雑記帳

日常の出来事や、読んだ本のあらすじや感想など書いています。

「話を聞こうか」

2018-09-27 21:30:55 | テレビ・新聞から
ケーブルテレビでよく海外ドラマを見ています。
よく目にするのは落ち込んだり悩んだりしている
人に「たいじょうぶ」と声をかける場面が多い
ことです。
そしてその後に続くのは「話を聞こうか」です。
日本ではあまり見かけない場面です。
苦しんでいる人には直接その問題を話題にしない
ことが良いこととされているように思います。
多分日本ではそっとしておくことが礼儀みたいな
感じです。
「話を聞く」というのは相談に乗るとは別のもので
本当に話を聞くというもののようです。
問題から立ち直るためには話をすることが大切
なことと思われているようです。

日本では「話を聞く」、「辛い時には人に聞いて
もらう」という習慣がないですからこれをまねして
やってみてもきっとうまくいかないことでしょう。
でも少しづつでもやってみてこれが当たり前に
出来たらいいのになぁと思って見ています。

一軒家って何

2018-07-19 09:36:31 | テレビ・新聞から

言葉はどんどん変わっていくといいます。
「お疲れ様」が「こんにちは」や「さようなら」と
同異語として使われだしたのはそんなに昔では
ありません。
最初のうち朝っぱらから「お疲れ様」と言われると
この人何言ってるのって思いました。
かえってぐたっと疲れました。
しかし今は慣れました。
考えてみると日本語にはぴったりと合う挨拶の言葉が
ないのですね。
「お疲れ様」はどんな時にも利用可能な便利な言葉に
なっています。

最近気になるのは「一軒家」って言葉です。
私の認識では一軒家って畑の真中や山の中にぽつんと
一軒建っている家のことを言うと思っています。
しかし最近ではテレビのニュースでアナウンサーが
一軒家って言います。
ドラマでも一軒家って言います。
「一軒家」と聞くと頭のなかに野原にぽつんと建って
いる家が思い浮かんで1,2秒意識が止まります。
でもこの「一軒家」って「一戸建て」の家のことを
言っているのです。
マンションやアパートのような集合住宅ではない家の
ことを「一軒家」と呼ぶようです。
最初は間違えて言っているのだと思いましたがこれほど
しょっちゅう聞くということはもはや定着した言葉に
なっているということなんでしょうね。

では本当の「一軒家」を指す言葉はどうなるのでしょう。
たしかに「一軒家」でも意味はなすけど本当の意味が
薄れてしまったような気がします。

テレビを見ていて

2018-03-09 10:04:11 | テレビ・新聞から
昨日テレビを見ていました。
マンションを借りる場合、不動産屋さんで聞いて
みるといい質問があると言っていました。
それは「以前に住んでいた人は何年住んでいましたか」
というものです。
長い年月住んでいたということは快適だったという
ことだというのです。
なるほどと思いました。

しかし、しばらくしてあれっと思いました。
長く住んでいたから快適。
短かかったら問題があった。
そう決めつけられるものではありません。
短い理由の中に不快だったからというのもあるでしょうが、
仕事の都合でやむなく引っ越した、家族の都合で故郷へ
戻ったなどいっぱい理由があります。
長かったからといって全員快適だったとも言いきれ
ません。
職場に近いから我慢してとか、学校が近いから
変われないとかという場合があります。

だいたいにおいて長い=快適というのは正しいので
しょうが、短い=不快と決めつけてしまうといい条件の
ものを見逃すことがあるかもしれません。

平均的な居住期間はと聞いた方が正確なものが
得られるかもしれません。
結局は自分の感覚を信じて選ぶよりしょうがありません。

なぜこんなに不便なの

2016-03-13 07:50:27 | テレビ・新聞から
最近気づいてなぜこんなことになっているんだろうと
疑問に思っていたことが今日の新聞の日曜版に書かれています。
名鉄の名古屋駅の改札口から地下街に行こうとすると階段しか
手段がないのです。
大きな荷物を持っていると本当に困ります。
ほんの数段の階段ですが車いすの方はどうしてみえるのでしょう。
私はなんとか荷物を抱えて階段を降りられますがこの階段が
降りられないという方もみえるでしょう。
方法はないものかと考えてみました。
地上に出られるエレベーターはありますから一度地上に出て
それからJRの名古屋駅前の道路沿いにぽつんとある地下に
降りるエレベータに乗るか、隣接するビルのエレベータに
乗るかですね。
荷物が大きかった時に実際にやってみましたがめんどうですし
体力と時間が必要です。
名古屋の玄関口でなぜこんな不便をしいられるのかと疑問に
思います。

新聞から

2015-05-01 11:44:07 | テレビ・新聞から
今日の新聞にサリンを撒いたオウムの高橋被告の裁判の記事と、
嫌韓のヘイトスピーチをしている人の記事が載っていました。
一旦こうだと沁みこんだ考えは覆すことはむずかしいという
ことです。

人は誰でも意識しないで信念をもっていると思います。
それが正しいことなのか間違っているかは考えることは
そんなにないでしょう。
人に非難されずにすんでいるのはまわりの大多数の人が同じ
ような考えだからです。
歴史の流れの中で、将来あの当時の人の考えは間違っていると
いわれることがあるかもしれません。
今の世に生きているから正常だと許されているのだろうなと
感じています。
まったく違った環境の人からみたら偏屈な生き方をしていると
見えるのかもしれません。
私自身、別の考え方をしなさいといわれても変われないでしょう。
そうしてみるとあなたは間違っている、反省しなさいと
いったところで人はそれを受け入れられないということは
ありうることでしょう。
異なった考えをする人を排除したくはないですが、明らかに
間違っていると思う時、どうするのがいいのでしょう。
相手は変わらないとしたらその時はどうすべきなんでしょう。

卵サイダー

2014-01-11 18:44:59 | テレビ・新聞から
今日の新聞に味覚の話が載って伊いました。
こんなの食べられるんだろうかという食べ方が
書かれています。
「炊きたてご飯にミルクをかける」
「五目御飯に清酒をかける」
「梅干に醤油」
「オレンジジュースにミルクを入れる」
などひっくりする食べ方が書かれています。

そのひとつに
「卵サイダー」
がありました。
よく撹拌した生卵にサイダーを入れたものです。
すっと昔のことが頭にうかびました。
子供のころ母方の祖父がよく家へ来てくれました。
来るときはリュックに食べ物などいっぱい入れて
持って来てくれました。
祖父はお酒も煙草も飲みませんでした。
サイダーが好きで卵サイダーは家に来た時によく
飲んでいました。
店がないような田舎でしたので、もしかしたら
サイダーは祖父が自分でかついできたものだったの
かもしれません。
祖父が飲む時に子供たちも飲ませてもらったと
思います。
でもどんなものだったかあまりよく覚えていません。
ぼんやりとあんなんだったかなと味がよみがえります。
あのころ卵サイダーは普通に飲まれている飲み方
だと思っていました。
ぜんぜん見かけることもなく大人になって、すっかり
忘れていました。
なつかしいです。
卵サイダーで検索したら作り方が出てきたので
知っている人はいるのですね。
サイダーはやはり三ツ矢サイダーです。
祖父を思い出す卵サイダーを作ってみようかな。

地下鉄で

2013-07-23 20:51:10 | テレビ・新聞から
今日地下鉄に乗りました。
昼間の地下鉄混んでいるのですね。
座っていた人が降りたので座りました。
そしたら左隣の若い男の子がいい気持ちでこっくり
こっくりしていて時々私にもたれかかってきては元に
戻っていきます。
嫌だなと思っていたらそのうち右隣の女の子もふわふわと
もたれてきます。
私も電車の中で眠りたかったのに眠り損ねました。

今日の夕刊をみたら笑ってしまう記事がありました。
これです。
タイミングがぴったりです。

子供についいってしまう話

2013-04-20 19:42:14 | テレビ・新聞から
今日の新聞に子供の時に親にお前は拾ってきた子だと
言われたことがあるかという記事が載っていました。
私、「橋の下から拾ってきた」と何度も言われました。
悲しかったかって、いいえ、ぜんぜん。
それが本当だったらいいねって思いましたもの。
誤解しないでください、家が居心地が悪かったと
いうわけわけではありません、楽しく過ごして
いました。
両親が本当の親で冗談でいっているのだとわかって
いました。
お話のひとつと、捉えていました。
それが本当ならどこかに本当の親がいて自分はお姫様
かもしれないみたいなお話です。
私は赤毛のアンみたいに空想家とはぜんぜん違いますが
この話はおとぎ話と捉えることができました。
30歳を過ぎたころ、ある人が子供のころ橋の下から
拾ってきたと言われるとものすごく悲しくてつらかったと
言うのを聞いて衝撃を受けました。
へぇ、同じ話を聞いてこうも人というのは違った感情を
いだくものなのかと思いました。
言葉だけではなくその時の状況が感情を左右させる
ということもあるのでしょう。
それまでこの言葉でつらいと思う人がいるという発想が
浮かびませんでした。

よくこういうことをいうのは人を傷つけるのだから
言ってはいけませんといわれることがあります。
たとえば「がんばって」というのはかんばっている
人にそれ以上どれだけかんばれというのだといわれます。
これだって受け取り方は様々で励ましてくれてありがとう、
と思う人もいればつらい、と思う人もいて千差万別です。
何を言っていいのか悪いのかはその相手によりけりです。
一度言ってみて相手がつらそうな顔をしたら二度は
言わないというしかないのではないかと思います。
また言われて嫌なことは私にはつらいと伝えても
いいのではないでしょうか。
なにより悪意を込めて言った言葉は相手を傷つけ
真心がこもった言葉は受け入れられるということ
なのでしょう。

高齢者は災害時に避難したくない

2011-09-29 20:42:18 | テレビ・新聞から
今日の新聞の記事にこの前の台風の時に高齢者が避難を
嫌がったという記事が載っています。
台風12号で三重県紀宝町鮒田地区の話として載っています。
1階が水に浸かって2階に避難していた老夫婦は
自主防災会の人が避難を呼びかけてもがんとしてここに
いると避難を拒んだといいます。
2階も水に浸かるようになって、数回の説得の後やっと
避難したということです。
奥さんは病気とのこと、動くのは体がしんどい、これ
以上は水はこないという過信が避難したくない理由
だそうです。

老夫婦の気持ちはわかる気がします。
慣れないところで過ごせば体の調子が格段に悪くなる
可能性があります。
年をとればほんのちょっとの変化で体調はうんと
悪化します。まわりの高齢者をみていればわかります。
一方で何度も避難を呼びかけに来てくれる人たちを
危険にさらしていいわけではありません。
時間が経てばたつほど危険の度合いが増します。
本人がここにいると言うからそうしようというわけに
いきません。

動きたくないという高齢者の思いもわかりますし、
早く避難して欲しい人たちの気持ちもわかります。
ここは高齢者の人に折れてもらうしかないでしょうね。
どうか若い人たちの命を守るためだと思って避難の呼び
かけに応じてください。

血液型について

2011-08-22 20:34:33 | テレビ・新聞から
今日の夕刊に就職試験のときに血液型を記入させられたり
面接で聞かれることがあると載っています。
血液型を聞いたら世間で言われているこの血液型の人は
こういう性格といわれている根拠のない常識にまどわさ
れるかもしれません。
なぜそんなこと聞きたいのでしょう。
百害あって一利なしだと思います。
新聞記事を見て本当にこんなことしているの、って首を
傾げてしまいました。
こんなことするということは採用担当者は血液型で性格が
わかるということを本気で信じているのでしょうね。
よく血液型はおしゃべりする時の話題になります。
それはみんな本気ではないという土台の上での冗談として
話していると思っていました。
科学的に証明されていることと間違って理解している人が
多いということですね。

遊びでああだこうだと楽しむ分にはいいのですが、人生を
分けるという大事な時に持ち出すことではないです。

追伸:
この新聞記事を読んですごく違和感を感じたのですが
それがなぜだか気づきました。
勤務先ではセクハラをしないための教育があります。
血液型の話はセクハラにあたるとされています。
血液型の話で相手を不愉快にさせたらコンプライアンス
委員会へ通報されるおそれがあります。
だから堂々と就職試験の時に聞くということが
なんかへんという気を起こさせたようです。

断捨離に思うこと

2011-08-04 23:01:53 | テレビ・新聞から
「断捨離」がはやってますね。
新聞などで上辺を知ってるぐらいで、本を読んだわけ
ではありませんので詳しい内容は知りません。
物を捨てて、持たないですっきりとした生活をしようと
いうもののようです。
私の生活は「断捨離」を実践したわけではありませんが
持ち物は少ないです。
そういう生活が好きだし、物を持てばそのうちうっとおしく
なって捨てたくなってしまいます。
物にも命はあります。捨てることになるくらいなら
最初から持たないでおこうという気持ちが働くのです。


でも「断捨離」の流行にはこれは人にこうしたほうが
いいというものではないという思いが頭にひっか
かっていました。
反対意見が出てきてもよさそうなものだけどと思って
いましたら昨日の新聞に出ました。
森永卓郎さんです。
"ストックがあればパニック起きず。心のガラクタは
新しい発想の源"という副題が付いています。
「心のガラクタは必要なんです。捨ててはいけません。
だって、すべての発想や豊かさの源ですから。新しい
物や考えというものは無駄の中からしか生まれないの
ですよ。それを不要だと捨ててしまうのは、自分で
自分の可能性を捨てているのと同じです」
この意見わかります。

物をどれだけ持ったら落ち着いた生活を、人生を送れる
かは千差万別です。
こればかりは人がとやかくいえるものではありません。
「断捨離」はこういう生活がしたいと常日頃思っている
けど実践できていないという人の参考書でしょうね。

死んだ後に人に迷惑をかけるから整理しなくてはと
いう話をよく聞きます。
でも迷惑かけたっていいじゃないですか。
迷惑かけるといったってたかが知れています
最近では整理してくれる業者があるそうですから
業者に依頼したっていいのですから。

インターネットで民放ラジオ

2011-06-18 09:12:51 | テレビ・新聞から
インターネットで民放ラジオがきけるのですね。
今日の新聞の日曜版に載っていました。
50%の人が知っているというグラフが載っていますから
知らないというのは情報に疎いということですね。

パソコンでテレビはみられます。
地デシに変ったらみられなくなります。対応の仕方は
あるのでしょうけどめんどくさがって何もしていません。
パソコンのテレビだけではなく普通のテレビも
あれだけうるさくいっているのに何もしていません。
どうでもいいやって感じです。
ずっと何十年来、家にいる間はおもしろかろうが
なかろうがテレビはスイッチが入っていましたが、
ここ数年は興味がなくなってあまり見ません。
これは年のせいかな。
テレビが見たいと切実に思うまでなくてもいいかという
気が強くて対応を取ろうという気がおきません。
NHKの視聴料は引き落としで払っています。
テレビが映らなくなったらこれは止めたいと思っています。

ラジオの話から脱線してしまいました。
なぜラジオを聞ける機能がパソコンにないのだろうと
常々思っていました。
ラジオを聞きながらパソコンやれたらいいなと感じて
いました。
そうかこうやって聞けるのですね。
CBCラジオ、東海ラジオ、ぎふチャン、ラジオNIKKEI,
ZIP-FM,FM AICHI が聞けるようです。
今聞いています。
rajiko で検索して入っていくか、http://rajiko.jp/ で
直接入ります。

「見ない」 「やりきらない」

2011-06-01 23:00:10 | テレビ・新聞から
今日の新聞に「片づけなくていい家」という記事が載っています。
今までの家作りのコンセプトが「家事をやりきる」なら
資源ごみ、まとめ買いしたストック品を置いておく「蔵」を
滞留時間のあるものの置き場とする。
室内干し専用の空間を作る。とりこんだ洗濯物はそのまま
ハンガーにかけ畳むことなく着る。
「見ない」 「やりきらない」という反対の発想の家を作ろうと
いう話です。

この記事を読んでいた時ちょうどわが家の一室は
「やりきらない」 を実践していてものが散乱しています。
先週の週末に頼まれていた縫い物をしていてミシン、
アイロン、布が部屋いっぱいに広げられています。
何も洋服を作っているわけではなく、座布団の皮を作って
いるだけなのに途中でやる気をなくして、止めたと
投げ出しました。
あとちょっとだけどウイークデイは帰宅してご飯を食べ
風呂に入るともう就寝時間です。定時で帰るのだから
時間に余裕があるはずなのになぜだが時間がどこかへ
消えていきます。
それで作業はそのままで、部屋はかたづきません。
「見ない」に徹することにしています。

新聞を読んで笑ってしまいました。この考え方に共感
できます。
この部屋一室はちらかし放題にしておいて気にしない、
そうできる場所があって助かっています。
その部屋以外の整理整頓が保たれていればあんがい
気にせずにいられます。

失敗を重ね

2010-06-21 20:29:01 | テレビ・新聞から
今日の"悩みのレッスン"という新聞の人生相談のコーナに
載っていた話です。
相談者は大学2年生の女性。アルバイト先でミスをしたら
陰口をきかれ、いやみをいわれるようになったとのこと。
就職してから今回のようなことが起こったらどうしようと
恐くなったという相談です。

現代の職場はこんなふうなのが普通なのですか。
なんだか信じられません。仕事をやり始めてがんばろうと
している人をサポートするのではなく、やる気をくじいて
しまうのですか。
新人は仕事を覚えてミスをしないように努力することは
当然必要なことですが、ミスはつきものです。
特になれない時にはどんなに努力しても失敗するものです。
それをサポートしてやれないなら上司や先輩の方が失格です。

回答者が本格的に社会に出る前にこんな挫折感や失望を
経験できたことは社会人になった時にうたれ強くなると
言っています。

こんなことで落ち込まないでタフに生きていくことです。

父の弁当

2010-05-23 02:51:07 | テレビ・新聞から
あることに出会うと、続けざまに同じようなものに
出会うことってありますよね。
そんなことがありました。

群ようこ著"かもめ食堂"の中に主人公のサチエのお父さん
がおにぎりを作ってくれる場面があります。
サチエが12歳の時にお母さんが亡くなりその後は
サチエがお父さんと自分の弁当を作り、晩御飯も
作ります。
おにぎりは人が作ってくれたものがおいしいんだと
言って、遠足や運動会の時はお父さんがおにぎりを
作ってくれます。おかずはなしのおにぎりだけ。
不恰好だったけどとてもおいしかった。

昨日の新聞に"父の弁当"と題した話が載っています。
作家の朱川湊人さんが書いています。
両親が離婚して朱川さんはお父さんとお兄さんと
暮らします。
食事はお父さんが作ってくれます。
遠足の時のお弁当はパンを買っていくことが多かった
そうですが、小学校2年生ごろにどうしてもお弁当を
作ってくれるようにお父さんにせがみました。
当日作ってくれた弁当を持ってワクワクと出かけました。
とてもきれいで力を注いで作られていましたが
食べられませんでした。
なぜかというと暖かいものをさまさずにそのまま
詰めてしまったため痛んでしまったからです。
おとうさんにはおいしかったと報告して本当のことは
言えなかったそうです。

続けて読んだお父さんのお弁当の話でした。


睡眠障害にでもなったかな、充分睡眠を取っているのに
異常な睡魔におそわれて目をあけているのに必死に
なるこのごろです。
かと思うとぜんぜん眠れず目がぱっちりの夜も
あります。
今日は眠れそうもないので起き出してこれ書いて
います。