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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

サロマの思い出3

2014年04月13日 21時33分45秒 | マラソン

それでは、前回のサロマ湖完走から
ちょうど10年目に走った
2回目のサロマを振り返ってみましょう。 

第16回 サロマ湖100kmウルトラマラソン
2001年6月24日午前5時スタート

この時は、地元ランニングチームの4人
doironの職場のランニング仲間4人
応援二人
doironを入れて合計11人の
大所帯で北海道に乗り込んだのでありました。

10km52分17秒
 

キロ5分は越えないで行こうと
友達と談笑しながら走り始めた。
天気は晴れ。熱くなりそうな気配まんまん。

20km52分38秒 

一緒に参加したメンバー全員とすれ違う。
前回は4人だったけど今回は8人。
玉砕覚悟のM君とdoironは並走。

30km53分28秒 

同じペースで走っているつもりでも、
1分ずつくらいペースが下がっていく。
ルネのS君と並走。

40km53分08秒 

S君と走りながらこのまま落ちても
キロ6分でいけるやろ、と話していると、
周りのランナーから
「80キロすぎてキロ6分やったらごぼう抜きですよ」
と言われた。そうかなあと思いながらペースを維持。

50km54分23秒 

暑い。エイドとエイドの間に無人でポリバケツの水も
かなり減っているので後続が心配だ。
フルの地点を3時間42分で通過。

60km60分28秒 

あまりの暑さでコーラの自販機でもないかと
キョロキョロ探すも見当たらず。
並走しているS君に「コーラの自販機探しているでしょ」
と図星当てられた。
原野に自販機はさすがにない。
脱水状態になり始める。

70km 64分04秒 

脱水のためついに足が止まった。
S君に先に行っててと声をかけるも
リタイアか?と弱気が心をかすめる。
が、なんとその直後の木陰道で復活。
一時300mほど離れたS君に
70キロ地点で追いついた。

80km 61分23秒 

徐々に調子が上がり始める。
ここからはあと20キロ。
全身の筋肉のまだ動く部分を
前進のために総動員。
キロ6分ペースに戻ってきた。

90km 59分52秒 

原生花園を快調に走った。
前半で聞いたように、
このあたりでキロ6分を維持すると、
たしかに先行の選手をどんどん抜いていく。

100km 60分03秒 

90の折り返し後、職場の仲間2人とすれ違い
声をかけあう。
原生花園を出たところで
玉砕したM君が出迎えてくれた
「あと2キロですよ」
脱水の危機を乗り越え、
念願のサブ10でのゴールだった。
ゴール後はまだまだ走れるなあ
というほど元気を取り戻していた。

結果  9時間30分46秒(ネット)
総合69位 年代別19位



この時の気象条件は、
これまでのサロマの中でも
最高ともいえる暑さだったそうです。
そのため完走率は初めて5割を切ったとのこと。
doironもトライアスロンで暑さになれていたはずなのに、
一時、脱水になってしまいました。
あの70キロ手前の木陰がなかったら
完走できていたかどうかわかりません。

10年という歳月の中で
鍛えられたんやなあと実感しました。

1回目は、少し気温が低い状態で、
ハーフタイツで走りましたが、
2回目はランパンランシャツといったいでたちでした。

行かれる方は、そんな気温差を念頭に
周到な用意をされていくことをおすすめします。

doironはこのあとどんどんエスカレートして
トライアスロンのみならず、
高野山110キロや
萩往還250キロにも挑戦していくことになるのですが、

その話はまたいずれ。


サロマの思い出2

2014年04月12日 21時15分18秒 | マラソン

どうせ何をしても
故障している膝の痛みがなくならないのなら、
このあとレストステーションで休憩できることだし、
走れるうちに走って
貯金を作っておこうとやけっぱちで頑張ってみることにしました。

55km 56分01秒 

54kmのレストステーションで
シャツとパンツと靴下を着替え、
おにぎりを食べてのんびりした。

60km 32分37秒 

スピードを上げたのが良かったのか、
膝の感覚がなくなり、痛みもマヒして軽くなる。
一時、前のランナーが見えなくなるほどまばらになる。

65km 35分21秒 

同じペース、同じ歩幅、同じ姿勢を維持。
ここが正念場と大事に大事に走る。
遠雷の音が聞こえ、小雨ぱらつくも、寒気はなし。

70km 36分25秒 

手は?動いているぞ。
脚は?よしよし動いているぞ。
あと30km、完走の灯がすこしともった。
サロマ湖が左に大きく開ける。天気回復。

75km 38分52秒 

椅子に座ってお汁粉を食べ、
ボランティアの人とホンのひと時の談笑。
背に受けた声援が前へ押してくれているようだった。

80km 36分05秒 

サロマ最大の山場、原生花園に突入。
メンバーとすれ違い、
もう一人はすでに8時間台でゴールしているだろうと聞く。
ゴールという響きがうれしい。

85km 35分49秒
 
コース横の草むらに二匹のキタキツネの子どもを発見。
花も咲き乱れている。
この光景は一生忘れないだろうと思った。

90km 35分54秒 

折り返しでスイカを種ごと食べる。
種を出す力が惜しい。
そして間もなく最後のメンバーとすれ違い、
お互い「全員完走」を確信した。

95km 38分06秒 

辛さを越えて、苦しさを越えて、
喜びの感情がじわじわ顔を見せ始める。
体力はすでにゼロ。
あとは気力と自分に言い聞かせる。

ゴール 39分50秒 

夢にまで見たゴール。
今までで一番長かった一日の終わり。
派手なガッツポーズをしようと思っていたのに、
手はあまり上がらなかった。

結果 11時間44分27秒。
総合396位 種目別351位でした。 

これが完走証



以上が当時書いて残してあった記録からです。
ウルトラの完走のためには
あきらめないことが大切です。
人間の限界は自分が思っているより
ずっと先にあることを肝に銘じて、
走り続ければ必ずや夢はかなうでしょう。

このあとdoironは、
トライアスロンにのめりこんでいき、
10時間を超える大会をいくつも経験した後、
10年後に再びサロマのスタート地点に立ちました。

その時の記録は10kmごとのラップでしたが、
書きためた感想も残っているので
次回はそれを紹介しましょう。


サロマの思い出1

2014年04月11日 20時52分09秒 | マラソン

ランニングをする人にとって
「サロマ湖」といえば100kmマラソン。

1986年に始まったこの大会に、
今まで2回出場をした。
そろそろ3回目をと思っているうちに、
身体を壊し今に至っている。

そんな大会に、今年ジム友が参加をするので
ジムではその話で盛り上がっている。

で、その友達にdoironのその二回の経験を活かして
いろいろとアドバイスをしているうちに、
当時の光景がよみがえってきて、
最近とても懐かしい思いをしているのである。

そういえば、このブログにも
サロマのことはあまり書いていない。

幸い走った当時に記した自分の手記があるので、
それを参考にここに記録しておくことにした。

これからウルトラを目指す人の参考に少しでもなれば幸いです。


第6回 サロマ湖100kmマラソン
1991年7月7日午前5時スタート

この大会に職場の仲間総勢4人で参加した。
大会に出場するにあたって、
練習した最長距離は45キロくらい。

その頃の月間走行距離は200kmぐらいだったと思う。
当時のフルマラソンの自己ベスト記録は
3時間10分13秒でした。

以下は大会での5キロごとのラップと
その時の感想が残っているので記しておく。

 5km 30分29秒

 「気負うでもなくなく、先を争うでもなく淡々とスタート。
朝もやの牧場が幻想的なほど美しい。」

10km 28分46秒

 「横を走っていく応援バスに両手を振って応える。
スピードの誘惑に駆られるが、
完走、完走と自分に言い聞かせキロ6分を維持。」

15km 32分07秒

一緒に参加したメンバーとすれ違う。
トップメンバーは「キロ4分半でもしんどいわ」、
次は「ここから砂利道ですよ」とアドバイスをくれる。
最後のメンバーとは軽く挨拶を交わすだけ。
おたがいに余計な体力は使いたくないと見た。

20km 28分59秒 

五分の一を走り終え、
集団が少しずつばらけはじめる。
いよいよ孤独の旅が始まったぞという感じ。
お楽しみはこれからだ。

25km 30分05秒 

スタートして初めての疲れを感じる。
前を行く女性がしきりに脚にエアーサロンパスを
スプレーするためミストが目に染みた。

30km 30分03秒 

周りを見回すといろんなランナーがいる。
ウォークマン、カメラは当たり前。
中には血圧計を持って測りながら走っている人も、驚いた。

35km 30分56秒

地元の人と並走。
子どもたちが一斗缶をガンガン叩き、
大人は大声で村人総出の応援。
「目指せOO村、初の完走」という声もあり大笑い

40km 33分54秒 

右ひざに痛みが出始める。
意識的にスピードを落としたり、
歩きも入れたりしながら様子を見るも
残り60kmの距離が不安になる。

45km 34分09秒 

フルマラソン通過が4時間22分24秒。
膝がますます痛み始める。
キロ7分を維持しつつ、
歩きも入れストレッチを入念に行うが効果なし。

50km 31分59秒 

ウルトラへの入り口50kmを目指してひた走る。
どうせ何をしても痛みが取れないので、
それならばとリタイア覚悟で力走した。


さて、やけっぱちのスピードアップが
吉と出るか凶と出るか。続きは次回。


名古屋ウィメンズ マラソン編 

2014年03月10日 20時57分00秒 | マラソン

名古屋に行ってきました。
街道歩きではありません。
マラソンです。
といっても走ったわけではありません。
いくら体調が良くても、
ウイメンズマラソンなのでちょっと無理です。

名古屋で女子のフルマラソンが始まって、
ちょうど30回目の大会にあたるのが
先週末に行われた

「名古屋ウイメンズマラソン2014」

「ウイメンズ・・」としては
3回目の開催となるこの大会に
ジム友が出走するので、
名古屋見物も兼ねて
応援団のメンバーに入れていただき
名古屋に行ってきたのです。

前回は、国際大会だったときに
ランニングチームの当時の国際ランナーたまの
応援に行ったのですが、
今はこの大会も
招待選手、エリートランナーに加えて
一般ランナーも参加できる大会になっています。

あの時以来6年ぶりの名古屋でした。

ウイメンズと冠しているだけあって、
完走賞にティファニーのネックレスをいただけるそうです。
ティファニーは名古屋の中央、
栄にデンと店を構えています。

ウイメンズをうかがわせるのは
そんな完走賞ばかりではありません。
もう一つのスポンサーのメナードも
なにやらよくわかりませんが、
お化粧関係の参加賞が出ていると
選手は言っておりました。

また、前日市内をウロウロしていて、
目についたのが翌日に使用する
コース規制のために置かれるコーンもこんな感じ。



写真でうまく色が出ていませんが、
ピンク色。

コーンとコーンの間に架け渡される棒も
ピンク色のシマシマ模様をしておりました。

お金がかかってますねえ。
通行止めの立て看もピンク



という念の入れようです。

一般ランナーも入れて
16000人以上の女性が走る大会ですから、
その派手さは容易に想像できます。

応援する選手には、
まぎれて見つけられないことのないように、
白を基調にしたウェアで走ることをおすすめしました。

レースは日曜日午前9時10分にスタートします。
レースの朝、ドームに着くと、



びっくりするほどたくさんの人がいます。
当然ほとんどが女性です。

駅から会場のドームまで歩道は女性で埋め尽くされています。



一種異様な光景です。
これは2キロ地点ですが、
先頭集団が過ぎると



やがてこんな光景が30分近く続き、
目がチカチカしてきます。



別に目がハート形になっているわけではありません。
念のため。

当日新幹線でやってきた応援仲間も合流し、
応援団も増えたので手分けして、
2キロ、10キロ、16キロ、20キロ、
21キロ、26キロ、27キロ、36キロの
8ポイントに応援ボードを持って出没することになりました。

ウェアアドバイスのおかげで、
8ポイントすべてでチェックすることができました。



ただ、国際大会も兼ねているので、
選手と観客の距離が遠く、
泉州のような食べ物を差し出すなど
選手に接しての応援はできなかったのが残念でした。

結局、応援のおかげで
選手は泉州マラソンを
6分縮めて3時間55分でゴール。

ま、もともと3時間30分の
タイムを持っているのですから、
故障を抱えているとは言え、
そこそこ余裕で走っていたはず。

そんな中での今回のタイムは
満足の結果だったと思います。

応援団にしてみたら、
なにせ制限が7時間の大会なのですから、
会場が大混雑になる前に
引き上げることができたのは何よりでした。

その応援団には、
応援に加えてもう一つ楽しみがあります。

それは、名古屋名物の食べ歩きです。

そこまでに、すでに
ひつまぶし、手羽先、小倉トーストをこなしています。

レースが終わったら
味噌カツを計画していたので、
早く帰ってきてくれて
時間に余裕ができました。

レース後みんなでスーパー銭湯に行き、
さっぱりしてから
繁華街に繰り出せたのでありました。

次回はそんな名物のご馳走をご紹介する、

名古屋ウイメンズ ご馳走編となります。


カニカニツアー おもてなし編

2014年02月24日 20時13分54秒 | マラソン

昨日はランニングチームの仲間たちと
丹後方面にカニカニツアーに行ってきました。

自家用車に乗り合いで、
大会に行ったり、合宿で泊まって帰ってくる
というのはこれまでも数えきれないくらいありましたが、
観光バスを仕立てて遊びに行くというのは記憶にありません。

参加したのはdoironを含めてレースを卒業した人から
これから頑張ろうという初心者の人、
そして家族の方も含めて
総勢31名のツアーでした。

午前7時過ぎに泉O津の駅に集まり、
賑やかに出発しました。

途中10キロ程度のランのオプションがあるとのことでしたが、
走る気のないdoironはいきなりビールです。



普段の旅行といえばたいてい運転役なので、
こんな時ばかりは楽しまないとね~。

他にも飲む者は結構いて、
ルネRC一行は賑やかに丹後へと向かったのでありました。

福知山マラソンなどでおなじみの
舞鶴自動車道を順調にどんどん北上し、
ほとんど車の通らない京都縦貫道から丹後入りです。





途中のサービスエリアにて。

バスの車中では、
回覧で先週に行われた泉州マラソンの結果表と
写真集が回ってきました。

ルネRCで最も早くゴールした
(“ルネイチ”と言われる)
ミカンくんが作成したものです。

サブスリーを目指す彼ですが、
今回は残念ながら4分ちょっと足りませんでした。
あと1分を達成できなかったdoironとしては、
彼の悔しい思いは痛いほどわかります。
次の篠山ではぜひ達成してほしいものです。

そんなランナーがいるかと思えば、
ようやく10キロレースを二つ完走し、
次はハーフマラソンに挑戦しようという人もいました。

「完走できるかなあ」と不安がっていましたが、
10キロを完走してるから
絶対に完走できるよと太鼓判を押してあげました。

チームの中には、
その時々の自分と同じ思いを持つ人がいて、
「そうか堺シティを完走して、
敦賀マラソンに挑む頃の自分と同じやなあ」
なんて思ったりして、
話していると懐かしさがよみがえってきたりします。

とにかくみんな走ることを楽しんでおり、
こちらまで楽しくなってくるもんですね。

宿に着いたのは、午前11時15分頃。



食事まで1時間以上あったので、
皆さん温泉へと向かいましたが、
doironは友達と宿周辺をまず散策してみました。

ツアーの一週間前に、
カニをいただく旅館のことを
ネットで探ってみると、
そこは木津温泉という場所にあり、
今から50年位前に松本清張が約2か月滞在して、
「Dの複合」という小説を書き上げたという宿でした。

その小説を図書館で借りて、
さっそくがんばって読んでみたのは、
先日もブログに書いた通りです。

散策はそのゆかりの地を訪ねてみようと思ったわけです。

そのことは後日に書くとして、
一時間ほどうろついてから
慌てて温泉に向かうと、
まだまだうちのメンバー連中が
露天風呂に入りながら
マラソン話で盛り上がっておりました。

他の入浴客がいないのを確認し、
「ブログ掲載の折には
ちゃんと修正するから」とお断りして写真をパチリ。

酔った頭でこれは面白い企画だと
思っていたのですが

やはりお見苦しいのはどうかと・・・
宿の看板風呂を汚してもいけないし・・・
kaisanは大股広げてるし・・・
開湯の租、行基様に叱られそうだし・・・

ということで残念ながら、
私設ブログ倫理委員会により
写真はボツとなりました。
永遠に封印します。

格調高い源泉かけ流しの「橘の湯」で、
格調高く?はしゃいだあとは

いよいよお待ちかね、カニ料理です。

宴会室で



テーブルの上でカニが手を振って
お・も・て・な・し体勢でお出迎え。



カニはひとり1.5杯分だそうです。

この後、雑炊とデザートもあり
お腹いっぱいに。
皆さん最後の雑炊まで
ちゃんと完走できたでしょうか。

いっぱいになったお腹を抱えて宿を後にし、
お土産屋さんに寄って



最後に向かったのが天橋立。



橋立の南側はよく行くのですが、
今回は北側から攻めてみました。

バスを降りて
レンタサイクルで橋立を往復してきたツワモノもいましたが、
ほとんどがぶらりとあたりを散策。

橋立のたもとにある「船越の松」で
鎖に足を引っ掛けて
天橋立名物「股のぞき」をしてるのは
kaisanでした。
露天風呂に続きここでも大股開き。
でもその股のぞきはちょっと違うと思うな。
よい子はまねしないようにしましょうね。



え~、本人のご要望通り写真を掲載しておきます。

今回は青馬会チームの重鎮の御夫婦二組にも参加していただき、
愉快な丹後路を満喫した一日でした。
出発時に大量に積み込んだ
ビール&チューハイも下車時には空っぽ。
それにしてもよー飲む連中ですわ。

幹事の皆さんをはじめ、参加された皆さん



お疲れ様でした。


週末は丹後カニカニツアー

2014年02月18日 21時28分06秒 | マラソン

次の週末に、ランニングチームの仲間たちと
丹後方面にカニを食べに行くことになっている。

丹後には、マラソンの出場や
100キロマラソンの応援、あるいは
プライベート旅行などで
何度か行ったことがある。
最後に行ったのはいつだったかなあ
とブログを辿ってみたら、
二年前の春だった。

震災で原発が色々と取りざたされている時に、
若狭湾周辺の原発群がきっと話題になるだろうから
先にこの目でそれらを確認しておこう
と出かけたときに行ったのが最後であった。

その後、高浜原発やもんじゅが
ニュースにどんどん登場し
あの時の旅行は大変実のあるものであった。

そしてその前に丹後に行ったときとなると、
あの東北大震災のまさにその日に、
天橋立に友達とカニを食べに行っている。
カニをほおばりながら
食い入るようにテレビを見ていたのが思い出される。

そんな丹後に、ランニングチームの人の手配で
カニツアーに行くことになったのだ。
カニがいっぱいということで
この時期のツアーの名前はカニカニツアーと
カニをダブルで表記することが多い。
うまく食欲をそそるネーミングだなと感心する。
当日は、ミセスに無理を言って
介護を引き受けていただいた。
ミセスは後日、友達と松山道後温泉に行くので
それとあいこである。

泉州マラソンを翌日に控えた土曜日に、
さてさて今度行くところはどんなところだろうか
とネットでごにょごにょ探ってみたら、
今回行く宿木津温泉の「ゑびす屋」は
なんと由緒のある宿ではあーりませんか。

それは、1965年に
かの有名な松本清張が
2カ月余り滞在し、長編推理小説「Dの複合」を書いた旅館であるとのこと。

当時、彼が執筆のために滞在した部屋は
資料でいっぱいになったため、
隣の休憩室でその小説を執筆していたそうで
その休憩室がその旅館内に今も
「清張の書斎」として保管されているらしい。

そこを訪ねる楽しみが一つ増えたな。

そしてそうなると気になるのが、
その小説「Dの複合」だ。
まだ読んだことがない小説だ。

早速、古本屋→図書館とまわってみることにした。

残念ながら2軒訪ねた古本屋にはなく、
最後に図書館に行ってみた。

書架を探し回ったが見つからないので、
据え付けの機械で検索してみると、
貸し出し中とのこと。

う~ん、残念。

でもそれであきらめてはいけない。
その貸出中の本ではなく
もしかしたら全集があるかもと思い調べてみると、
ビンゴです。見つかりました。

書庫に眠っているとのことなので、
取ってきていただきました。

そうして借りたのが、これ。



かの有名な「ゼロの焦点」と
その「Dの・・」がセットになった全集の第3巻です。

前半が「ゼロの焦点」、
そして後半が「Dの複合」となっていました。

早速借りて読み始めたのですが、
老眼にはつらいこんなに細かい文字で
しかも2段組みになっているのが245ページ分。



ゼロの焦点よりも40ページ近く長い読み物でした。
文庫本なら1cm以上の厚みになろうかという長編です。

果たして来週までに読みきれるかなあと心配になって、
一瞬読むのをためらったのですが、
頑張ればいけるだろうと決意して読み始めて、
今日現在でジムバイクと就寝前のひと時を充てて、
なんとか約180ページ分を読み終えました。

さすがに、清張ですね。
読み始めたら結構引き込まれていきました。

主人公が売れない小説家というのも、
売れないライターとしては
なんとなく親近感のわくキャラクターです。

冒頭あたりで、
死体発見のモデルとなった祠が
この旅館の窓から見えるそうです。
また、網野神社にまつわる話も登場します。

木津温泉そのものの描写もあり、
それが約50年前と今とで
どれくらい違うのかというあたりも
見どころになろうかと思います。

また網野町周辺には、
浦島伝説や羽衣伝説も残っていると
小説には書かれてありました。
今も地域おこしの材料になっているのでしょうか。
そしてその伝説がこの小説のストーリーと
どうかかわるのか、
もう少し先を読まないとわかりませんが、
いずれにしても小説の随所に出てくる情景を念頭に置いて、
今度の旅を楽しんでみたいなと思っています。

結果はまたこのブログで紹介するとして、
今日はこれくらいにして
さあて、小説の続きを読みますかね。


今日は泉州マラソン

2014年02月16日 21時06分32秒 | マラソン

第1回大会から17回大会まで
欠かさず出ていたこの大会。
いや、前身の千亀利マラソンの
時代から出ていたこのマラソンの
今日は応援に行ってきました。
これまでのお返しです。
たっぷり応援させてもらいました。

初マラソンあり
サブスリー狙いの者あり
国際マラソンゲットの者あり
そしてトラ友達の再会あり
故障を加減しながら走った友達ありと
一日たっぷり堪能させていただきました。

写真もたくさん撮りましたので
何らかの方法で
皆さんにお渡しできたらと思っています。



















思い起こせば6年前。
スーちゃんが最後に応援にきてくれたのが
このマラソンでした。

泉O津の歩道で
ハイタッチしたのが最後。
あれから介護が始まって
「またハイタッチしよう」と約束していたのも
もうできなくなったのは残念ですが、
僕自身はいろいろと乗り越えて
無事にこうして毎年友達の
応援に出かけていけることに
とっても感謝しています。

明日はスーちゃんの施設に行って
今年も走れなかったけど
友達みんなの応援してきたよと
報告しようと思っています。

走った皆さん
応援の皆さん
お疲れ様でした。


残雪探しの街ラン

2014年02月09日 21時27分53秒 | マラソン

昨日の作戦通り、
残雪探しの街ランに出かけました。

スタートは、いつも散歩するこの公園。



まずはストレッチから

アキレス腱を伸ばして~、
それから腰を伸ばして~、
腕を伸ばして~、
ついでに髪も伸ばして~
おっとと最後は無理がありました。

ジムの道具を背負って出発です。
まず、山の方角に向いて走り小栗街道を目指します。
おっと、公園にあるこんな石碑も紹介しておきましょう。



この「杜(もり)」の字は
森とほぼ同じ意味なんですが、
神社などの森をこう書くことが多いそうです。
ここは我らが氏神曽根神社に隣接しています。

ちなみにこの「杜」を使った植物があります
「杜若」です。
さてなんでしょう。
答は最後に。

大きな交差点を渡り、



山に向かっていきますと
JRをくぐるトンネルがあります。
ここは人は通れません。

おお~、そのトンネルの入り口上部に
来週開催される泉州マラソンの
通行止めの案内幕があります。



山方面に向かう人に、
この表示は事情を知らないと混乱を招くかもね。

地下道を迂回して踏切の方へ行くと、
こんな古本屋さんが・・・



でも開いているのは見たことがありません。

踏切を渡って、30号線に出ると
角にあるのがこのレストラン。



ランチがとても人気で、
遠方から友人が来た時なんかは
たまに利用しています。

そこから坂道をトコトコ登って行き、
小栗街道と交差したところが
「平松王子」跡です。



石碑にはここから東北東70m
と書かれてありましたが、
そのあたりとおぼしきところを見ると
こんな地蔵がありました。



街道沿いには地蔵がたくさんあります。

ここから小栗街道を熊野に向かいます。
何度も歩いて通った道です。



自衛隊の前で道は左右に分岐しています。



その分岐点に道標があるのですが、
これまでにも紹介しているので省きましょう。

右に続いている小栗街道をトコトコと進みます。

ここまで昨日の残雪の痕跡は全くありませんでした。

泉井上神社の横を通り、



和泉中央へと続く道との交差点には
おなじみのこの道しるべがあります。



ずいぶん走ったようでも
このあたりではまだ4キロちょっとです。
距離を伸ばすべく
少し山の方へ寄り道し、
槇尾川へと出ました。



このあたりは、冬のソナタで見たような
気持ちのいい道が続きます。



これはカワウですかね。



カメラを構えたら、慌てて飛び立っていきましたが
ちょうど離陸したての、
動きのある写真が撮れました。
見ようによってはあの熊野の八咫烏のようにも見えます。

その槇尾川に架かる30号線の「柳田橋」を渡り、



マンション群の中を抜けていくとジムに到着です。



ここまでの距離は5.4キロでした。
とりあえずジムに入り、
バイクを30キロ漕ぎ、



風呂にも入って出てきたら
冷え込んできておりました。
でも風呂にも入った後なので、
また汗をかきたくないし
さらにゆっくりトコトコと走って帰りました。

帰りは槇尾川沿いを下ります。



川の堤防というのは広々として気持ちがいいですね。
そこから26号線の方に少し戻り、
泉O津市に二か所残っているため池のひとつ「小寺池」を巻いて、


和泉国二宮の「泉穴師神社」を目指します。

途中、穴田頭安地蔵というのがありました。

これは頭の安寧を祈る地蔵なんでしょうか。



だとすれば、脳梗塞を患ったスーちゃんのために
しっかりお祈りしておきましょう。
そして友達の甥っ子のためにも・・・

穴師神社のあたりは、
勅使道ウォーキングをしたときにも詳しく書いてますので、
今回は省略しましょう。

4キロほど走ってようやく家が近づいたころ、
やっと見つけました。

これが昨日の雪の名残。



残雪の街ランといきこんで出かけた割に
ショボイ残雪だったけど、
そこはかとなく春を感じた街ランでした。

あ、そうそう。植物名の漢字の読み方は

「か・き・つ・ば・た」でした。


ため池巡りラン

2014年02月06日 21時59分31秒 | マラソン

立春も過ぎたけど、きょうはとっても寒かった。
雪も降ってたもんね。
こんな時には想像もできないほど暖かかったのが先週末。
サロマを目指す人の
ロングの練習会に参加してきました。
来週に迫った
泉州マラソンの練習でもあります。

コースはdoironが考えた、
「泉州ため池めぐり34キロ」コースです。
これ



その日はホントに天気もうららかな春の陽気で、
手袋もいらないくらいの暖かい日でした。

ジムを出て、まず久米田池を目指します。

道標でおなじみの和気の「妙泉寺」を通り、
多分その妙泉寺のお参り道であったと思われる
街道を南下していきますと
牛滝街道に出ます。
それを横切って、昨年ジダンに指名されて
いろいろ調べた久須神橋を渡って
久米田池に出ていきます。



府内最大の水面積を持つこの池の周りには
ジョギングコースが設けられています。

1周2645m。

でもここは一周はせずに
西側の縁に沿って進みます。

新しく開発された尾生町の住宅街を
山に向かって走っていきますと、
新しい道ができています。
どうやら次の目的地である
「トンボ池」までつながっているようですが、
地図にその道は載っていなかったので無視しました。

従来の春木川に沿った道を南下し、
福田で春木岸和田線を左折します。

けっこうなアップダウンを超えるとそこが

「トンボ池公園」。

とはいっても、
本当のトンボ池は従来の公園の中にあるわけではなく、
もう少し下ったところにあります。
今は、そのあたりにも大きな芝生広場が設置されていて
ようやく名実ともに、「トンボ池公園」になりつつあるようです。

この公園を造り始めた当時は
産廃の不法投棄が大変でした。
困り果てた大阪府が
強制代執行で産廃を除去したという経過があります。
その当時の大阪府の担当者が
「こんな部署にいたら殺されるわ」
とまで嘆いていたのを思い出します。

このあたりではまだ8キロ程度です。
ここから稲場町を越えて
テクノステージの方へと登っていきます。

道は広々とのどかな雰囲気で、
坂が急であることを除けば
見晴らしもよく気持ちのいい道です。



阪和道の下をくぐると
テクノステージの道にと出ていきます。

距離はようやく10キロを超えました。

さらに外環に出て、
でこぼこの多い走りにくい歩道をひたすら登っていきます。

途中、葉菜の森や和泉山愛の里といった
野菜直売所の近くを通過し、
ようやく下りに入ったら槇尾中南の交差点に到着です。

この外環の歩道区間が
このコースの一番のこらえどころでしょう。

左折して国分トンネルを抜け
黒岩大橋を渡って、
ようやく20キロを迎えたあたりから、
最後のため池「光明池」に入っていきます。



この池は満水時の貯水量は府下最大ですが、
水面積は久米田池、狭山池に次いで3番目です。
それほど深いということなんでしょう。
この池からの水はdoironの家の
すぐそばを通る水路にまで流れてきているので、
なにかと身近な感じのする池です。

池沿いの散歩道を気持ちよく走っていたのですが
池の東側に沿った散歩道の突き当り、
大きな堤に出るところで、
な、なんと工事通行止めでした。

仕方なく山の中をかき分けて脱出した次第です。

そうして泉北外周道路に出てからは
ひたすら北上します。
このあたりの歩道はきれいで走りやすい道でした。

赤坂台北の交差点を左折し、
阪和道に沿って走り、
乗馬場のあるところから下っていくと
30キロとなります。

そこからは槇尾川の堤防を走り、
元来た地点まで戻って
合計34キロのロングジョグでした。

所要時間は休憩も入れて4時間30分。

なかなか良い練習ができたと、
仲間は喜んでおりました。

そして充実した練習を終えて、
ホッとしているときに、歩いていて
な、なんと某市の市長と遭遇。
声をかけていただきました。

こちらは毛糸の帽子を被っていたのに
よくわかったものです。
まあ、それくらい記憶力もよくないと
政治家にはなれないってことなんですかね。
ていうか、どんなけ覚えやすい顔やねん
って感じなのかもしれんがね。

その某市長と、立ったまましばしマラソン話をしました。

いやあ~最後の最後までアンコの詰まった一日でした。


大阪城へ連チャン2

2014年01月27日 21時50分31秒 | マラソン

今日はマラソンの話。

今から26年前、
doironがマラソンを走り始めた頃の大きな大会といえば
大阪国際女子マラソンのサブイベントで行われていた
ダイエー10000人マラソンがあった。

これの参加料は、
たしか500円か1000円で
ダイエーのシンボルカラーである
オレンジ色のトレーナーをもらえるというので、
とても人気が高く、
今の市民ランナーのマラソンブームの
礎を築いた大会のひとつだったといえるだろう。

どこの大会にいっても、
大勢のランナーがオレンジ色の
そのトレーナーを着ていた時代があった。

そんな時代、
大阪国際女子マラソンの出場選手と
そのサブイベントの出場選手との間には、
とても大きな隔たりがあった。

一般ランナーにとって国際は、
「出る」大会ではなく、
「見る」大会でしかなかったのだ。

ところが、女性の市民ランナーも順調に増え始め、
レベルもどんどん上がってきて、
今や国際も「見る」大会から、
がんばって「出る」大会にとなってきた感がある。

今年の大会も一般参加選手のエントリー
は500人を超えており、
実際その中には、
I原さんやO野さんなど、
10人以上の知り合いが名を連ねていた。

昨日は、大阪城公園の周辺で、
その国際マラソンや
サブイベントのハーフマラソンの
知り合いランナーたちを応援させていただいた。

元気に走られている姿はとても美しい。
応援も大変盛り上がりました。

走りたくても思いっきり走れない身としましては、
皆さんの美しいお姿は
ちょっぴりうらやましくもあると同時に、
自分もこうして走って生きてきたんだ、
それでよかったんだ
と思わせてくれるのに十分のお姿でした。

連日の大阪城公園。

初日は稀代の歌姫の天才的なお姿を拝し、
二日目は、ハーフも含めて、
人知れず努力して走り続けている
努力家の皆さんのお姿に励まされ、
とっても心躍らせた週末となりました。

いやホンマ、連チャンで
ええもんみせてもらいました。