新井淑則(よしのり)著"全盲先生 泣いて笑っていっぱい
生きる"を読みました。
実際の話です。
新井さんは中学の国語の先生でした。奥さんは同じく
中学の音楽の先生です。三人のお子さんがいます。
二十八歳の時右目に網膜剥離を発症し失明、左目の
発症を恐れながら過ごしたが三十四歳の時に右目も
網膜剥離となり全盲になりました。
この本を知ったのは社報で紹介されていたからです。
全盲で普通中学の先生をしているということで、
どのようにして復職の道が開かれたのだろう、
どのように授業を行うのだろうと、想像がつかなかった
ので読んでみようと思いました。
全盲になった直後の半年ばかりは家に閉じこもり
荒れていたそうです。
やはり途中で障害を持ってしまう時はそうなって
しまうのですね。
その後家族に連れ出されて同じく途中失明者の話を
聞いたり、教職に戻れるんだよと何度も電話を
掛け続けてくれたやはり視覚障がいを持ちながら
高校教師をしている宮城さんなどによりひきこもり
より抜け出す努力を始めます。
国立身体障害者リハビリステーションで二ヶ月、
埼玉県総合リハビリステーションセンターで一年
厳しい訓練を受けます。
盲導犬を手にします。
片目失明後努めていた養護学校で復職訓練を受けます。
養護学校へ復職、盲学校をへて普通中学へと移ります。
普通中学での授業の方法は読んでいてとても中身の
濃いものす。きっと心に残る授業だろうと思います。
障害を得てもなお充実した人生は送れるんだと
いうことが伝わってきます。
障害を得るということは自分にも起こりうることで
そうなったらいったいどうしようと、考えるだけで
恐ろしいことだと思っていました。
受け入れて充実して生きていける道はあるのだと
わかったことはこの本を読んでいいことでした。
10年間、家族で海外旅行に出かけ様々な国の
障がい者の暮らしぶり、一般の人の態度などを
見てこられました。
日本はまだまだ遅れています。
気さくに声を出して助けを申し出る国々がありますが
日本では声をかけるということがほとんど行われ
ていません。自分自身をとってもとても声を
かけられません。そういう風潮が国全体にないので
やはり簡単にはできません。
どうやって復職したかの疑問は解けました。
日本は遅れているとはいえ、手をさしのべてくれる
人や施設はあり、道も開けているのだということは
うれしいことです。
一度読んでみるといい本です。
生きる"を読みました。
実際の話です。
新井さんは中学の国語の先生でした。奥さんは同じく
中学の音楽の先生です。三人のお子さんがいます。
二十八歳の時右目に網膜剥離を発症し失明、左目の
発症を恐れながら過ごしたが三十四歳の時に右目も
網膜剥離となり全盲になりました。
この本を知ったのは社報で紹介されていたからです。
全盲で普通中学の先生をしているということで、
どのようにして復職の道が開かれたのだろう、
どのように授業を行うのだろうと、想像がつかなかった
ので読んでみようと思いました。
全盲になった直後の半年ばかりは家に閉じこもり
荒れていたそうです。
やはり途中で障害を持ってしまう時はそうなって
しまうのですね。
その後家族に連れ出されて同じく途中失明者の話を
聞いたり、教職に戻れるんだよと何度も電話を
掛け続けてくれたやはり視覚障がいを持ちながら
高校教師をしている宮城さんなどによりひきこもり
より抜け出す努力を始めます。
国立身体障害者リハビリステーションで二ヶ月、
埼玉県総合リハビリステーションセンターで一年
厳しい訓練を受けます。
盲導犬を手にします。
片目失明後努めていた養護学校で復職訓練を受けます。
養護学校へ復職、盲学校をへて普通中学へと移ります。
普通中学での授業の方法は読んでいてとても中身の
濃いものす。きっと心に残る授業だろうと思います。
障害を得てもなお充実した人生は送れるんだと
いうことが伝わってきます。
障害を得るということは自分にも起こりうることで
そうなったらいったいどうしようと、考えるだけで
恐ろしいことだと思っていました。
受け入れて充実して生きていける道はあるのだと
わかったことはこの本を読んでいいことでした。
10年間、家族で海外旅行に出かけ様々な国の
障がい者の暮らしぶり、一般の人の態度などを
見てこられました。
日本はまだまだ遅れています。
気さくに声を出して助けを申し出る国々がありますが
日本では声をかけるということがほとんど行われ
ていません。自分自身をとってもとても声を
かけられません。そういう風潮が国全体にないので
やはり簡単にはできません。
どうやって復職したかの疑問は解けました。
日本は遅れているとはいえ、手をさしのべてくれる
人や施設はあり、道も開けているのだということは
うれしいことです。
一度読んでみるといい本です。