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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

都大路の宝物

2014年12月20日 21時04分45秒 | マラソン

レース出場は引退しても、
走るのを見るのはやはり大好きです。

友達の頑張り、
全国レベルの戦いなどを
ワクワクしながら眺めています。

年末恒例の「全国高校駅伝」が明日、
京都の都大路を舞台に繰り広げられます。

多分この大会が陸上好きdoironの
一番の楽しみとなっています。

ということで今年のレースの行方をちょっと想像してみましょう。

まず男子。

昨年は史上初めて4校が最後のトラックになだれ込み、
接戦のアンカー勝負となりました。
制したのは山梨学大付。
残りの3校も含めてその4校が
今年も出場します。

高校生の大会なので、
主力が卒業で抜けたりするため
昨年の結果はあまり参考になりませんが、
あのトラック勝負を制した喜び、
また負けた悔しさは引き継がれ、
それを糧に一年間頑張ってきた
という結果が各予選の成績につながっているようです。

一番の注目は広島代表の世羅でしょう。

地区大会で山口の西京の後塵を浴びましたが、
それは主力を温存しての結果でした。

個人の力を総合すると、
やはり世羅が一歩ぬきんでています。
きっと、あの苦い経験を活かし、
前半勝負で飛び出してくることが予想されます。
そのあたりがツボにはまれば、
世羅の優勝は固い所だと思います。

一方、女子はというと今年は

「2強対決」

といわれています。

群馬の常盤、愛知の豊川です。
それに割って入るとしたら、
大阪の薫英女学院かもしれません。
高松望ムセンビの出来次第ではありますが。

個人の持ちタイムも3校は拮抗しており、
レースの行方は試合運びに
左右されることが予想されます。

予想はズバリ、豊川。

昨年優勝の誇りと連覇にかける熱い想いが、
一歩前に選手を運ぶでしょう。

こうして予選の結果やレースの行方を考えていると、
選手たちの日々の熱い息遣いが聞こえてきそうです。

結果は結果として、
まずすべての選手が全力を出し切ることを
何よりも望みます。
う~ん、まるで先生みたいなことをいってますねえ。

でも、齢を重ねこの大会を見続け
人生の晩年を迎えつつある
doironはやはりハゲシクそう思うのです。
青春の輝く日々は一生の宝物になるんだよと。

老兵はそうつぶやき見守っているからね~。

さてそのdoironは明日はゴルフ。

老春の楽しい思い出になりますかどうか・・・


今日は大阪マラソン2014

2014年10月26日 21時15分04秒 | マラソン

「今度の日曜日に大阪マラソンに行ってくるわ」
とミセスに告げると間髪入れず

「走るの?」と聞かれました。
いやいやまだフルを走れるような
身分ではないし。

「友達の応援やで」
というと「なら行ってき」と今日は
快く(?)送り出してくれました。

出没場所は全部で5カ所。
地の利を生かして動き回りました。
最後にゴール会場に向かう
電車の超混雑にはまいりましたが
何とかゴールで知り合いと合流。

その人のゴールタイムを予測していたのですが
ネットタイムで誤差は1分。
まあ、応援の身としては
充実した結果となりました。

ただ、ランナーが今どこを走っているか
確認できるという位置情報サービスには
サロマの経験から期待していたのですが
アクセスが多すぎたのか
ほとんど役に立たずでした。
今後の応援のためにも
その辺を課題として
大会側にはぜひ改善してほしいものです。

それにしても暑い大会でした。
応援も何かと疲れるものです。
これまでさんざん応援していただいた
ありがたさを実感しましたね。

走った皆さん
応援の皆さん
お疲れ様でした。
汗をいっぱいかいた後の
打ち上げのビールは格別に回りますね~
てことで、今夜はもうおやすみなさい


第3回大津川さわやか3時間走

2014年09月28日 17時08分31秒 | マラソン

法隆寺を歩いている途中ですが
本日、今年で3回目を迎える
大津川さやわか3時間走が行われましたので
ちょっと寄り道。

天候にも恵まれ
暑いくらいの秋晴れの下
皆さん、汗まみれになって
走っておられました。

doironはスタッフとしての参加です。
仕事は例によって周回チェック。

あ、その前に選手の皆さんが
食べられたオレンジは
doironが切り分けたものでっせ~

大会が始まると計測の席に座り
やってくる選手のゼッケンを読み上げながら
記録していきました。
途中、団体が通り抜けたときは
パニクリましたが
まあ、その辺は濱ちゃんの明晰な頭脳と
パソコンの技で
補完をしてくれるでしょう。

今回は、思わぬ昔のトライアスロン仲間との再会もありました。

最初は誰だか分らなかったくらい
久しぶりの仲間でした。
そりゃあ、もう20年以上会ってなかったもんなあ。
お互い、歳を取りましたねえ。

「doironさん久しぶり!」と言われたこちらは
キョトンとしてたと思います。
それにしてもよくdoironのことが
わかったものです。
こんな特徴のない顔なのに・・・

かつてのランニング仲間や
いつものジム友も走って
今日は楽しい一日でしたな。

スタッフの皆さん、
思う存分打ち上げを楽しんでくださいね~
doironは祭りの寄合なんです。
だんじりに触れず、あいそなしの祭でも
世話人会の会長という
地元の役目はおろそかにできません。
参加できずに申し訳ありません。

そして新聞の方は、写真を
ルネ広報のH野クンに提供してもらい、
さっそく記事を作って
オーナーと交渉します。

秋はイベントが目白押しなので
掲載できるかどうかわかりませんが
取りあえず頑張って作ってみますね~


大蝦夷物語~レース編~

2014年07月06日 21時18分48秒 | マラソン

スタート地点の次の応援ポイントは
スタートして市街地をぐるっと回って
再びスタート近くに戻ってくる5キロ地点。

きたきた。



通過タイムを見てみると、

あわわ~、

キロ6分を切ってる。
ここまではキロ7分で行く予定だったのになあ。
今はいいけど暑くなるよ~。
と思いつつ、気持ちよく走れているならと
何も言わずに声援だけした。

このあと30キロ地点くらいまでは
一般車は規制されていて入れないので
先回りすることにした。

この大会は、日本でも指折りの酪農地帯を走るため、
選手はスタート前にまず
消毒のミストシャワーを受け、
農場内には決して立ち入らないように言い渡されている。

口蹄疫などの予防措置なんだろう。

23年前に、草むらに駆け込んで、
フキの葉っぱでお尻を拭いた経験は
貴重な体験となったな。

ここへ来るまでの間でも、
枝道に入るところには
白い石灰が敷かれてあるところが多かった。

なので、応援車両も幹線をはずれて
駐車することは厳しく制限されていて、
たくさんのスタッフがそれを監視していたのだ。

まあそれは大会側として、
地元への当然の配慮だろう。

結局、次に応援できたのは、
フルマラソンの42.195kmの手前の駐車場だった。



陣取ったのは41キロの関門近くね。



そうそうこの大会のサービスのひとつに
応援NAVIというサービスがある。

足に付けたプレートとGPSを使って、
選手の現在位置がリアルタイムでわかるというものだ。
携帯画面に表示された地図上を
ゼッケンナンバーで指定した選手が
刻一刻と動いていくようになっている。



徘徊老人のもつGPSの技術なんかを応用しているんでしょうねえ。

う~ん、あまりこういうものが普及したら、
ほっつき族としては困りものではありますな。

ま、それはさておき、
このサービスは大いに活用させてもらった。

それをみて盛り上がっていたら、
子連れの女性が近寄ってきて、
「あの~主人がまだ走っているかどうか
調べていただけないでしょうか」と言ってきた。

こころよく引き受けて見てあげると、
まもなくその地点にやってくることになっていた。

そのことを告げると「まだ走ってるんですね」
と嬉しそうにしていたな。

フルマラソンを4時間40分台で通過。



若干遅れてはいるが想定内である。

しかし、森でエゾゼミが鳴く暑さの中、
日陰のないコースに容赦なく照り付けている
強い日差しは想定外であった。

水と氷でしっかり体を冷やして走るように
アドバイスして、次の目的地で
doironたちの宿でもある55キロ手前の
エイドステーションに先回りをした。

ここでは宿で売ってるアイスクリームを
出してあげようと買うタイミングを、
例のGPSを見ながらはかっていたのですが、
ペースが急にダウンしたことがわかった。

表示されているペースのキロ10分は黄信号である。

ようやくたどり着いた選手は



さほど消耗していない様子であったが、
どうも5キロごとのエイドで
時間を使いすぎているようだ。

でも焦らさないようにしっかりケアをしてあげ、



アイス、大福を食べてキロ8分でも間に合うが、
「キロ7分で行くように」アドバイスをして元気に送り出した。

次は63キロ地点だ。

いよいよ選手にとっては練習でも走ったことのない
未知の距離に突入である。

ここでは広い道の路側帯に路駐して
応援をしていたが、
パトカーがやってきて排除させられたため、
応援メンバーだけ残して
doironは車を走らせていたんだよね。

選手の様子を確認できなかったから、
あとで応援メンバーに聞くと
かなり消耗している模様だった。

やばい!携帯でもキロ10分を維持していると出ている。

68キロ地点に先回りしたが
やってきたときには、
タイムオーバー寸前になっていた。



でも後悔しないように最後まで走り続けるように指示したが、
やはり脚は動かなかったようである。

ついに彼女の夏は終わった。

ゴール会場で合流した時、彼女は言った。

「春から目いっぱいの練習をした。
やるべきことはやったから後悔はない。
70キロ地点が私のゴールでした」と。

目にいっぱい涙は浮かべていたが、
表情はとても爽やかでした。

ちえちゃん、本当にお疲れさんでした。

貴女の頑張り、しっかり見届けさせていただきました。

続く


大蝦夷物語~スタート編~

2014年07月05日 21時23分23秒 | マラソン

それにしても北海道の景色は独特だ。

昨日も書いたように、
広い空の下で大地は果てしなく波打ち、
まるで絵本の中を走っているような感覚にとらわれる。

神様でも摘みきれないと思うほどの
ビート、ジャガイモ、トウモロコシ、アスパラガスなどの
野菜畑や麦畑、
そして牛が点々と休んでいる牧場が
延々と続き、
ああ~、北海道に来たんだな
という感じを弥が上にも盛り上げてくれる。

周りの景色が広大なので、
車を走らせていてもスピード感がない。

制限速度60キロの一般道でも、
ふと気がついたら90キロも出ていたりする。
北海道の交通事故が多いのは、
そんなスピード感の喪失によるところが大きいのでしょうねえ。

出来るだけ自分を抑えつつ、
安全運転で懐かしいコースを下見し、
レース当日のスタート地点でもある受付会場に着いた。



ここで、まず一人知り合いに遭遇。

なんと彼はサロマンブルーの選手になっていた。

10回以上完走したことになる。
ちなみに今は20回以上完走している
グランドブルーという称号もある。

この大会は今年で29回目を迎えるわけだから、
13年前には当然なかった称号である。

ちなみに23年前にはサロマンブルーもありませんでした。

受付を済ませたら、とっとと宿に向かいます。
今夜は早く寝ないといけません。
というのも、レースのスタートは午前5時。
そこから起床時刻を逆算すると、
途中のレストステーションとゴール地点での
荷物預かりなどもあるため1時間前には受付をしておきたい。
コース沿道にある宿とはいえ
スタート地点までは車で30分以上かかるので
3時には宿を出ておきたい。
となると食事は2時半までには済ます必要があろう。
したがって準備も含めて
起床時間のリミットは午前1時半となるからである。

かようにサロマの朝は早い。
早いにもほどがある時間である。

そんな時間に起床したのは、
多分前回のサロマ以来だろう。
眠い目をこすりつつ食事を済ませ、
数名の応援がサポートのため
バスで選手に付き添う手配をして、
残りの応援団は応援グッズを積み込んで
レンタカーでスタート地点に向かった。

こちらは大阪に比べてかなり東に位置するので、
午前3時と言えどもう空はうっすらと明るい。

朝もやのサロマ湖は息をのむほどきれいだったな。

受付会場の施設の壁にあった
温度計によると
この日の朝の気温は
19.3℃



受付会場は独特の雰囲気だった。

最近は、こんな風に会場にテントを張って
宿泊している人たちも多い。
テント村が出現していて
なかなか楽しそうだ。



また、この大会は今年29回大会を迎えるウルトラの老舗だけに、
昔からの選手も多い。

23年前にdoironが走った時の
有名選手も参加者に名を連ねていた。

その23年前のフィニッシャーTシャツを着て
スタート地点付近を歩いていると、
前からゴールドゼッケンの人がやってきて声をかけられた。

ゴールドゼッケンは「グランドブルー」という
20回以上完走した人がつけるゼッケンである。

かなり増えたサロマンブルーに比べて
まだ数えるほどしかいない。

その人とすれ違った直後だった。

「わあ、なつかしいなあそのTシャツ」
「はい。23年前のフィニッシャーです」
「あの頃はゴールしないとTシャツをもらえなかったんだよねえ。
僕も持ってますよ」
と、そんな会話を交わした。

たしか前回きたときもこのTシャツを着ていて
人に話しかけられた記憶がある。

真っ青な生地に、白で書かれた大会ロゴ。



背中には高石ともやの文字
「わが道を走く」が書かれてあるのだ。



doironの初めてのウルトラの完走Tシャツなので、
大事にしていてよかったなあと思った。

そうこうしているうちにスタート時間が迫ってきた。

午前5時とはいえ
もう陽の加減は午前7時ころのような感じだ。

スタート前にはワイナイナと



NHKBSのランニング番組に出演している
中村優が挨拶をしていたなあ。



そして号砲一発。

緊張に包まれている応援選手に



最後のエールを送っていよいよ長い一日が始まった。

続く


大蝦夷物語~旅立ち編~

2014年07月04日 21時44分45秒 | マラソン

北海道と言えば、やはりなんといっても
広い大地を思い浮かべる。

緑に彩色された大地のうねり、
どこまでも続く並木道。
あくまでも青い空と水。
その中に押しピンのように建つ家々。



そんな景色の中を旅してきた。



今回の旅行を実現させるための準備には、
早くから取り掛かっていた。
まだ、大会の案内も届いてない頃から
選手はウルトラの身体づくり、
そしてdoironは飛行機と宿の手配に
心を砕き計画は順調に固まっていった。

今回で三度目のサロマとなるので、
幸いある程度の土地勘はある。
飛行機でどの空港へ飛び、
どれくらいかけて移動し、
宿はどこが便利かなどの経験を活かして
プランを作り、個々の予約のタイミングごとに
動くつもりであった。

しかし、どうにもそれがうまくいかない。

大会前後だから、
個人での予約が制限されている。
そこで、選手と相談して
大会側から送られてきたパンフレットにあった
ツアーを活用することにした。

基本はツアーにして、
それを足し算引き算することで、
希望に沿ったプランを組み上げて行った。

何度も東京の旅行社とやり取りし、
結果、ツアーの利点を生かしつつ、
ほぼ思案通りのツアーを設定することができた
と自負している。

ところが、日程も直前に迫ってきた頃、
義父さんが入院をし、
3度の危篤の報を受けた時はさすがに、
今回はキャンセルを覚悟せざるを得なくなった。

しかし、毎日病院の見舞いに通っている中で、
4度目の危篤を迎えてからは
あっという間に召されてしまい、
バタバタとお通夜お葬式を終えたのが水曜日。

次の二日間で精力的に後始末に走り回り。

なんとか土曜日に予定通り
出発することとなったのだった。



大阪を発ったのは、土曜日の午前10時。



北海道はさすがに遠い。
国内で2時間以上のフライトは宮古島以来かな。
機内によくある本に航路図が描かれてあるので読んでみたが、
どこをどう飛ぶのかこれでわかったためしがない。

あんなに線が入り組んでいる航路図に
意味があるのかねえ。

そうそう、飛行機に乗るときにいつも
疑問に思うことがもうひとつある。

それは、タラップを外された飛行機が
滑走路に出ていくときに
バックをしたりするよねえ。
あの時はタイヤにエンジンがつながっていて
それで動いているのでしょうか。
それともジェットエンジンの逆噴射なんでしょうか?

ま、どうでもいいことなんですが気になります。

とまあそんなことをこそこそ考えながら、
無事に離陸。

この日の大阪の気候は曇り。
離陸後すぐに飛行機は雲の中に突入していった。

機内は、やたら色の黒い健康そうな人であふれかえっている。

普段はこんなに賑わうこともないだろう
という関空―女満別便も、
この日ばかりはウルトラの選手で賑わっていた。

どことなくサロメチールのかおりがするのも御愛嬌である。

現地の天候もこの日は曇りだったので、
約2時間のフライト後の
着陸時も雲の中から一気に
北の大地へ降り立つ格好となった。



女満別の空港ビルは
前回きたときよりも大きく広くなっていた。

聞けば2005年に増築をしたそうだ。



そこからは、受付会場に向かうバスに乗る
他の乗客とは離れて
doiron一行はバスをキャンセルしていて
レンタカーで、コース下見をしつつ
ワイワイと会場へ向かったのでありました。

続く


サロマへ!

2014年06月28日 07時55分30秒 | マラソン

本日より、北海道で開催され、
友達が出場する

サロマ湖100kmウルトラかけっこ

の応援に出かけます。
天気も上々の見通しです。

この大会のために
過酷な練習をこなしてきた友達のこと
完走は間違いないでしょう。
予想タイムは11時間58分。

さて結果はいかに。

レース後、道内の観光めぐりをして
帰ってくるのは水曜日
それまでは携帯での投稿
もしくはiPadでの投稿となります。

では行ってきます~


週末はサロマ

2014年06月27日 21時09分32秒 | マラソン

明日からサロマに行く。

ルネと職場から
応援を含めて9人を引き連れて
灼熱のサロマを走ったあの時から
13年の歳月が経った。

今回は選手一人で
応援がdoironを含めて
6名という布陣での参加で、
通っているジムの仲間の
一大イベントでもある。

旅の手配は完璧だろう。
持ち物もしっかりチェックした。

後はスタートラインから
選手を見送るだけ。

この日のためにこの春から
選手が行った練習は
60km走が2回
50km走が1回
40km走が4回
に加えて、フルマラソンのレースも
2回完走している。
20~30kmの練習は数えきれない。

したがって60km以降は
未知の領域となるわけだが
そこまではまず平常心で走ればよい
とアドバイスをした。
そしてその先が自分との戦いとなるとも。

この大会は
その選手にとっても、ランニング人生の
集大成となる戦いであるようだ。

まずはスタートラインに立てることを喜んで
長い一日を精いっぱい楽しんでほしいと思っている。


ドジ旅日記近江商人の陰謀編 予告

2014年04月28日 21時37分09秒 | マラソン

先日、初サロマを目指すジム友の練習を兼ねて、
ジダンと琵琶湖に行ってきました。

宿泊したのは近江八幡国民休暇村。



かつてバイクでびわ湖を一周するビワイチをした時に
仲間達と泊まった宿です。

さすがにもうビワイチをできる身体ではありませんが、
超ロングラン練習のサポートくらいはできますので、
バイク持参で参加してきました。

その練習会の成功のために
克服しなければならないのが、
近江商人の陰謀に打ち勝つことでした。

神社仏閣への寄進や
数々の公共事業にも貢献した近江商人。
一方で、その卓越した商法で
チェーン店という考え方の礎を築いたりし、
その商才をねたんだ江戸っ子に蔑まれ
「近江泥棒伊勢乞食」と揶揄もされてきた
という歴史を持っています。

その商才ゆえに、謀も多く
人々の誤解を受けてきたわけでありますが、
今回の琵琶湖特訓は、
そんな近江商人の子孫が企てる陰謀との戦いでもありました。

果たしてその陰謀とは?
そしてその戦いとは。

満を持してお送りする

「ドジ旅日記」第2弾。

「近江商人の陰謀編」

はジダンブログとの
完全コラボではなくタイアップ企画ということで
近日掲載の予定です。請うご期待!