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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ささやかな喜び

2011年07月27日 22時57分12秒 | マラソン

今日は仕事でいろいろあったことも手伝って
ジムに行って、大量の汗をかいてきた。
いいねえ、スポーツは
汗と一緒にわだかまりが
発散されていく。
こんなときには
以前ほどではないにしても
無理なく汗を
いっぱいかける身体でよかったなあと
しみじみ思う。
ていうか、そういう身体に
戻ってよかったということやね。

今日はジムに行き
トレッドミルで10km走り
汗でボトボトのシャツに気を遣いながらも
筋トレとストレッチもした。

もちろん、運動中は
脱水厳禁なので常に水を補給しながらの
エクササイズだ。
それに、常に身体と対話しながらなので
なおさら集中できるというもんだ。

タイムを追求するわけではない
距離を競うわけでもない
純粋に身体を動かすことの
効能と喜びをこうして実感できることを
今は素直に喜びたいと思いまふ~


靴の洗い方

2011年05月27日 23時18分24秒 | マラソン

今日、バッグを開けたら
中から強烈な靴のにおいが・・・

さすがに梅雨だねえ。
湿気に後押しされて
靴中の雑菌が繁殖をし始めたようだ。
な~どと、感心している場合ではない。
これ以上の繁殖を許してはならない。

これまで何度もそんな目に
遭い、ジムで走っていても
足元から湧き上がるにおいに耐え切れず
コソコソっと退散したこともあるdoironだ。

そんな災害を乗り切るために
何度かの試行錯誤を経て
たどり着いた対処の方法がある。
つまり生活のノウハウだ。
靴のにおいと戦い続けて
苦節55年
ようやくたどり着いた人生の真実
そんなノウハウはいくつかあるが
今日はそんなノウハウのひとつ

の洗い方

について紹介しよう。
ありがたくつつしんで読むように。

まず用いる洗剤はというと
これは洗濯に使う普通の洗剤よりも
汚れにもにおいにも強い
いいものがある。
それは

「ママレモン」だ。

いわゆる、台所の液体食器洗剤で
中性洗剤ならオッケイである。

洗う前に、バケツに水をいれ
洗剤をチューっと
3秒くらいラブ注入したところに
靴をつけておく。
このとき、靴の中には
浮き上がってこないように
こぶし大の汚れていない
石を入れておくのだ。

そうして一晩漬けておき
朝、さらに同じ洗剤をまぶした
たわしで、ウチと外をゴシゴシこする。
その後、すすぎをしっかりして
干すのは絶対陰干しね。

このとき直射日光の下に干すと
白い靴ならアッパーが茶色くなるよ。
日陰で、気長に干すことだ。

これで、あなたのくさい靴も
爽やかに生まれ変わるはずでっせ。

以上が、doironが会得した
靴の洗い方最終形だ。

え、わしの靴はくさくないって?
くさい菌は一個つくと
一気に増殖するから
ゆめゆめ安心してはならぬぞい。


公園デビュー

2011年02月27日 23時39分50秒 | マラソン

赤ちゃんが、少し大きくなって
外気に曝せるようになった頃
バギーに乗せて
初めて公園に連れて行くことを
公園デビューと言いますね。

doironも宝塚以来
本格的に屋外を
まだ走っていなかった。
今日は天気も良かったし
先月、豊中に引っ越した友達の
ところにいき、服部緑地を走り
公園デビューをしてきた。

この公園は都会の中にある
貴重な緑なんだろう、
とても大勢の人でにぎわっていた。
今日は気温も高く
穏やかな気候ということも会って
家族連れがたくさんいました。

走るコースはというと
特に外周道路があるわけではなく
公園内を一般道が横切っていたり
と、特にランナーに優しいランニングコースが
あるというわけでもない。
例えて言えば
大仙公園みたいな感じかな。

それでも友達は
引っ越して以来ちょこちょこその公園を
走っているようで、
今日はとりわけ気持ちのいいコースを
チョイスしてくれていた。

一周約4キロのコースを2周。
そこへ行くまでの距離を足して
約9キロを走った。
都会の中にありながら
結構アップダウンもあり
1周目は心拍数も上がって
少し、不安に包まれながら
たまに歩いたりしながら走り、
2周目にはようやく慣れて
普通にジョグをすることができた。

新生doiron
無事に公園デビューを果たしたわけだ。

こうして少しずつ
不安を除いていこうと思う。
桜の頃には
お花見ランも出来そうやな


送別会

2011年02月25日 23時33分22秒 | マラソン

doironより昔から走っておられた
職場のランニングクラブの会長の
送別会に行ってきました。
今日のメンバーはそんなクラブの中でも
大阪実業団1部の50位前後で
たすきをやり取りした仲間と
マラソン元祖様のK崎さんと
当の会長T松さんの7人でした。

このメンバーで集まると
懐かしい話が尽きることがありません。
K崎さんは、社報編集の大先輩で
しかもマラソンも多分職場で
初めてフルマラソンを走った人です。

駅伝、マラソン、ウルトラ
あの頃僕らは、道はどこまでも続き
絆は永遠に途切れないと
思っていた。
そして、明日は今日よりも早く
強く走れる自分になるんだと
信じて疑わなかった。

20年以上の時を経て
マラソンに対する思いは
ずいぶん変わったけど
絆は前にもまして太く強くなっていたなあ。
だって、あんなにたくさんの
素晴らしい思い出を共有している
仲間なんていませんもん。

脚は弱くなったけど
お酒の強さは相変わらずでしたな。
doironも今夜ばかしは
溶けちゃいました~

といいつつ、ちゃっかり更新
へへへ


さよなら、こーちゃん

2011年02月23日 22時05分32秒 | マラソン

あなたがいつもヒョコヒョコ走る姿は、
私の仲間たちの心をいつも温めてくれました。
もくもくと走り続け、
そのランナーとしての実績も
たしかフルで3時間一桁を持っておられた猛者でしたね。

私とは、福知山、泉州、篠山など
数々のフルマラソンを一緒に走っていただきました。
ウルトラも
高野山や
あの萩も
何度かご一緒させていただきましたね。

萩では、一緒に走っていた友達とはぐれ、
その人を待っていたつもりが
置いていかれてたことを知り、
愕然としながら走っていましたねえ。

100マイルの大会でも、
太陽の道で勝手に離脱し、
大騒ぎになったこともあると聞きました。

トライアスロンの練習で、
一泊二日でバイクに乗って伊勢に行ったときも、
コースのあちこちを一人で黙々と走っていたそうですね。
あなたの思い出は、
すべてあなたの人柄に満ちた、
本当にあなたらしい思い出で埋まっています。
そんなあなたが亡くなるなんて・・・

渓流釣りも趣味で、
オートバイも駆使しながら、
山奥に渓流釣りに行っておられ、
何度か誘われたのに
一度もご一緒できないままでしたのは、
悔やんでも悔やみきれません。

また晩年は、片目が不自由というハンデをものともせず
というかそのハンデがあったからこそでしょう、
目の不自由なランナーと
“絆(きずな)”と呼ばれるロープを持って
伴走のボランティアをされてましたね。

さぞや一緒に走られたランナーの皆さんは
悲しまれていることでしょう。

仕事は一緒にさせていただいたことはありませんが、
その職場を見る限りにおいて、
あなたは高齢者の皆さんの頼れる相談相手であったことは、
想像に難くありません。

仲間との飲み会では
いつもいらわれ役でしたが、
いやな顔ひとつ見せず、
いやむしろそれを楽しんでおられるような、
仏様のような人でした。

今日、あなたの訃報に触れ、
溢れ出す涙をこらえることができません。

でも、あなたのことです。
天国に行かれても、
楽しくひょこひょこ走っておられることでしょう。
残ったわれわれをその優しい心で、
空の上から見守っていただきたいと思います。

そして「doiron!しっかり俺の分まで生きろ」
とたまにしかってやってください。

山田幸一さん、
ほんとうにお疲れ様でした。
そして、心の限りを尽くして、
お礼を言わせていただきます。

ありがとうございました。


日々進化

2011年02月22日 22時34分48秒 | マラソン
今日はスーちゃんが
月に一度のショートステイ。
施設暮らしにも徐々に慣れてもらわないといけないし
気分転換のようなものも
味わってくれたらいいなと思っている。

ミセスdoironも飲み会。
おやじもどこか友達のところに
出かけていって
夕方、家に帰ると
グーがひとりで、いや一匹で
留守番をしていた。

洗濯物を取り入れ
風呂も洗う。
台所にたまっている
使った食器もごしごし洗い
グーちゃんにご飯をあげて
ジムに出かけた。

トレッドミルで走り始めると
むこうずねが変に疲れている。

ん?と胸に手を当てて考えてみると
原因は泉州マラソンだ。
走ったわけじゃないよ。
片道5キロをテクテク歩いて
会場に行き、
スタート後もテクテク歩きながら
応援をしながら帰った。
で、都合10キロを歩いたわけだ。

そういえば、競歩の選手の足も
膝から下の前の部分が
しっかりしているよなあ。
同じく脚を使っての移動も
ランとウォークとでは
かなり使う筋肉がちがうんやろなあ。

トレッドミルで走り始めると
身体は徐々に反応を始め、
すぐにジョガーズハイに。

さて今日は昨日までに比べて
どんな進化を自分に課そうかと
ハイになった頭で考え始める。

進化の方法は3つ。
ひとつはスピードをあげること。
そしてもうひとつは
距離をのばすことだ。

宝塚以来、ジョグでなにごともなく
こなせるようになったのは
1時間で8キロのラン。

そこで、今日は一時間で8.2キロを
目指して走った。
脱水は禁物なので
汗をかいた分は
すぐに補給できるように
器具に備えられている
ボトルホルダーに
水のペットボトルをお供えし
ちびちびとやりながらのジョグだ。

途中、知り合いと話をしたが
トータルのべ一時間で
無事に8.2kmを走ったぜ。

だいたいこの5倍がフルマラソンだ。
いつ、そんなレベルにまで
戻せるかわからないが
鍾乳洞に石灰が積もるように
少しずつあげていこう。
(気が長すぎるのにもほどがある?)

とりあえず、春になったら
山歩きと
ゆっくりバイクを楽しめるようになれば良いな。

そんな風に、日々少しずつ
進化しているdoironだ。

え?進化の方法3つめが
まだやって?
それはね、また次の機会に。

今日は泉州マラソン

2011年02月20日 21時50分35秒 | マラソン

応援に行ってきました。
浜寺公園のスタート会場まで
ててて~と歩いていきました。
寒いだろうと、薄手のズボンの下に
パッチを穿いて
一生懸命歩いていたら
汗をかきましたなあ。

パッチを穿いて汗をかきかき歩くこと
これが、「必死のパッチ」の語源でしょう。
などというのはどうでもよい。

失礼しました。

今日の、天気は
絶好のマラソン日和。
もし自分が走るなら
もってこいの気候だろう。
なぜ、もってこいなどと
命令口調なのかというのも
この際どうでもよい。

とにかく、タイムを狙う人にも
終盤を楽に走りきりたいという人にも
時間内完走をひたすら目指すという人にも
とてもやさしい気候であった。

会場に着くと
久しぶりに見るルネの連中も
心配してくれた。

「doironさん、大丈夫?」
「うん。でもまあ、それは心臓に聞いてくれ」

とか
「〇〇クン、無理したらあかんで」
「doironさんに言われたくないわ」

などと、
久しぶりの再開を喜び合う
感動的な会話を交し合ったのであった。

他にも、事情を知らない
知り合いも多く、
走らない格好で
立っていると
いろんな人が
「何で出ないんですか~?」と
次々に聞いてくる。
そのたびに、
「あのねえ、話すと長くなるんで
スタートに間に合わなくなるから」
といなしつつ、
体調が悪いことを
簡単に説明した。
決まり文句は
「詳しくはブログで」、もしくは
「続きはネットで」だ。

もしくは
「ハブ ア ナイス doi!」で検索、カチッ

そうそう、先日本当にこの検索で
いけるのか試してみたら
ブログタイトルの自治会の
葬儀の記載にひっかかって
「葬儀場の求人情報」が
出てきたのには驚いた。
なんでも関連付けたらいいってもんじゃないよな。

と、話をもどそう。

スタート後、花野クンと別れ
アブママとコースをテクテク歩きながら
泉O津まで応援をした。
こちらから見つけて声をかけた人が半分、
あと半分は向こうが見つけて
声をかけてくれた。
そういえばひとり、
サングラスをかけて
帽子を被って
「doironさ~ん」と声をかけてくれた
ランナーがいたが
誰だったのか不明なんだよな~。

ともかく応援日和だった本日、
選手の皆さんも
日頃の成果が出せたでしょうか。

自己ベストだった
M尾クンとI原さん
おめでとうございます。
これまでの自分を超える快感って
忘れられないっしょ
これからも頑張ってくださいな。

完走された人も
そうでなかった人も
応援の人も
お疲れ様の一日でしたあ。


明日は泉州マラソン

2011年02月19日 22時29分17秒 | マラソン
doironが生息する
泉O津市を通過する
唯一のフルマラソン大会
それが泉州国際マラソンだ。

千亀利マラソンと称して
ハーフから始まり
フルの大会となっていき
平成6年の関空開港にあわせて
国際マラソンとして
開催されたのがこの大会。
doironも15回くらいは
走ったでしょうか。
ベストタイムは
3時間01分02秒。
平成5年2月20日の
千亀利マラソンといわれていたときに
大雨の中で出したこのタイムが
生涯のフルベストとなりました。

続くタイムは
平成12年2月20日に開催された
第7回大会の3時間05分19秒でした。
途中棄権も2回あります。
1回は、風邪を引いて
38度の熱が出ているのをおして
出場した平成4年の千亀利マラソン
30キロ2時間2分でダウン。
あの時は、地面が波打って見えました。
そしてもう一回が
平成9年の第4回大会。
このときは25キロくらいで
心臓発作が起こり
救急搬送。
このときの発作が
この後の心臓カテーテルアブレーションという
手術につながった。
doiron42歳の出来事でした。

このほか、思い出も数多い大会です。

走りながらあのボストンマラソン1953年優勝者の
山田敬蔵氏に話しかけられたことがある。
「このコースはアベベと走ったことがあるなあ」と
言ってはった。
当時はたしか60歳は当に超えていたのに
3時間一桁でゴールしてはったなあ。
あのアースマラソンの
間寛平と30キロ地点で併走しながら、
話をしたこともあるし
東国原元宮崎知事(当時はそのまんま東)と
ゴール2キロ手前まで競って
振り切ったこともある。
スタート前に高石友也と
皆生の話をしたこともあったっけな。

doironのフルの歴史は
この大会と共にあったといっても
過言ではないのです。

今年は、もともとエントリーできていなかったし
出来ていても走れなかっただろう。

そんなdoironの悔しさを
皆さんの元気な笑顔のゴールで
晴らしてほしいと思います~。

応援行きます。

近頃の練習

2011年02月12日 10時50分34秒 | マラソン
あれから1ヵ月半が経ちました。
あれから、というのは
もちろん、あの宝塚での
出来事からということです。
その間、クリスマスがあり
大晦日を向かえ
正月も過ぎました。
そうそう、成人の日もありましたし
大阪国際女子マラソンもありました。
友達の引越しもありました。

当然、あのときに
助けていただかなければ
どれも経験できていないことですし
このブログも止まったままだったことでしょう。
(更新されてたらこわい)

病院通いも何度か続き
ようやく全容が見えてきて
あのときにあんなにひどい目にあったのに
意外に軽症だったのには
驚くばかりです。

人間の命って、ホント
もろく、あやういものなんですねえ。
ほんのちょっとのことで
あるとない、
生と死がわかれるんですねえ。

年が明けて、一発目の診察で
「ウォーキング」のお許しが出て、
歩き始めたdoiron。
こっそり、1~2キロのジョグも入れて
身体を動かしながら
精神(こころ)の回復を待ちました。
少し上気したほほに、
冬の冷たく澄んだ風が心地よくて
「ああ~、やっぱり運動はいいなあ」
と思うと同時に、
そうしてたとえわずかでも
身体を動かせることに
感謝する気持ちでいっぱいでした。

そして、最近ようやく
ドクターの最終判断で
心臓に関しては
ほぼ問題なく回復しているということが
わかりました。
でも、そこはもう今年まもなく55歳を迎える身です。
心臓以外にも、怪しいところは
いくつかあって、それらを含めて
定期的な検査を欠かさず
続けることは、まさに

「一病息災」

であると、良いほうに
考えながら、かつてのような
無理は出来ないなと思っている今日この頃デス。

だって、全力で5キロや10キロを
走ってた頃は何度も口から心臓が飛び出してたもん。
よく拾い上げて元に戻したものです。
また、走っている途中、
胸の辺りが焦げ臭くて
気がついたらオーバーヒートしていて
煙を吐きながら走ったことなんかも
日常茶飯事でした。
トライアスロンの時なんか
血液が沸騰していて
飲んだ冷水が
あっという間にお湯になったりしてましたぜ。
萩では、断裂した筋をだんご結びで
結んでしのいだこともあるし
意識が朦朧となり
耳や鼻から脳みそが何グラムか
流れ出したこともありましたなあ。
ま、そんな無理は決して
オススメできませんがね。
もしやってるんなら、即やめたほうが
身のためですから・・・。

と、そういったわけで、
(どんなわけやあ)
そんな無理はもうしないでおきますが、
楽しくジョグやサイクリングや
プールの水遊びは
続けていこうと思っていますし
すでに始めています。

さて、表題の近頃の練習なんですが、
2時間のウォーキングや
8キロを一時間かけて走ったり、
の~んびりと1キロ泳いだりしています。
そうそう、エアロバイクで
本を読みながら
一時間漕ぐというのも
なかなか充実した時間を過ごせて
ちょっとしたマイブームです。
もちろん、ビールやチューハイで
肝臓のトレーニングも。
ま、こちらはどちらかといえば
完全復活!なんですがね。
また公園のゆっくりジョグや
のんびりマラニックにでも
誘ってやっていただけたらと
考えておりますです、はい。

目下のところは早く暖かくなって
桃や桜など春の景色を愛でながら
サイクリングサイクリング、ヤッホーを
しようというのを目標に
したいなと思っています。

月刊走行距離

2011年01月31日 22時32分49秒 | マラソン

マラソンの日々のトレーニングで、
どれくらい練習をしているかを表す指標のひとつに

「月間走行距離」

というのがある。

大雑把に言うと、
ある程度のレベルで現状維持をしようという人にとっては、
月間200kmが望ましく、
レベルアップをはかっていくためには
月間300km、
フルマラソンで3時間を切る、
すなわちサブスリーをするためには
月間400km以上走ることが必要と
doironは教えられてきた。

ただし、これは一般的な話であって、
中には月間200kmそこそこの練習で
サブスリーをする人もいるし、
月間500km以上走ってもサブスリーできない人もいる。

前者の例がkaisanで、
後者の例がまさしくdoironそのものである。

doironがこれまで月間に走った走行距離で
一番長かったのが、
今から10年前の4月で、
月間610kmを走ったことがある。

このときのことは今でも鮮やかに覚えている。
2ヵ月後のサロマを目指して
ひたすら走りこみをしていた頃だ。

その月も残すところあと3日に迫った28日(日)。
午前中に職場の仲間と
50kmのマラニックをし、
午後から15kmのジョグと
合計65kmを走った。

このとき、一緒にサロマに行くことになっていた
ルネのS原クンと
練習の距離を競っていて、
僕が職場の連中と午前中に50キロを走ったと聞き、
負けじと彼は60kmを走ったらしい。

夕方飲み会に現れた彼は、
「doironさんは午前中に50kmを走ったそうやけど、
僕は60km走りましたよ」
と自慢げに言うのであった。

それを聞いたdoironは、
「あの後さっきまで15km走ってきたから、
僕は今日は65km走ったで」と返すと
彼はがっくりしてましたな。

それを聞いてたほかの仲間たちの呆れ顔が
今も忘れられません。

翌日はさらに堺シティ応援も兼ねて10km走、
その翌日は通勤ラン含めて30kmを走り、
結局3日間で105kmを走った。

おかげで、このときの月間走行距離が610kmになった
とこういうわけである。

さすがにこの二ヶ月後のサロマ湖100kmは、
自己ベストの9時間30分で走ることができ、
念願のサブテンは達成したが、
結局そのシーズンのフルマラソンは
3時間5分と
やはりサブスリーはできなかった。

サブスリーというのは
スタミナだけでは絶対無理で、
ある程度のスピードも絶対要求されるんですな。

時は流れ、それから10年後の今月。
ようやく月末を迎えてダイアリーを
集計してみると
月間走行距離は
ウォークの距離さえも含めて
ようやく60kmくらいしかない。

その昔、一日で走った距離よりも短いわい。

ま、今月は退院して間がないから仕方ないね。

来月はまず100kmくらいを目指してみますかね。

それにしても移動距離は減ったが、
月間アルコール量は、
新年ということもあって、
こちらは確実に増えているのじゃがね~