雑記帳

日常の出来事や、読んだ本のあらすじや感想など書いています。

勤務中の服装

2019-02-22 10:04:26 | 昔話
他の人のブログで通勤時の服装について
書かれていたのを読んで昔を思い出しました。
年を取ると過去を反復すると言いますが
この話もたぶん書いたことがあるでしょう。

勤めていた会社は田舎でした。
住宅地で田畑がちらほらしました。
名古屋駅から近いのですがちょっと離れただけで
あれっ、という場所があります。
若い男性社員の中には短パンに遊び着のような
Tシャツでやって来る人たちもいました。
海辺か山にキャンプに行く恰好です。
服装は自由と考える私でさえ長いパンツに
おとなしめのTシャツにしてよと思いました。
あの恰好で電車に乗ってきたのでしょうか。
まあ、自分の恰好だって似たり寄ったりですから
とやかくは言えません。
社内では作業着に着替えますから仕事中も
その恰好というわけではありません。

ある時通勤の服装について通達がありました。
その中に作業着であるジャンパー姿で来るな、
会社で着替えよというものがありました。
たとえ車通勤であっても作業着禁止です。
車でもダメって、これは何故と思いました。

この命令はトップが変わったら自然に忘れられ
また自由になってしまいました。
短い間だったと思います。

これもびっくりした服装です。
女性の派遣社員がやってきました。
彼女の服装に、えっと思いました。
お腹の部分がかなり見えているのです。
それも真冬にです。
その恰好何っという前に、寒くはないのという
思いが強かったです。
服装に関してどうこう言われる職場ではありません
でしたから誰も注意しませんでした。
彼女はいつの間にか来なくなっていました。

退職する間近にはジーンズで働いていました。
新卒で入社した時に男性社員にジーンズで
仕事したら駄目ですかと聞いたことがありました。
「うーん、ジーンズはねぇ…」って言われました。
女性はスカートが当然という時代でした。
時代は変わってジーンズ、というかパンツで働く
ことは何の問題もなくなっていました。

隣の女性社長

2018-10-11 21:00:00 | 昔話
昨日昔のこと書いていて思い出したことを
書きます。
これも前に書いたような気がします。
また書いてると思って読んでください。

昔勤めていたIT企業は運河沿いに建っていた
2階建ての建物でした。
右半分が私の勤めていた会社で左半分が大家さんの
事務所兼住まいでした。
大家さんは学生の娘さんと住んでいて、そこで
一人で事業をしていました。
隣同士で、階段を共有していましたから交流が
ありました。
60代ぐらいの女性です。
娘さんのお古かと思われる汚れたスポーツウェアを
着て、短くなった煙草を咥え、腰にラジオを
ぶら下げて歩いているのをよく見かけました。
豪快なおばさんです。
きっとお客さんにしてみれば頼りになる人だった
ことでしょう。

当時我々の会社ではキャプテンシステムに
関連する仕事に関わっていました。
今のインターネットのように双方向を目指した
システムです。
インターネットがあれよあれよと台頭してきて
キャプテンはいつの間にか消えました。
お隣の女性がキャプテンに加入していました。
私の会社の誰かに話を聞いたのだと思います。
ほとんど役に立たない仕組みでした。
かなりの費用を毎月払わなければいけません。
私はもったいない、よく加入しようと思ったなぁと
思いました。
彼女は煙草を咥えて、これを使ってみてユーザに
定期的に送っているお知らせにその感想を書いて
知らせるのだと語っていました。
目から鱗が落ちた気がしました。
そうか、こういうなんでもやってみようとする人が
世の中を進ませる力になるのかと思いました。

同僚の中には、ソフトやハードは発売されて
使い込まれバグがだいたい取れてから買うと
言っていた者がいます。
大部分の人がそうなのかもしれません。
彼女を見ていて何かを買って、それが完璧で
なくてもがっかりする必要はないのだと思う
ようになりました。
まったく役に立たなかった品物だったとしても
買ったということは何らかの役目を果たしたのだと
思えるようになりました。

BGMを聞きながら

2018-10-10 10:48:21 | 昔話
BGMに何かかけたいなと選んだCDは小田正和さんの
ものでした。
そのうちに曲がかかっていることを忘れました。
ふと昔のことを思い出しました。
社員数人だったIT企業に数年勤めていました。
ルールは何もなく何やってもいいという所でした。
当然仕事中に音楽を聞いても文句は言われません。
私が聞いていたのは小田さんのものでした。
エンドレスで流していました。
音がしていることをそのうちに忘れてしまうからです。
小田さん以外のものではこうはいかないです。
それなら何も聞かなければいいだろうということ
なんですが、まったくその通りです。

めちゃくちゃな会社でした。
そこに籍を置いていた当時は辛かったのですが
後から何てはちゃめちゃな所だったのだろうと
思い出すことが多いです。
数人の事務所ですから、一応責任者だった人に
所長だとかの役職名はありませんでした。
休暇を取りたければ何日でも何ヶ月でも取っていいと
言われていました。
時間は昼ごろ出てきて夜遅く帰るという人たちも
いましたけど、みんな真面目に出てきていました。
ところが責任者だった人物が連絡もなしに一週間
ぐらい会社に出てきません。
連絡がつかなくて、死んでるんではないかと部屋を
見てこようかというころになってふらっと現れました。
こんなことを数回しました。
一言連絡すればいいものを、何考えていたんだか。
こんな所でしたが悪事に加担しているということは
ないようでした。
当時いっしょだった人たちがその後どう生きたのだろうと
思うことがあります。

小田さんの曲を聞きながら昔を思い出しました。
前にも書いたかな? 時々ふと思い出すので。

山下清さん

2017-07-28 09:30:43 | 昔話
パンフレットの整理をしていて懐かしいものを
見つけました。
山下清画伯の作品展のパンフレットです。
たぶん昭和43年です。
タマコシはデパートです。
山下さんの作品は衝撃的でしたね。
細かな紙を貼って絵が出来ています。

この時山下さんに会っているんです。
買った印刷の絵にサインしてもらいました。
きちんとした字で書いてくださいました。

テレビドラマでの山下さんはこんな人って型が
出来上がっています。
ほとんどドラマはみたことないんですけどね。
会った時の山下さんはむっつりとして機嫌悪そうで
嫌々書いているといった感じでした。
たった数分会っただけですからこの時の姿が
本当の姿などという気はありません。
あの時の絵は長い間持っていたのですがいつの間にか
なくなってしまいました。
山下清さんに会ったことあるということはきっと
ずっと覚えていることでしょう。


思い出せなかった場所

2017-07-28 00:51:50 | 昔話
頭に浮かぶ風景があってあれはどこだった
のだろうと思うことがあります。
いくら考えても思い出せません。
実際に行ったところには違いないんだけどと
いらいらします。

今日、古いパンフレットをしまってあった袋を
ひっくり返して整理していました。
頭に引っかかっていた場所のパンフレットが
出てきたではありませんか。
その場所は山形市郷土館です。
山形県に行ったというはっきりした記憶がないの
ですが行ったことがあるようです。
東北にはよく行きました。
当時東北は周遊券を使えば一番交通費が安く広い
範囲を回れるところだったのです。
山形駅から徒歩15分の霞城公園の中にあると
パンフレットに書いてあります。
公園の中を歩いた記憶があります。
郷土館はかっこいい建物で建物の内部には
明治のころの医療関係の展示物がありました。

どこだろうと思っていた場所がはっきりして
すっきりしました。

幼い時に思ったこと

2015-04-17 10:18:53 | 昔話
先日ぼんやりと見ていたテレビで人生で最初の記憶は何なのか
思い出すと脳のためにいいと言っていました。
自分のことを思い返してみましたがさて何なのでしょうね。

思い出したことがあります。
三歳か、四歳かうんと小さい時のことです。
昨日のことも一昨日のことももっと前のこともこんなにはっきり
覚えていてしっかり自分はここにいる。
でも大人になった時に今のことを覚えていられるだろうかと
いうことです。
覚えていたいと願い記憶に焼き付けようとしました。

しかし大人になってやっぱり忘れてしまいました。
そんなことを考えていたことだけが頭の隅に残っています。
あのころの自分と今の自分は同じ人間なのかと疑問に感じます。
あんなことを考えるなんて変ですね。

事務所はマンション

2010-03-04 21:31:00 | 昔話
今読んでいる本、会社物です。
1Kのアパートを事務所にして3人で使っています。

そこで思い出した昔話です。
ずっと昔小さな会社に勤めていました。
私の所属していた研究所と、営業、経理を担当の本社と、
もう一つ別に研究所がありました。
当時もう一つの研究所と共同で仕事していてそこの研究所へ
1月ほど手伝いに行くことになりました。
そこがマンションの一室でした。
今のマンションと違って、窓際に6 or 8畳の畳の部屋が二つ
並び、真ん中にキッチンとダイニング、玄関脇に小さな部屋と
いう間取りでした。
畳の上に机を置いてました。窓際の二部屋はまあまあの
状態になっていましたがダイニング、風呂等の共用部分の
汚いこと、埃まみれで物が雑然と置かれ物置と化してます。
おまけに照明を点けなければ真っ暗です。

マンションでの仕事、正直いって嫌です。
自分の生活と仕事とのけじめがつけられないのです。
一日中とにかく仕事をしていたい。一日すべてが仕事で
いいというならマンションでの仕事いいかもしれません。
気持ちの上で切り替えがうまくできなくていやだったなぁ。

家賃は十万円とか聞きました。ずいぶん高い家賃です。
なぜ普通の事務所にしなかったのだろう。
事務所の家賃ってそれ以上するものなのでしょうか。

徹夜したら畳の上でごろりとする、ということは
できるでしょう。
まさかそのためだったのでしょうか。

そういえばこんなことがありました。
マンションに出勤したら誰も来てなくて鍵を使って
部屋に入りました。
畳の部屋にいたら誰もいないはずなのに押入れから
ごとごとと音がしてふすまがじょじょに開いてきます。
びっくりして動けなくてぼーとして立っていました。
やがて現れたのは同じ事務所から手伝いに来ていた
同僚でした。
押入れがベットのようになっていてふとんが敷かれて
いました。
やはりそこに泊まったりしていたようです。
あの時はほんとうにびっくりしました。

給料の使い道

2010-02-17 23:00:51 | 昔話
今読んでいる本の中の人物におもしろい人がいます。
仕事で使うものを会社の許可をとらずに自腹で買い込んで
しまう人物です。いずれ仕事で使うからそれまで寝かせて
おくのだそうです。
パソコンのソフトも上司に計ることなく買ってしまいます。
そんなことできる給料もらっているんだと思ったら
いとも簡単に借りるからいいんだといいます。
百万円以上もそうやって使っています。

仕事で使うものを自腹でどんどん買うというのは
私からしたら考えられないことです。
でも実際にそんな人物いたなぁと思い出しました。
給料を工具や道具やテスターやソフトを買うのに
つぎ込んでいました。
その人はいずれ会社で使うからと買っていたわけでは
ありません。
いずれ独立しようという気があったらから、その時に
使うからと買い込んでいたのでしょう。

たぶんどこかで元気でやっていることでしょう。

昔の失敗

2009-11-11 22:19:03 | 昔話
はるか昔の話です。
プリンタが故障したので修理に来てもらいました。
修理が完了したので何かテストで出力して欲しいと
エンジニアに頼まれました。
プリンタの近くのパソコンで仕事をしていた方に
パソコンを貸してくださいとお願いしました。
何か別のソフトを立ち上げてその上でプリント
アウトすればよかったのに、こともあろうに作業されて
みえたソフトの印刷の機能でプリントアウトして
しまいました。
プリントはうまく出力しました。
「たいじょうぶ、直りましたね。」
じゃ終了、と無意識にソフトを中断して閉じて
しまいました。
はっとして気がつきました。
真っ青になりました。
そばに立っていた方は、ぼーとして目がうつろに
なっていました。
「すみません!インプットし直します。」
とあやまりました。
「いい、自分でやった方が早い。」
と不機嫌な答えが返ってきました。

あの時のことは忘れられません。
何時間かの作業分を無駄にしてしまいました。
それからは細心の注意を払うことと肝に銘じて
いますが、ふっと意識が散漫になることがあります。
気をつけなくちゃ。

月の光

2009-11-02 20:54:40 | 昔話
仕事を終えて外へ出てみると空にはぽっかりまん丸な
お月様が浮かんでいました。
定時の17時には薄暗いです。
自転車で走っているうちにどんどん暗くなっていきます。
今日はお月様の光のせいか暗い空なのに白い雲がはっきり
わかります。
空の色は黒でなく藍色、雲の白と光る月でとてもきれいな
情景でした。

昔、田舎に住んでいた時は家はまばらにしかなく夜は
自然のままの暗さでした。
月が輝く夜はとても幻想的でした。
街の光が溢れた所では気がつかないのですが月の光は
とても強いのです。
田舎では夜に家の外に出ても何もありませんので、陽が
落ちたら家の外に出るということはなかったのですが
月がきらりと光る夜に光に誘われてふと家の外に出て
月の光をあびて歩いてみたものです。
ちょっとばかり子供のころを思い出してしまいました。

伊勢湾台風

2009-08-16 21:58:23 | 昔話
伊勢湾台風から50年目だそうで最近よく
話題になります。
おぼろげに伊勢湾台風のことは覚えています。
そこには母と祖母と、そのころ同居していた
父の妹にあたる叔母が雨戸を必死に押さえて
いた風景が浮かびます。
数メートル先に川が流れていてもしこの川が
氾濫していたらたいへんなことになっていた
でしょうが、幸いに氾濫することはなかったので
大きな被害はありませんでした。
父が昔の風景の中に出てこないので家にいなかった
のだと思いますがさだかではありません。

実家に行った時、はからずも伊勢湾台風の
話が出たので母に聞いてみました。
父はやはり家にはいませんでした。
職場にいました。
そしてその後何日も家に帰ってこなかった
とのことです。
当時電話はなかったので連絡がなく、生きている
のか死んでいるのかと祖母がたいそう心配したそうです。
父の職場は被害が大きかったそうでその対応に
追われて帰れなかったようです。

家は被害地域から外れているからだいじょうぶと
思ったのか、あるいは仕事優先で家族のことは
頭に浮かばなかったのか、とかんぐってしまいます。
そんなことはないでしょうけど。

あなたが所長です

2009-07-09 21:15:27 | 昔話
居酒屋に入社して数ヶ月で権限のない店長に
されてしまって残業をいっぱいしても残業代が
でないのはおかしい、とニュースで言ってました。

それで思い出した昔のことを書きます。
本社が東京で、名古屋の事務所は数人という
会社で働いていました。
電話が架ってきました。
「会社が倒産して職を探しています。
貴社の製品はすばらしいと思ってます。
ぜび働かせて下さい。」
求人募集をしていたわけではなく、自分からの
売り込みでした。
彼は入社することになりました。

その2,3ヶ月後に所長が退職しました。
そして数人の社員が次々と退職していきました。
新人の彼が所長に担ぎ上げられました。
私もそのあとすぐに退職しました。
残ったのはやはり入社して数ヶ月の人と、
夜間の大学に通っていて卒業するまでの仮の
仕事と割り切って働いていた2人のアルバイト
学生のみになりました。

あれよあれよといううちに所長になってしまって
さぞかし面食らったことでしょう。
入社する時にその会社の内情を知るということは
かなり難しいことです。
入社して、しまったと思ったでしょうか。
それともチャンスだ、と思ったでしょうか。
その後きっと苦労したことだろうと思います。

みんなが退職したのは反乱を起こして一斉
退職をしたわけではありません。
それぞれ退職したい理由があったのでしょうが
一人が退職したことでそれがきっかけで次々に
ということになったのだと思っています。

ボーナス

2009-07-06 21:53:52 | 昔話
今日の新聞の投書欄に載っていた話です。
振り込まれたご主人のお給料がいつもより
少なくてどうしたのだろうと思っていたが
それがボーナスだと気がついた。お給料より
低いボーナスは初めてだというものです。

私にもボーナスが給料より少ないという経験が
あります。
何十年も前の話です。
お給料とボーナスの明細を同時に受け取りました。
ボーナスがいつもの給料ぐらいで、給料が
ボーナスの1.5倍ぐらいでした。
間違えて書いたのかと疑いました。
よくよく見て書かれた通りだとわかりました。

その事務所のトップが言っていました。
「仕事をやり始めたら赤字になることがわかっても
受けたからには期日までに絶対納めなければいけない。
この仕事を受けたら赤字だとわかっていても
受けねばならない時もある。」

その時にしていた仕事がそういう仕事です。
その前月の1月間、土日も休みなしで毎日9時,10時
まで働いていました。
家に帰って着替えもせずばたんとたおれて
そのまま寝てしまい、気がついたら朝だったと
いうことがありました。

赤字にもかかわらず休日手当、残業手当は
きちんと支払われたのです。
それで給料とボーナスの逆転が起こったのです。

この会社のボーナスはものすごく変動して
ボーナスを当てにして借金するなんてとても
できないことでした。
おかげでボーナスはおまけだという意識を
受け付けられてその後もあてにせずに生活する
習慣がつきました。

池の魚を釣った

2009-06-19 20:42:37 | 昔話
昨日の夕刊に旧蒲郡ホテルの記事が
載っています。
今の蒲郡プリンスホテルです。
1930年代に建てられたものだそうです。
りっぱなホテルです。

このホテルにたぶん泊まったことがあります。
たぶんというのは数十年昔のことで記憶が
あいまいです。
小学校の3,4年ぐらいの時に父の職場の
慰安旅行に上の弟と私と、父にくっついて
蒲郡ホテル?に行きました。
昼からの宴会で大人たちは楽しんでいます。
飽きてしまった私と弟は庭へ出ました。
広くてりっぱな庭で池があり鯉が泳いで
いました。
そばに釣竿が落ちていました。ちゃんとした
ものではなく遊びのためにこしらえたという
ようなものでした。
私と弟はこれで池の魚を釣って遊べという
ことだと理解しました。
部屋へ戻って餌になる食べ物を持ち出して
竿に取り付けて池に放り込みました。
そしたら釣れたのです。

ちょうどそこへ父の同僚がやってきて
「池の魚は釣っちゃ駄目だよ。」とたしなめ
られました。
子供のことで釣っては駄目だということは
まったく頭に浮かびませんでした。
そうなんだ、とずいぶん恥ずかしく感じ
ました。
なぜ釣竿があったのかは不思議ですけどね。

記憶がぼやけているのに池の魚を釣ったと
いうことだけは覚えています。
もっと小さかった弟も池で釣りをしたことを
覚えていてこの前そんなことがあったなぁと
話していました。

旧蒲郡ホテルだったと思うのだけど、
さてどうでしょう。
父と旅行したというのはこれが最初で最後
ではないかと思います。
当時は旅行はめったにするものではありません
でしたからそれが普通でした。

勤怠

2009-01-13 20:43:16 | 昔話
夕刊に不況でも全然困っていない中小企業の
話が載っています。
写真がいいなぁ。社員の人たちがいい笑顔しています。
大企業が持ってない技術を持っているから
こんな時でも困りません。

その会社のひとつに「朝遅れそうになったら安心
して遅れなさい。出勤簿はないし、記録もとらない。」
という所があります。

昔そういう勤怠の会社に勤めていました。
「好きな時間に出勤して、好きな時間に帰ってもいい。
休暇?いくら休んでもいい。1月まるまる休んでも
いいよ。納期さえ守れれば。」
私は9時-17時勤務をしました。
土曜は隔週の休みでした。
朝10時とか11時に出勤していた人もいました。
その代わり夜は遅くまで仕事していたようです。
納期がせまれば徹夜もしていたようです。
残業代は無しでした。
私は残業していなかったのでかまいませんが他の人は
ずいぶん長時間働いていたと思います。

休暇も用事がある時以外休みませんでした。
中にはふらっと1週間ぐらい行方不明になる
輩がいました。休むとの連絡もなしで文字通りの
行方不明でした。
一人暮らしのため、家をのぞいてきた方がいいのでは、
という話が出始めるころ会社にやってきました。

こんなことが3年ぐらい続いてそのうち副社長が
社長を追いやって社長になって勤怠も普通の
会社らしいものになりました。
残業代、休日手当ても出るようになりました。
どちらがいいかはわかりません。
会社に活気があり、順調に業績が伸びていれば
規則がなくてもおかしなことにはなりません。
会社に活気がなく、業績が悪い時に規則なしは
ますます悪化していく原因になることでしょう。

規則が出来て会社の業績が伸びたということは
ありませんでした。