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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

岬町の学文字山1

2021年02月18日 21時13分39秒 | ウォーキング

緊急事態でついついお出かけを
遠慮しがちなので、
ウロウロ歩きのネタが少なくなっています。

今日は、先日飯盛山に行った時に、
ネットでいろいろ探ったら、
同じページの下に
岬町の学文字山散策コースというのが
出てきましたので、
そこに少し興味を持ちました。



藤原源蔵清正という人が
文字を教える家に住んでいた
などという名残で
こんな名前の山になっている
という説があります。

ここにはまだ行ったことがないし、
気軽なコースみたいに
書かれているので行ってみるかと
思ったのです。

もしかしたら、昔ジダンと
この近くの山をウロウロ
していたかもしれません。

でもまあ登ったという記憶もないので
このあたりに行ってみよう
と思ったのでした。

この日は珍しくお弁当を持って
出かけてゆきました。

国道26号を車で走ってゆきます。

しかし今の時期、
天候はガラッと変わることもあります。
なんと岬に着く前に
もう雨がふり始めたではないですか。

少しくらいは頑張って歩くか
とも思ったのですが、
ちょっとこの日は雨量が多いですねえ。

これで下見はちょっと無理です。

ではどこか景色のいい所の
公園の東屋でもあるところに行き、
のんびりと弁当でも食いますかと、
以前歩いた松風庵のある公園へ
行くことにしました。



この辺のことはいきいきパークと
呼ばれていたりします。

モトドリ山とかいう山も
こちらにあるそうですが、
かなり雨もきついです。

岬町の多奈川地区多目的公園
へと向かいましょう。



雨の平日ですねえ。
ここにはほとんど人がいません。



一家族だけアウトドア車で
やってきていて、
車の後ろで食事をしている風景が
あるくらいでした。

リュックにお弁当を入れて、
公園内の東屋に行きますと、
もう山の中の公園を独り占めです。

湯を沸かして味噌汁を入れ、
遠くに鳥の声や雨音、
風の歌を聴きながら優雅に食事です。



この辺の山は静かでいいですね。
もう少し暖かかったら
昼寝をしたいような気分です。
気持ちもまったりして、
この日は帰宅をしてゆきました。

そして月も変わり、
2月に入ってすぐでした。
曇り空の中、再度岬町まで行き、
学文字山に登ることにしました。

雨はなんとか行けそうですが、
風は強くなりそうな天気ですね。

ウインドブレーカーを着ていかないとね。

地図をコピーし、お弁当を持ち
では向かっていきましょう。

ここんところ、南の方にはよく行ってます。
先日の飯盛山もそうでした。
なので車も迷うことなく進んでいきます。

26号線からみさき公園の
ところに入り、寂しくなった
公園の景色を横に見ながら、
深日中央の交差点を右折してゆきます。

左側にオークワのスーパーも
見えてきますねえ。



ここの駐車場に車をとめても
いいのですが、とりあえずは
深日港の駅まで行き
深日港観光案内所「さんぽるた」で
地図をもらいに行きましょう。

海の方に入ってゆきますと、
あちゃー、なんと案内所は休みです。
月曜日はあきませんねえ。

でもそこの案内所の駐車場に、
何台か車が止まっています。

釣り客かなあ。
なのでそこに駐車して歩くことにしました。

まずは、先ほど見たオークワの方に向かいます。
あの店辺りが登山道につながっています。

そこでトイレをすまし、
すこしお店を見てゆきました。
あ、お弁当も品数多く売っていますねえ。
おべんとうを持ってこなくても、
ここでお茶も一緒に買って
歩き始めるのもいいかもしれませんね。

コースの目の前には山々が見えていますが、
どのあたりかなあとか
思いながら歩き始めます。

続く

 


狭山池の池底を歩いて3

2021年02月16日 20時54分30秒 | ウォーキング

歩くコースは西側堤防の
北部の方にやってきました。

池の底部を時計回りに
回っていることになります。
目の前の池には小さな神社が
見えていますね。



そしてまわりには水がなく、
このイベントに合わせて
降りれるようになっているので
降りてゆきましょう。



ここは龍神社と言います。

前回の狭山池の時に描きましたねえ。
ここにメスの龍がいるんだ
という事になっていますねえ。

そしてその神社の前には、
直径20mくらいの大きなくぼみがあります。
これが竜神渕と言われるくぼみです。



昔の狭山池を描いた古い絵にも
この淵は書かれてあったそうです。
堤防からはその淵の底は
どうなっているのかわかりません。
なので池底ツアーでは
まじかに見ることができるだろうと、
今回はここに来るのが楽しみのひとつでした。

いろんなことを案内の人が言います。

ここには相手のオスの龍が
いるんだとも言ってました。

底はどうなっているんだろう
というのが、ぜひとも
見てみたかったんです。

そこを見てみますと、
水が溜まっている状態です。
なにか大きな岩でもあって、
そこに隙間があり龍が出入りしている
状態ではありませんでした。



でもまあ昔からほられてある淵ですから、
皆さん興味深く眺めていました。

するとそのときです。
参加している家族の中には
子供を含んだ家族がいましたが、
その子どもがそこに向かって
石を投げ入れているのです。

池の底ですからそういう
石が入ることもあるんでしょうが、
みんなが興味を持って眺めているのに
そこに石を投げ入れるって、
親も起こりなさいよって感じです。

うちの息子なら
「そんなことしたらあかん!」と
怒るのですがねえ。
なんか無意識に、自覚のない子供を
育てているような親は
見ちゃおれませんね。

その竜神渕はよく見ると、
ただ穴が掘られているだけではなくて、
プラスチックの堤防で
補強もされているようでした。



もしかしたらあの底から
龍が舞い上がったりして、
なあんて想像をしてしまいました。

竜神渕を眺めた後は、
龍神社の周りをグルリンと一周。



小さな祠が立っているのですが、
足まわりにはかなり立派な
石垣がありますねえ。
そこから見る池には少し水が
溜まっているところもありました。
野鳥も多いですね。



あれ?水の中には小さな島が
二つありますよ。
あれは何でしょうと聞いてみると、
どうも水が増えたときに
酸素を送り込む装置なんだそうです。

嫌気発行してアオコが発生するのを
防ぐ装置ですね。
ここから流れていく水は、
大和川までたくさんの町の中を
流れてゆきますから、
その浄化のためにあるんですねえ。

噴水なんかがよくある装置
なんですが、酸素を吹き入れるって
まあすごい装置ですねえ。

さあこれで池底の見学は終わりました。
次は博物館の中ですねえ。
堤防をさらに歩いて、
北側にある博物館に入ってゆきます。



この博物館は安藤忠雄の
設計で建てられています。
有名な設計者ですね。



近つ飛鳥博物館もこの人の設計です。



このツアーではここの博物館に
無料で入れるぞと思っていたのですが、



なんとこの博物館は普段でも
無料で入れるそうです。
ちょっと拍子抜けでした。



中には、池の説明版や、



中から発掘された樋などの
でかい模型が展示されていました。



グルリンと一周して、
展示室でツアー参加の記念品をいただき、
このツアーも終了です。

風の強い日でしたが、
日差しは暖かく、
いい勉強ができました。

翌日Y新聞に掲載されていましたよ。

絵がS経新聞に載った週でしたので、
一気に二つの新聞をにぎわした
doironだったのでした。


狭山池の池底を歩いて2

2021年02月15日 21時03分20秒 | ウォーキング

大阪狭山池は、農業の灌漑のために
作られた池ですが、
昭和57年にその池から
流れ出る西除川で大水害がありました。



合流する大和川の直前で
すごい量があふれだしたのです。
その時doironは水害が発生した自治体で
働いていましたので、大騒動でした。

連日水害現場に行き、
清掃と消毒を繰り返しました。
まああの時の記憶はすさまじいものでした。
被害を受けられた方は
もっと大変だったんでしょうが、
後始末の我々も大変な作業でした。

そんな水害を防止するために、
水門が作られ排水機が設置される
などしたのですが、ここ狭山池も
大きく回収されました。

ため池だったこのダムが、
水害防止用の狭山池ダムへと変貌したのです。

まあもともと4000haを灌漑していた
このダムの水も、田んぼ類が300haにまで減って、
その役割を大きく減らしていたのですが、
こうして改修することによって
新たな役割を与えられるようになりました。
なので、この時期のように
灌漑に使わないときには、
こうしてできるだけ水を抜き、
大雨に備えているようになったそうです。

とまあそんな話を説明員に
聞いている間に、もう次の班が
池底に降りてきました。
なにせ150人のツアー参加募集のところに
361人の応募があったので、
もう定員はいっぱいです。

10名程度に分けた班が
どんどんやってきます。

数班ごとに数名の説明員が
話しているのですが、
あまりゆっくりやってると
次の班が入ってこられません。

おおむね説明が終わると、
誘導員に引っ張られて
移動してゆきます。

このあと1班はため池の南東の
端っこにあるワンドを見に行きました。



ワンドは(湾処)と書きます。
川などの本流とつながっているところが
土手などに囲まれて
池のようになっているところです。

淀川歩きをしているとき
たくさん見ましたね。

この狭山池にもそんなワンドがあります。

池の水を抜くのですが、
魚などはこんなワンドなんかに
逃げ込んでいるんでしょうねえ。

このときにはあまり魚などが
バシャバシャしているような
状況はありませんでした。

生物多様性を狙って整備された
ワンドではなく、自然のワンドなんですねえ。
見学が終わったら
そこから湿った土の上を
じとーっと歩いて戻り、
さあ池南部の底見学はこれで終わりです。

また堤防に上がって
今度は池の西側の堤防を
北上していくことになります。

池底見学の間、写真をすごく熱心に
とっている人がいたので、
つけている腕章を見ると、
Y新聞の記者でした。

こんな取り組みの取材をしているんでしょうねえ。

写真は撮れましたかあとか
話しをいろいろしていると、
その記者は東大阪の支局にいたことが
あるそうです。
ああ、行政の担当だったこともあるんですね。

doironの過去の仕事を明かしつつ、
その新聞社の記者の名前を
4人ほど上げると、
ああ、その記者はもういませんねえ
とかいう情報をお聞きしました。

Y新聞の記者には事件の時に
大変お世話になったことなんかを
伝えておきました。

堤防を歩いていると、



誘導員からいろんな説明が出てきます。
池の西側には西除川が続いています。
その上にある大きな堤防が西側にあり、



これがこの池の最上位を
示す高さである説明がありました。

「池の水はこの高さを越えると、
どんどんここに流れてゆき
池周辺の水害を防いでいるんです」とのこと。

何気ない池の景色の中にも、
よく聞くと池管理者のいろんな思いが
詰まっていたりするんですねえ。

続く


狭山池の池底を歩いて1

2021年02月14日 21時01分38秒 | ウォーキング

昨年末に、鎧・兜の山に行った翌日です。

くたびれた足をいやそうと、
現在水を抜いているという
大阪狭山池に歩きに行くことにしました。

あんなに水をためていた池が
こんなに空っぽ状態に近くなる
とはねえとか思いながら、
てくてくと堤防を歩きつつ
足をほぐしてきましたよ。

あの時は残念ながら博物館も休みで
入れなかったのは残念だったなあ。
でもねえその博物館の掲示板で
気になる情報を見つけたのです。

1月30日に池底&博物館ツアーが
行われるというポスターです。



説明員がついて、ふだんは進入禁止の
狭山池の池底を歩けて、
博物館にも入ることができる
ということが書かれてあります。

これはこの日に覗けなかった
竜神淵の底だけでなく
博物館にも入れるぞーと
面白そうなのでこれはぜひ参加してみよう
と申し込むことにしたのです。

定員は150名で応募者が多ければ
抽選ということになるそうです。

で、ある日その抽選結果が届きました。

当選通知でした。

ああこれは楽しみです。
前回狭山池に歩きに行って、
気になってわからなかったことを
いろいろ勉強しに行きましょう。

受け付けは、12時から12時半までの間に、
あのさやま遊園の跡地のひとつである
公園で行われるようです。

早めに家を出て、池の近所のスーパーで
昼飯をたべ、車もそのスーパーに
停めたまま、歩いて受付に向かいました。

受付をしていたのは、
狭山池東面にある「さやか公園」です。



この公園は、さやま遊園の跡地を利用した公園で、
防災倉庫や耐震性貯水槽などの
防災機能を持つ公園です。



着いたのはちょうど12時頃で、
受付をしたらちょうど1班に
入ることになりました。



13名が集まって、さあでは出発です。

では行きましょうとなった時に、
男性が一人「トイレに行ってきていいですか」
と申告されました。
これは同意してついて行かないといけませんね。

みんなが揃ったらすぐに出発です。



まずは東側の堤防を歩いて、



池の南側から池底に入っていくことになります。



この日はいい天気でしたが、
風の強い日でした。
池の周りには日よけもなくて、
冷たい寒風が吹きすさぶ寒い日でしたね。
南側の堤防から坂道を降りて、
ここからは進入禁止ですというゲートが
あけられていたのでそこから入ってゆきます。



堤防の底は、若干湿った土で、
これくらいの足跡が付くような感じでした。



下まで降りてゆくと。
まず最初の池の説明員が
狭山池の説明を始めました。



この池は日本最古の現存するため池です。
掘り出された東樋の木の年代から
作成されたのは616年頃と
言われていますから
もう1400年前ですね。

池の周囲の長さは2850mで
水量は現在280万tと言われています。

で、こう書くと我々にはやはり
地元のため池である久米田池と
比較してしまいますね。
久米田池の周囲は2650mなんですが、
円形であるため水の面積では
大阪狭山池よりは水面積はひろい池です。
なので、久米田池は大阪府内最大のため池
ということになります。
しかし、水量はというと、
大阪狭山池の堤防は18.5mも
あるので狭山池の方が
100万t以上多いようです。
そして久米田池が作られたのが
738年なので歴史的には
大阪狭山池が100年以上古いようです。

なのでこの池は日本書紀なんかにも
歌われているようです。

要約すると、古さと水量では大阪狭山池、
水面積でいうと久米田池が広い
とまあそんな感じです。

続く


飯盛山を山盛りで歩いた5

2021年01月11日 21時35分52秒 | ウォーキング

ここが本日3つ目のピークである藤戸山です。



なぜこんな名前なのかはわかりません。

このあたりは森のような景色が続きます。



結構緑の多い道なので、
景色もあまり見えませんが、
時折谷筋の畑の建物が見えたり、
木々の合間に自動車道の高架が見えたりします。

さあピークはあと一つ「高野山」です。

「たかのやま」と読みます。
最初地図を見たときには
気になる名前ですよねえ。
なんか由来があるのかと思って
調べましたがわかりませんでした。

高い野原のような山、
なんですかねえ。

尾根道を下ってゆきます。

意外に距離が長いですねえ。
途中こんな急な下り斜面が
続いたりしているので、



あともう少しと思いながらも
足の疲労で怪我したりすることの無いように、
「滑らないように~」とか
声をかけながら下ってゆきます。



それにしてもかなりの急坂。
前回はこれを登ったんですねえ。



時折倒れたりしている木を
くぐったりしながら、
ようやく本日最後のピークである
「高野山」に到着です。



たくさん歩きましたねえ。

ほんまに盛りだくさんの山でしたね。
人によってはもうかなり足にきています。

そんな中で
「今日の飯盛山はハイキングですか?
登山ですか?」と聞かれたので
「登山です」と答えておきましたよ。

「そやろねえ。こんなに足にきてたら
登山やね。帰ったら登山してきた
と自慢するわ」と嬉しそうに
しゃべっていました。

さあでは最後の難所です。
その高野山からウバメガシの
トンネルのような山道を下っていきます。



これでもか、と下ったところで、
何とか「高仙寺」に到着です。



和泉山脈には役の行者が
法華経二十八品になぞらえて
設置した二十八の行場がありますが、
高仙寺もそのうちのひとつとされています。

ここには役行者の母のお墓もありますねえ。



本殿に「無事にここまで来れました」
とお祈りして「登山」を締めくくりました。

あとは長い階段を下りてゆきます。



山門は立派ですねえ。
仁王さんもいますが、



以前ここに来た時もありましたねえ。
木で作られた「わに?」も
鎮座していました。



階段を降りてしばらく行くと、
経塚もありますねえ。



そんな野道を孝子駅まで歩き、



タイミングよく来た電車で



みさき公園まで移動です。

この孝子~みさき公園の駅の間が
南海本線で最も距離が長いようです。

電車で移動すると
「結構歩いたなあ」て感じになりますね。

電車を降りたら、何人かは
「エレベーター」を目指します。
それだけお疲れになったということですね。
この「みさき公園駅」なんですが、



駅名も変わるのかなあ。
先日出かけた狭山池も昔は
「狭山遊園駅」だったのですが、
遊園地がなくなって1年後に
「大阪狭山市駅」に変わりました。

ここも「岬町駅」になるのかなあ。

せめて駅名だけでも
「みさき公園駅」を残しておいて
ほしいですね。

その駅から2、3分歩いて駐車場に到着です。
全員けがもなく無事に車で帰宅していきました。

道も間違えなかったし、
ピークも4つ越えて、
盛りだくさんの飯盛山登山でした。

気持ちい天気だったので最高でしたねえ。

結構な距離も歩いたし、
9人という大パーティですが
誰もケガとか故障もなく、
無事に目標達成です。

お菊山のように迷ったろどうしよう
というちょっとした危機感もありましたが
大丈夫でした。

doironの年間登山の第3位の
山行きとなりましたとさ。

皆さんお疲れさまでした。


飯盛山を山盛りで歩いた4

2021年01月10日 21時19分55秒 | ウォーキング

飯盛山に山頂案内板をつけました。



また今度ここに来る時に
ちゃんとついているかどうか確認すること、
それもまた楽しみのひとつになりますねえ。

山頂広場のすぐ横にはこんな祠もあります。



このあたり、なんか修験臭がしますよねえ。
役行者の修行所があったり、
下には彼の母親関連の寺もあったりします。
そんな祠を見ながら、
では孝子の方へと下ってゆきましょう。

結構な急こう配も結構ありましたので、
ここからは下りがメインと聞くと
ホッとしますねえ。
こんな鉄塔の下をくぐり、



多くの人が集まれそうな広場もこえたら、



右に鳥居が見えてきました。



小さな石の案内がたっており、
「千間寺址」と書かれてあります。



そうここにはかつて「飯盛寺」
という寺があったそうです。
役行者が開いたお寺です。

そこは室町時代に根来衆に
支えられて栄えた寺だったのですが、
千間寺と名を変えて
織田信長に攻められて焼失しました。
今もこの寺のあたりには
瓦が散乱していたり、
井戸の後があったりします。

しかしまあこんな山の中に
よくぞお寺など建てたものです。

そんなお寺跡を過ぎてなおも進んでいくと、
左に下ってゆく道がありますよ。



ここが前回みさき公園に降りられず、
淡輪方向へと下って行った道ですね。

いろんな石像なんかの置かれた
谷筋をくだってゆきました。
まあ今回は予定通りに孝子の方へと
進んでゆきます。



そこからすぐに札立山分岐に出ます。



ここから分岐を左に行ったら
「札立山」にでます。

あ、何かいわれのありそうな名前ですね。

このあたりの山は修行や軍隊の
施設だったそうですが。

「南無阿弥陀仏」と書いた札を立てたとか、
「欲しがりません。勝つまでは」
という札を立てたんでしょうか。

いえいえそんなんではありません。
実は食べ物なんかの大阪の入札額を、
昔は驛傳ということで人々が走って
和歌山まで伝えたんだそうです。

その額に基づいて和歌山を
出港したそうです。
その情報伝達で大阪側の走る人が
この札のある場所で和歌山側の
走る人に伝えるという事が
むかしあったそうです。

まさにそんな驛傳の中継所
だったわけですね。
もちろん今の陸上競技の語源です。

でもここまで全力で走ってきた人も、
再度ここから下りていくのは
大変だったでしょうねえ。
当時の走る人の走力は
10kmを40分程度だったそうです。
山道ですからねえ。
山の神と言われていたかもしれません。

そんな札立山へ続く道の分岐点がここですね。



ジダンはここから札立山へと
向かったそうですが、
こちらは右折して高仙寺から
孝子方面へと向かいます。

かなり来ましたねえ。

もう今日のコースのあと残りは
五分の二くらいでしょうか。

途中、右に曲がれば孝子駅の
案内もありましたが、



これは高仙寺を通らずに、
奥山谷に出て奥孝子の村中を通り
駅へと向かって行く道をさしています。

今日は高仙寺へと向かう
予定なのでそのまま進んでいきましょう。
けっこうな下り道で、
このあたりにも季節外れの
つつじが咲いていたりしますね。



そして紀州備長炭になる
ウバメガシの木も増えてきます。



また、のこっているたくさんの
渋柿なんかも眺めながら
ワイワイと進んでいくと、
遠くで工事をしている音なんかも
聞こえてきましたよ。
だいぶ人里に降りて来たようです。

そして到着したのが「藤戸山」です。



この山も稜線上の小ピークです。
表示がないとわからないと
書かれてありましたが、
どなたか親切な人がちゃんと
案内を取り付けていました。



案内板もこういう目立たない
ところには有効ですねえ。

続く

 


飯盛山を山盛りで歩いた3

2021年01月09日 21時24分02秒 | ウォーキング

岬公園から飯盛山に向かう山道で、
こんな巨木が倒れていました。



きっとあのdoiron家の屋根瓦を
吹き飛ばしたあの台風やねえ。
それにしてもこんな立派な根っこを
持つ木が倒れるって自然の力はほんとにすごい。

そんな倒れた木の先にあるのが

「提灯講山」だ。

標高は198m。
山の案内本では稜線上の小ピークで
案内もないと書かれてあったが、
こんな案内が気にくくりつけられてあった。



それにしてもなんか複雑な理由のある
由来がありそうな名前ですねえ。
地元に「提灯講」があったのかなあ。
この山が、今回の一つ目のピーク越えです。

でもねえ地図を見てみると、
飯盛山への登りの半分も
まだ来ていないようです。

向こうの方に飯盛山も見えていますねえ。



まだまだ上り下りもありそうですし
大変そうですねえ。でも頑張りましょう。

このあたりは漆も多いですねえ。



思わず木を持って力を入れようとするときは
注意しないといけません。

そしてところどころにつつじも
季節を間違えて咲いていたりもしますが、



全体的にシダ類が多い何となく
湿っぽい山道になっています。

途中では、松茸山で立ち入り禁止の
ロープが張られていたりもしますね。



阪南から岬町のこの辺りは
松茸も多いんですかねえ。

一方でところどころに
こんなザレ場もあったりします。





砂がはみ出しています。
普段ならなんてことはない道なんですが、
万が一変に滑ったりすると
谷底にすいこまれていきそうな
場所もあるので要注意です。

そしてここの道は痩せ尾根の稜線です。



面白いですねえ。
一般のハイキング道なんですが、
ところどころに変わった表情があって
楽しませてくれるのがいいですねえ。

前回、この飯盛山に来た時は
この道を逆に下ってきたのですが、
あの時は途中で道がすっかり消えていました。
今はこんなにはっきりした道もあるのに、
どうなっていたのかなあと
不思議な感じがしますねえ。

こんな案内に沿って、
登り始めはあれほど騒がしかったのに、
今は静かにハアハアと登ってゆきます。



木の階段のようになっている
場所もありますが、
枯葉が道に拡がっていて、



ところどころで足場を誤りますので、
そのことにも注意してゆきます。

山は安全に見えても
いろんな危険をはらんでいます。



やがてこの案内が見えた
すぐ後にようやく到着しました。
ここが飯森山山頂です。



大阪湾の方を見下ろす立派な
展望台がありますねえ。

本日二つ目のピークです。
まあここが目的地でしたね。

標高384,5m。

飯盛山という名前の山は多い。
ネットで見るだけでも50以上ある。
山の形なんかによるんでしょうねえ。

ここも飯盛山の名前にふさわしく、
ご飯を持ったお茶碗のてっぺんから
多奈川、関空方面も見えています。



たしかここには三角点もあるはずなんですが、
しっかり探し忘れてしまいました。
前に来た時は見つけているのにねえ。



この時の時刻は12時過ぎで、
登り始めてから約二時間強で到着です。
さあでは昼食にしましょう。



今回はガスコンロを持ってきてますので、
どん兵衛年越し版とおにぎり一個です。

もう山のこんな眺めのいい山頂で、
風に吹かれながら、青空見上げながら
食べる昼食は最高です。

参加されている皆さんも、
カレーご飯とかいろいろと
考えられて持ってきており
昼食を楽しんでおられます。

いやあの登りで静かだったグループも
ここではにぎやかなこと。

そんな昼食後は、
山頂の案内板を取り付けます。



え~っとこんな感じで作業をして、
山頂の木の裏側に
やさしく取り付けました。



風で飛んだっていいのです。
材質は木と布紐ですから、
なんくなってもそれでもいいのです。
自然に遠慮しつつ取り付けました。

続く

 


飯盛山を山盛りで歩いた2

2021年01月08日 21時18分35秒 | ウォーキング

みさき公園駅前のローソンに
9時15分に集合することになりました。

和泉に8時半集合なので、
それくらいの時間になるでしょう。
doiron3人を車に乗せて出発です。

国道26号線で岬町まで行き
そこから5分くらいで到着します。
たどりついたのが午前9時16分。
ほぼ予定通りでした。

奈良から来た友だちはすでについています。
ここで昼飯のおにぎりとどん兵衛を買い、
トイレも済ませて待っていると
もう一台も合流です。
田舎で待ち合わすときはコンビニが
わかりやすくていいですねえ。

そのコンビニから車で30秒くらいの
駐車場に車をとめて、さあ出発です。



ここから飯盛山を越えて

孝子までのコースです。

そうそうラインで地図を送った時に
「孝子駅」というのが書かれていましたが、
この駅名を知らない人は
「たかこ駅」だと思っていたそうです。

孝子という名前には2説あります。

橘逸勢もしくは役行者に基づく話ですが、
いずれも親孝行な子どもという
とこらから来ているんだそうです。
そうかあ。
恐れ多い地名ですが、
まあもう親もいないことだし
知らん顔しときましょう。



登山口は駐車場の横の登り道です。
こんな案内や道標があります。
そこは住宅街なんですが、
びっくりするような元気な声で、
ワイワイと話をしながら登ってゆきます。



しばらく歩くと夕野池が右手に現れます。
第11代垂仁天皇がここに
生えていた木で船を作らせ、
舟遊びを楽しまれたという池です。



その池の所には、飯盛山に向けての
住宅街を歩く経路も地図に
書かれてありました。
それを見てると、そこに車をとめていた
男性から声がかかりました。

「飯盛山に行くんかあ」

「はいそうです」

「住宅街の中でも驚くような
道があるからそれを登っていくんやでえ。
気を付けて」と言ってくれました。

あのお菊山でもそうでしたねえ。
これから山に向かって行く時に
声をかけられました。
あの時は「大山方面は道があれてるよ」
との言葉だったのに、
間違えてその大山方向に行ってしまい
ジャングルに迷い込んでしまいました。

でもこの夕野池の人はやさしい言葉でしたね。
感謝しつつさらに登ってゆきます。
急な階段が驚くような急登になっており、
結構急で、先程まで元気にしゃべっていた
人たちも急に静かになります。
ああ、話し声の大きさで
皆さんの元気度がきれいに判断できますねえ。
まだまだ住宅街を登るのかあ
と思ったところで左に登っていく
山道が始まります。



これがまあ本当の登山口ですね。
地道になって急な階段を
これでもかと登ってゆきます。

もう団体さんも静かですよ。
まだかまだかと登って行ったところで
国道26号線の道路に突き当たります。



ここをぐるりんと巻いて、
下をくぐったらまたすぐに登り道が始まります。



ここにこんな自動車専用道を作るために、
通行止めになっていたんですねえ。
道は本格的に山の登り道に入ってゆきます。



ところどころにこんなつわぶきが
あったりするのは、岬の方の山なんですねえ。



わかりにくいのですが
「飯盛山」と書かれた道標なんかも
それとなく残っています。



バックにはみさき公園跡の景色も見えますね。



「あそこは何になるんやろねえ」
とみんな言ってます。
巨大なマンションかなあ。
もしかしたら巨大な老人介護施設なんかできて、
観覧車が出来て「天国に近づけます」
とか「あそこに地獄が見えるぞう」
てなったりしてと笑ったりしていますが、
何のことはない、
doironも含めて皆さんもそこに
近づきつつあるんやでえと反省しました。

続く

 


飯盛山を山盛りで歩いた1

2021年01月07日 20時56分34秒 | ウォーキング

これもまだ昨年の話です。

チンタラ山の会で昨年夏以降に
いくつかの山に行きました。

鎧・兜なんかはとてもよかったですねえ。
思惑通りに二つの山を登頂出来てよかったです。



でも一方で、道に迷って
ジャングルのような林の中をめぐった、
別の意味ですごかった
「お菊山」なんかもありました。



そのお菊山も、雨、ジャングルと登頂できず、
いよいよ3回目の山行きを計画していたのです。

さあ3度目の挑戦だあと迎えたその日は、
凍り付くような寒い日でした。

これでは結局山頂は雪におおわれているか、
凍っているぞという感じです。



結局まあこの日もそんなわけで、
朝一で中止と決まりました。
まあ山は逃げないですし、
リベンジ登山ですから条件のいい時を
狙おうという感じでいいんじゃないですか。

doironも少しほっとしたくらいです。

で、その次の週にもう一度山登りを
計画していたので、じゃあその日に
リベンジお菊山となることを
想定していたのですが、
どうもその予定は変わったようです。

あんなに阻まれたお菊山ですから、
すこし時間を空けた方が
いいかもしれないという
思惑があったのでしょう。
人生の酸いも甘いもかき分けてきた
塾齢の皆さんですから、
ここは少し沈黙しておこうという
奥ゆかしい感じになったのかもしれません。

じゃあ、この日はどこへ行くか
というのを検討しましたが、
どうも泉南方面の山には行きたいようです。
で、いろいろと考えたのですが
最終はどうも以前に行った
岬町の飯盛山に行こうという話になりました。

案内してなあと言われましたが、
う~ん、これはプレッシャーです。
以前は登り口の孝子の方も
降り口の岬町方面も、国道26号の
延伸工事で大幅に変更になっていました。
登り口は何とかクリアーしたのですが、
降り口の岬町の方にはどうしても行けず、
また山に登りなおして
淡輪のほうにやっとこさ下りて行った
という感じでした。
なので、今回は岬町から上がって、
孝子の方に降りていくという
ルートも大半が未踏です。
これは下手するとまた飯盛山ジャングルに
迷い込まないかという心配があるわけですね。

「あの人とねえ、山に行ったら
ジャングルに引き込まれるよ」
なんていう、わけのわからない噂が
出てこないとも限りません。

なのでここは気合を入れて
歩かないといけないでしょう。

岬町役場なんかに先にいってみるか
とも考えたのですが、
ちょっと時間がなくていけませんでした。
だったらジダンに聞いてみるか
とも考えつつ彼のブログを
ちらっと見てみると、
なんと少し前に彼もこのコースに
行ってるじゃないですか。
そのことがブログに書かれてありました。

見ると道案内も結構あるようですね。
この山の登り口は、
以前2018年の夏に
この辺りを歩いた時に
わかっていますから大丈夫です。

そこからしっかり標識通りに
進んでいけば飯盛山につくということでしょう。

途中の標識の写真も掲載していたので
大丈夫なようですね。
そんなジダンのブログに加えて、
ネットでも岬町が掲載している
簡単な地図も手に入りましたので、



手持ちの山歩き本の地図は



少し古いのですがこれで補充すれば
大丈夫でしょう。

下見はいけなかったけど、
出来る準備は整いましたので、
頑張って出かけて行くことにしましょう。

今回この山行きに参加する人は
全部で9人と山盛り。
大阪から八人と奈良から一人で、
車3台で集合することになります。
集合場所はわかりやすくローソンにし、
そこから駐車場へと移動していきます。

続く

 


山足をほぐした大阪狭山池2

2021年01月05日 21時15分37秒 | ウォーキング

ここにはこんな伝説があります。

昔々、大阪狭山池には大きな
メス蛇が住んでいました。
そのメス蛇が4kmほど東にある
粟ケ池に住む大きなオス蛇に会いに
野原や田んぼをなぎ倒しながら
はっていきました。
なので途中畑にある人や動物も
みな飲み込んでしまうので、
地域の困りものだったそうです。

そこで、粟ケ池のオス蛇に
狭山池に住み着いてもらうように、
池の中に神社を作ったのです。

これが狭山池の「龍神社」です。

狭山池博物館を過ぎて歩いてゆくと、
池に向かって大きな鳥居が立っています。



それを陸から眺めたところに
小さな社があります。



それが龍神社です。



その神社の前には「竜神淵」と
言われる丸い大きなくぼみが見えています。



そこにはその大きなオス蛇が
龍になって住んでいるという噂です。
今回行った時も、神社のよこに
丸いくぼみが見えていました。
そのくぼみの底はどうなっているのかなあ
と思いましたが、堤防からだと
見ることはできません。
残念ですね。

でもそんな竜神淵の横も池底歩きのときに
歩かせてもらえるので、
中を臨むこともできるようです。

そう思うとますます見学会には
参加したくなりますね。
頑張って応募してみましょう。



そんな龍神社を過ぎて進んでいくと、
大きな碑のところに西除川
となる碑があります。



この辺まで歩いてくると、
歩き始めに抜いてったランナーが
もう3回目になるくらい
抜いてゆきます。

どうも一人はトライアスロン時代に
見た人じゃないかという人も
いたような気がするのですがね。

まあ声もかけずに静かに歩いてゆきましょう。



あ、何か木に注意事項のような
紙が貼られていますよ。
見ると「クビアカツヤカミキリ」
という虫を見つけたら、
絶対持って帰らずに、
その場で捕殺してほしいとのことです。
他地域で増えないようにです。



桜の木なんかを枯らしてしまうそうで、
今大阪府でも10町村以上で
見つかっており、駆除しているんだそうです。

山や他の地域でも気を付けて
みておくことにしましょう。

この湖も豊なんでしょうねえ。
鳥もいっぱいいます。
そんな観察をしている人も
何人かいましたねえ。

そして植物も蝶も種類が豊富で、





そんな案内板がフェンスに
貼られていました。

南の方まで来ると、もうほとんど
水がありません。



どんどん池の底も乾きつつあります。
これだけの水量も持てる池ですから
災害対策なんかにも有効な
働きをするんでしょうねえ。

そうそう、大阪狭山市のマンホールのふたは、
もちろん狭山池がテーマでした。



身近な自然、地域の人々に愛される
豊富な自然を眺めながら歩きましたよ。
てくてくと時折立ち止まったりしながら、
あるいはベンチに座って
お菓子を食べながらゆっくり歩いたら、
前日に山で疲れてきた足も
ちょうどいい具合にほぐれてきました。

人間の体ってうまい具合にできていますねえ。

自分の体にも自然の奥深さを感じますねえ。

さあそれでは今日の散歩は
これくらいで終わりにしておきましょう。
ぜひとも抽選に当てて、
狭山池いけ底ツアーに参加するぞ
と誓いつつ再開を誓ってお別れしました。



駐車場のスーパーまで行って、
無料駐車のお代替わりに昼食を食べ、
午後は泉北ニュータウンを
いろいろ眺めながらのんびりと
帰ってきたdoironだったのでした。