの無くなった背骨が
前に滑ってきて神経に障るというもの。

発症した当時は痛くて
ほとんど走れる状態じゃなかった。
でもじっとしているわけにも行かない。
代わりの運動を、
ということで始めたのが水泳であり、
自転車だったのだ。
やる限りはがんばってみよう
ということで取り組んでいるうちに、
水泳も自転車も
なんとなく目処がついてきた。

故障したおかげで、
夢の夢に一歩近づいたというわけだ。

そして故障から8年、
ショートの大会を地道にこなし、
ようやく宮古トラに出場を果たして、
それを完走したときの喜びは
今も忘れられないし、
夢をかなえた自信は
その後の自分の大きな力にもなっている。

その宮古島大会が今週末に開催される。

今年も、
多くのトライアスリートが南海の孤島に踊るだろう。
Kaisanshimizuクン、浜ちゃん、
楽しんできてくださあい。


それにしても、最近は
トライアスロンは
ひとつの転機に来ているように思う。

草創期から、
多くのスター選手を輩出した
爆発期を経て、
今は円熟期の様相を呈している。
今までと同様の大会運営を
続けていると
この競技も近い将来
滅びていくのではないかという
淡い危機感を感じるのは
わしだけではないはずだ。

究極の鉄人レースにも
そこここに錆が見え始めているというわけだな。

皆生は昨年から
大会の方向性として
エコを打ち出している。
自然を相手の競技だから
当然と言えば
当然のテーマだ。
温暖化や、
オゾン層の破壊による紫外線の増大は
選手にも大きな影響を与えるからね。

宮古島も、毎年
キャッチフレーズを公募するなど
大会の方向性を
いろいろ模索しているようだ。

トライアスロンの未来のあるべき姿を
選手一人一人が、ぼちぼち
考えないといけない時期が
もう来ているのではないかと
しみじみ思っている
今日この頃のdoironだ。