学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「安全保障研究を一切学んだことのない憲法学者」(by 細谷雄一氏)

2016-09-06 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 6日(火)10時57分58秒

細谷雄一氏(慶大法学部教授)の『安保論争』(ちくま新書、2016)を読んでみましたが、良い本ですね。

--------
現代の世界で、平和はいかにして実現可能か。日本の安全は、どうすれば確保できるのか―。安保関連法をめぐる激しい論戦にもかかわらず、こうした肝要な問いが掘り下げられることはなかった。これらの難問を適切に考えるには、どのような場合に戦争が起こるかを示す歴史の知見と、二一世紀の安全保障環境をめぐるリアルな認識とが、ともに不可欠である。国際政治・外交史の標準的見地から、あるべき安全保障の姿と、そのために日本がとるべき道筋を大胆かつ冷静に説く、論争の書。


細谷氏は2014年7月16日のブログ記事で、

-----
考えてみれば、日本の大学では安全保障研究の講義を設置している大学は、きわめて限れています。ハーバード大学のケネディー・スクールや、プリンストン大学のウッドロー・ウィルソン・スクール、あるいはオクスフォードやケンブリッジなどの国際政治専攻のコースであれば、安全保障研究についての数多くの魅力的な講義が用意されていますが、東大にも京大にも、「国際政治学」の講義はありますが、「安全保障研究」の講義はありません。【中略】

安全保障研究は、一定程度の専門的理解が不可欠です。それは経済学や社会保障、税制なども同様かと思います。ところが、安全保障問題は、安全保障研究を一切学んだことのない憲法学者や、ジャーナリストの方も、大きな声を出して自らの見解を語る。そこで、基礎的な理解の共有がされていないことが、意見の不毛な対立の原因になっていると思います。


と書かれていますが、その後も「不毛な対立」が延々と続きましたね。
その渦中における樋口陽一・長谷部恭男・石川健治氏等の東大系の「安全保障研究を一切学んだことのない憲法学者」の華々しい活躍は、東大の学問的水準の低下を象徴しているのかもしれません。
ま、政治に取り込まれなかった若い世代の研究者もそれなりにいるようなので、新しい展開も期待できそうですが。

>筆綾丸さん
>石川健治氏には少し病的なところがあり、

さんざん悪口を言っておきながら、私は石川氏が「少し病的」とまでは思わず、まあ、毎日新聞2016年5月2日夕刊記事に言うように、「憲法学の鬼才」が適当なのかな、と思います。

「クーデター」で立憲主義破壊 憲法学者、石川健治・東大教授に聞く

石川氏は法律雑誌の企画で、労働法とかの憲法学以外の分野の法学者の座談会に招かれることが多いのですが、石川氏の発言をきっかけに議論が面白い方向にどんどん転がって行くことが結構あって、他人に良い刺激を与える点では特別な才能を持った人ですね。
ま、肝心の専門分野では些か空回りの気配がありますが。

>キラーカーンさん
>(後藤田正晴氏の回想によれば、内閣法制局長官も閣議に出席していました)

『「法の番人」内閣法制局の矜持』には、

------
──閣議の際にも長官は臨席してメモをとったりするのですか?
阪田 陪席はしますがメモはとりません。閣議にかかる法律案と政令の説明を申し上げていました。
──閣議決定などで議論する場にもいるわけですね。
阪田 はい。基本的に閣議の際はすべて。閣議の陪席者というのは4人しかいなくて、官房副長官が3人、そして法制局長官。ほかに事務方はいないものですから、事務まわりのことも、この4人で手分けしてやります。私は法案等の説明をする役割でしたが、ここはどうなんだというような質問を受けたことはありません。
------

というやりとりがありますね。(p58)
閣議の陪席者はずいぶん少ないんですね。

※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

atheist 2016/09/05(月) 16:38:35(筆綾丸さん)
小太郎さん
http://www.bsfuji.tv/primenews/text/txt150710.html
阪田雅裕氏は、『プライムニュース』にも出ていましたね。何を話されたのか、まったく記憶にないのですが。

憲法はバランス感覚が必要な学問のような気がするのですが、石川健治氏には少し病的なところがあり、民進党が間違って政権を奪取したら、最高裁裁判所判事に「左遷」されるかもしれないですね。

キラーカーンさん
ピンさんはクリスチャンのため、大山や中原ほどの実績を残せなかったのではないか、と言われることもありますね。棄教して無神論者になっていたら、とも思いますが、あのキャラで atheist であったら、ちょっと怖いものがありますね。

もうひとつの「内閣法制局」ほか 2016/09/06(火) 00:02:03(キラーカーンさん)
>>外務省国際法局長(旧条約局長)
内閣(行政)において国内法の解釈は内閣法制局が行いますが、
条約の解釈は外務省(国際法局)が行うこととなっています

第四条  外務省は、前条第一項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
(略)
五  条約その他の国際約束及び確立された国際法規の解釈及び実施に関すること。
(以下略)

というわけで、国際法も多分に関係する安保法制の解釈の確立(この場合は立法者意思)
では内閣法制局と外務省との調整も必要となります。
また、条約解釈も絡む裁判もありますから、条約解釈の専門家である国際法局長(旧条約局長)
経験者が「役人枠」で最高裁判事になる例が多いのも、ある意味当然です

その意味で、外務省国際法局は「もうひとつの内閣法制局」ともいえます

その点で、外務省国際法局長(条約局長)経験者を内閣法制局長に持ってくるのは
ありえないことではありません。

戦前でも、「外務大臣外交官制」が事実上の慣習として成立していましたが、
(戦前における「本格的政党内閣」の条件に「外務大臣が与党の党員」という条件はありません。例:原内閣)
ただし、例外として(非現役)軍人が外務大臣に就任することは認められていました
(例:宇垣一成・野村吉三郎)この純粋な例外は後藤新平のみです。

これも、「外政」は外交と軍事が二本柱なので、(高位の)軍人であれば、
外相が務まるとみなされていたのだと思います。
現在の内閣の法解釈では、国内法と国際法の二本柱なので
外務省の「条約マフィア」であれば、先の「外務大臣外交官制」ということと相似形を描きます。

>>いわゆるポリティカル・アポインティ
第一次伊藤内閣から現在まで、内閣法制局長官は、閣僚名簿に名を連ねます
その意味では、内閣法制局長官は「閣僚待遇」であり並みの副大臣よりも格上の「政治任命職」です
(後藤田正晴氏の回想によれば、内閣法制局長官も閣議に出席していました)

追伸
民主党政権では、内閣法制局長官ではなく「法令解釈担当大臣」をおいて
法律解釈を「政治主導」で行っていましたが、憲法学者からのそれについての批判は聞こえてきません。

>>ピンさん
十六世名人か米長永世棋聖か忘れましたが
「普通の棋士相手なら95%の手を続ければ勝てるが、
(本調子の)加藤さんの場合は100%の手を続けなければ勝てない」
とコメントしていた記憶がありますので、無神論者にはなれなかったのでしょう。
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阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』(その3)

2016-09-05 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 5日(月)08時43分12秒

内閣法制局長官の法的地位に言及した次の箇所もクールで良いですね。(p56以下)

-----
──長官の下に法制次長という役職がありますが、長官との関係でいうと、次長というのはどういったポストなのでしょうか。

阪田 基本的に各省の事務次官と一緒ですね。いまはなくなりましたが、事務次官会議に出ていたのは法制次長です。長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職です。省庁ですと次官の上は大臣で、政治家ですね。そういう意味では法制局でも政治家が長官であってもいいわけです。実際、戦前戦後の一時期は政治家が務めたこともあったと聞いています。けれども政治家としては、あまり面白い仕事ではないでしょうね。たいした権限もなくて、国会で理屈を述べるだけですから。結果的に役人が務めるようになってきたということだと思います。
 現実問題として、国会会期中は長官が国会に張り付いている必要がありますし、一方で法律案の審査は1月、2月がピークですから、長官が法案のすみずみまで見るというのはなかなか難しい。そういうことから、実質的な法案審査の最終責任者は次長ということになるわけです。次長は短期間に、年によっては100本以上もの法案をチェックしなければなりませんから、各省の事務次官と違って非常に負担が大きいですね。とくに法案審査の1~3月、それに臨時国会のある秋口などは休日返上です。
-----

安倍内閣が元外務省国際法局長の小松一郎氏を内閣法制局長官に選任した時はひと騒動あって、例えば南野森氏は、「禁じ手ではなく正攻法で、情より理を」(『集団的自衛権の何が問題か』)において、冒頭で長々と1891年(明治24)の大津事件を紹介した後、

-----
 大津事件から一二三年を経た本年の五月、もちろんまた別様にではあるが、法の解釈をめぐる問題が朝野を賑わわせている〔ママ〕。集団的自衛権をめぐる日本国憲法九条の解釈である。
 第二次安倍内閣は、二〇一三年八月八日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を任命した。その後、小松氏の体調不良を理由として、いわゆる安保法制懇の報告書が首相に提出された翌日、二〇一四年五月一六日付の閣議で、小松長官を退任させ横畠裕介次長を昇格させる人事が決定されたが、それにしても、安倍首相による小松長官の唐突な任命は、内閣法制局の次長や部長どころか参事官すら経験したことのない完全に「外部」の人間が、しかも二〇〇〇年まで他省庁とは異なる独自の採用試験を実施していた外務省の人間が、いきなり長官ポストに抜擢されたものであり、戦後の内閣法制局の歴史においては異例中の異例、初めてづくしの驚愕人事であった(6)。
-----

などと無駄に熱く語っているのですが、内閣法制局の人事利権に関係する「内部」の人が激怒するならともかく、九州大学教授のような完全に「外部」の人間がそんなに怒ることもあるまいに、という感じがします。
ま、少なくともこの人事を法律論と政治論に分けて、法律論としては内閣法制局設置法第2条第1項に「内閣法制局の長は、内閣法制局長官とし、内閣が任命する」とあるの参照した上で、「長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職」である程度のことを述べた上で、それとは別に怒るなり何なりするのが法律家としての「禁じ手ではなく正攻法」で、「情より理を」重んずる態度ではなかろうかと思いまする。
ちなみに南野氏は注記(6)で、

------
(6) 石川健治「もつれた糸 引きちぎる暴走」(『朝日新聞』二〇一四年五月一六日朝刊)は、「内閣法制局の長官を「お友だち」に代えてしまったこと」を、「安倍政権の信頼性を大きく傷つける、取り返しのつかない失策であった」と言う。
-----

と書かれていますが、外務省国際法局長(旧条約局長)といえば、栗山茂・下田武三・藤崎萬里・高島益郎・中島敏次郎・福田博といった外務省出身の最高裁判所判事が殆ど経験している枢要な地位で、内閣法制局長官になっても全然おかしくない立場ですね。
「もつれた糸 引きちぎる暴走」は未読ですが、ゴエモンさんはどこかで退任した山本庸幸氏が直ちに最高裁判事に任命されたことを「左遷」とか書いていて、言語感覚が尋常ではないですね。
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阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』(その2)

2016-09-04 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 4日(日)21時59分27秒

2日の投稿では西川伸一氏の『知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房)に触れましたが、これは2002年の本で、内容的に若干古くなってしまっていますね。
現時点で内閣法制局の概要を知るために一番良い本は、元内閣法制局長官・阪田雅裕氏の『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)かもしれません。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b165082.html

実はこの本、去年4月にパラパラ眺め、同月11日の投稿でも言及していて、その時はほんの少し悪口を言っています。

阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7ca73952d229b3717fe2029af4b570de

これは当時、元内閣法制局長官のくせに大月書店のような共産党系出版社から本を出すなんて世も末だな、くらいの気持ちでいたために些細な欠陥が目についたからですが、改めて読み直して見ると、声高な「立憲主義」騒動から適度に距離を置いた、冷静なインタビュー記録ですね。
聞き手の川口創氏も、共産党系弁護士ではあっても騒々しいタイプではなく、理論派の非常に優秀な人ですね。
さて、阪田氏は内閣法制局の人材採用について、次のように言われています。(p25)

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阪田 もともと法制局は、明治18年(1885年)に内閣制度ができるのと同時にスタートしているのですが、その当時からずっと独自の採用はやっていません。一番大きな理由は組織が小さいことではないかと思います。小さな組織で優秀な職員を定期的に採ることは難しいし、大量に採用すると必ず処遇の問題が出てくる。他の組織と違ってラインでの仕事ではなく、参事官は専門性をもったスタッフとして働いているわけですから、70人あまりのうち、部長も含めれば30人以上が課長、参事官以上というような組織です。そういう組織で新しい人を採用して局内で育てるというのが物理的に不可能ということが、一番の理由だと思います。
-----

また、

-----
──審査の際に法案を持ってくる若手から有能な人を見定めて抜擢するといったことも聞きますが……。

阪田 そういうこともないとは言えないでしょうが、少なくとも私の場合はそうではないし、参事官一般についても、引き抜いてくるというようなことはないですね。「今度来る予定のこの人はどんな人なのか」といったことを、いま居る前任者に聞くことはありますし、そのときに「彼はこの前審査に来ていたけれど、とてもよくできましたよ」といったことくらいは話すでしょう。ですが、人事について、参事官ごときが決めることはないので、イニシアチブをとるのはあくまで派遣する各省です。
-----

といったやりとりもありますが(p39)、おそらく聞き手の川口弁護士は、西川著p136に、

-----
 一方、内閣法制局も、法案審査を受けに来る各省庁の課長補佐クラスの応対ぶりをよく観察し、将来の参事官適任者の目星をつける。政府部内における内閣法制局の権威と地位を保つためには、やはり参事官は「えり抜きの俊秀」でなければならない。
 すなわち、出身官庁から「優秀さ」を買われ、内閣法制局からも認められ請われた官僚だけが参事官になるのである。
-----

とあるのを踏まえて質問したのでしょうね。
このやりとりを見ても、外部の西川氏には人事のような機微は理解できず、ついつい面白い話に仕上げてしまう傾向があることが伺えます。

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「内閣法制局の果たす機能は、まっとうな法治国家には必要不可欠」(by 南野森氏)

2016-09-03 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 3日(土)10時33分32秒

筆綾丸さんがその頭の良さに太鼓判を押されている内山奈月さんとは暫しお別れして、ここで南野森氏がもう少し難しい用語で展開する内閣法制局賛美も見てみたいと思います。
奥平康弘・山口二郎編『集団的自衛権の何が問題か─解釈改憲批判』(岩波書店、2014)所収の「禁じ手ではなく正攻法を、情より理を」からの引用です。(p93以下)

『集団的自衛権の何が問題か─解釈改憲批判』

-----
内閣法制局とは?

 内閣法制局は、一八八五(明治一八)年、内閣制度の発足とともに作られた大変由緒のある組織である(なお、発足当初はたんに「法制局」という名称で、戦後、一九六二年に「内閣法制局」と改称された)。いわば政府・内閣の法律顧問団であり、その主な業務は、閣議に付される法令案を審査する「審査事務」(内閣法制局設置法三条一号)と、法律問題につき首相や各省大臣等に意見を述べる「意見事務」(同条三号)の二種である。
 法令案の審査では、細かく念入りな逐条審査を通して、当該法令案は、憲法を頂点とする国法体系との整合性や、政府見解や判例との適合性が確保されたものとなる。憲法適合性について言えば、日本は諸外国に比べて違憲判決が少なく、違憲審査制が十分に機能していないと批判されることがあるが、実際には、このように事前に法の専門家が厳しく審査するため、裁判官が違憲と考えるような法令がもともと少ない、という事情がある(実際、過去に最高裁が違憲と判断した法律の多くが、戦前から存在していたものか、議員立法によるものである)。日本の立法のレベルは非常に高く、整合性や一貫性が充分に確保されている点が誇るべきところの一つであるが、それは、このような立法段階での精緻な準備に負うところが大なのである。
------

内閣法制局設置法は全部で8条しかない簡明な法律ですね。


ま、キラーカーンさんが触れられている米国あたりと比較すると「整合性や一貫性が充分に確保されている」のが日本の法制の特徴のひとつであり、それは基本的には内閣法制局により担保されているのだとは思いますが、憲法整合性に限っては、本当に内閣法制局のおかげなんですかね。
複雑怪奇で専門家以外なかなか近づけない行政法の世界とは異なり、憲法は国民誰しも一応の理解はありますし、法律作成に関与するようなレベルの中央官庁の公務員であれば、大学で憲法を学び、基本憲法判例についての知識も充分あるはずです。
そうじゃなければ国家公務員試験に受かるはずがないですからね。
素直に考えれば、憲法については法案作成に関与する国家公務員集団全体のレベルが高いから憲法整合性が高いのであって、内閣法制局だけが特別に貢献しているように言うのはどんなものなのかな、という感じがします。
ま、それはともかく、南野氏は自由党時代の小沢一郎氏らが「内閣法制局廃止法案」を提出したこと(2002年6月、2003年5月)や、「政治主導」を掲げる民主党政権下で内閣法制局長官による国会答弁が禁止されたことに言及した後で、次のように述べます。(p94以下)

-----
 しかし、内閣法制局の果たす機能は、まっとうな法治国家には必要不可欠である。「人の支配」ではなく「法の支配」を実現するためには、「法」が安定していることが最低限の必要条件である。朝に許されていたことが暮れには禁止されるようでは、いくら法を用いた支配とはいえ、それは「人の支配」である。そして法とは、議会等で制定された法文が、それを適用する機関(行政や司法)によって解釈されることで効果を生むものであるから、仮に法文が安定していてもその解釈が不安定であれば、結局は法が不安定であることになり、法の支配は成立しえない。一見単純な法文であっても、その解釈が専門家の間で分かれることはしばしばである。学者のあいだで解釈が分かれているだけなら勝手に論争しておけば良いと突き放すこともできようが、法適用にあたる国家機関によって解釈がばらばらであれば、国家は国家としてたちゆかなくなるし、国民も安心して暮らせなくなるだろう。法治国として二流三流に成り下がることになる。
-----

正直、ヒートアップの度合いがいささかコミカルに感じられるのですが、南野氏の基準では米国などはどう評価されるのですかね。
キラーカーンさんが指摘されるように、議員立法「のみ」で、法律相互の抵触も頻繁な米国などは「まっとうな法治国家」ではなく、「法の支配」ではなく「人の支配」に堕した国家であり、「法治国として二流三流に成り下が」っていることになってしまうのでしょうか。
まあ、ここまで内閣法制局讃美が昂じてしまうと、一種の偏執症、「整合性パラノイア」とでも言うべき段階なのではなかろうか、という感じもします。

>キラーカーンさん
>内閣法制局への出向者は「エース」ではないでしょう。
>法制局で必要な能力と高級官僚として必要な能力は別物のような気がします

各官庁で人望のない人の中では一番頭の良い人、といったら揶揄が過ぎるでしょうか。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

内閣法制局 2016/09/02(金) 22:52:59
>>議員立法は危ない?

先の投稿の続きで言えば
内閣法制局の審査を通った法案は、SEによる「動作保障」がなされている
議員立法の法案は動作保障がなされて「いない」(「相性」の問題で動作しない可能性がある)
という意味で、ある程度はあたっています。

米国では法律は議員立法「のみ」ですので、法律相互に抵触する条文も存在するらしく、
その「交通整理」も裁判所の仕事であるという話も聞いたことがあります。

>>内閣法制局

内閣法制局への出向者は「エース」ではないでしょう。
法制局で必要な能力と高級官僚として必要な能力は別物のような気がします

内閣法制局は、いわゆる「拒否権プレーヤー」なので、「へそを曲げられる」と大変なので、
それなりに大事にはされると思いますが・・・

確か、旧司法試験では、内閣法制局の参事官(以上?)を5年以上勤めれば弁護士資格が与えられたので、
それ以前に出向元に返すということがあるという話は聞きました
(或いは、司法試験合格者のキャリア官僚を送り出すか)
そういうこともあって、「終身雇用」を前提とした「内閣法制局採用」はやっていなかったのかもしれません
(所帯も小さいので、出向者で賄えるということもあったのでしょう)

現在では、司法試験合格以外で弁護士資格が取れるのは
1 最高裁判所裁判官経験
2 検察庁で、検事補→検事
だけになりました。
で、司法試験合格後、法制局参事官を5年以上勤めれば、司法修習を経ずに弁護士になれるという
「ささやかな特権」は残っているようです。
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「重箱の隅をほじくるような小姑的な態度」(by 田中耕太郎)

2016-09-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 2日(金)21時53分11秒

>筆綾丸さん
>はたして「エリート官僚のなかのエリート」と言えるかどうか

事務次官コースからはずれた人の中では、という条件付きですかねー。
まあ、私も官僚の世界に特に詳しい訳ではありませんが。

>重箱の隅

この言葉で田中耕太郎の『私の履歴書』に内閣法制局への言及があったことを思い出しました。
田中は終戦後、文部省の学校教育局長になるのですが、そのときに法制局とも交渉があり、「大学教授として知らない一属僚の悲哀」を味わったそうです。(『私の履歴書 文化人15』、日本経済新聞社、1984、p368以下)

-----
 他方終戦ははからずも私の履歴に重大な変化をもたらした。戦争の中頃、私は法学部内のある人事に関し多数の同僚と意見を異にし、同じ考えの横田喜三郎君と一緒に辞意を表明し、この問題について責任のない全助教授の熱意に動かされて辞職を思いとどまったことがあった。しかし終戦の際、私は大学を去ることになるとは全然予想していなかった。ところが前田多門氏が東久邇宮内閣とそれに続いた幣原内閣の文相になり、新設の学校教育局長のポストに就任を懇請された。私は前田さんの下でなら働き甲斐があると思った。また専門学校局長なら話は別だが、大学、専門、小中学、実業等一切の学校の行政を管理することになるから、これは教育一般に関する自分の抱負を実現するには絶好の機会にちがいない。その上に親友の山崎匡輔君はすでに科学教育局長になって入っており、文教の刷新のために一緒に協力してやろうと勧誘したことや、同じく親友の関口泰君が社会教育局長に内定していたことも私にはアトラクシオンであった。従って私は身内の者がこぞって反対したのにかかわらず、教え子の年輩に相当する地位に積極的な熱意を以て就任することとなった。
【中略】
 学校教育局長七ヵ月は、戦災学校の復旧、工業専門学校の商業専門学校への再転換、指令による教職員の適格審査会の実施、教員組合との交渉、アメリカ教育使節団との共同研究、総司令部との折衝などで目のまわるほど多忙であった。しかしこれらはすべて貴重な体験であった。大学教授として知らない一属僚の悲哀もその一つである。
 旧制度の下において各省の役人たちは、議会や大蔵省、枢密院、法制局の重箱の隅をほじくるような小姑(こじゅうと)的な態度に悩み抜いていた。彼等は尊大にかまえている議員や同僚の鼻息をうかがわされた。私は貴族院の委員会に政府委員として答弁にあたっていた。ある男爵議員と問答をくりかえし、つい座ったまま答えたら、すかさず「お立ちなさい」とどなられた。大学出の法制局部長に電話で用を足そうとしたら、あとで学校局長がやってこないのはけしからんといったそうである。またある日のこと東大の工学部長で友人の某老教授を紹介する目的で主計局に同行した。東大出身の秀才らしい若い一課長は、教授が縷々陳情したのに対し、熱心に傾聴しないばかりか、両脚を組みながら「うん、そんなことをいう者もよくあるがねえ」とふんぞりかえった。
------

まあ、内閣法制局だけではなく、議会・大蔵省・枢密院と並べての話ですが、「重箱の隅をほじくるような小姑的な態度」は内閣法制局の伝統のひとつのようですね。

田中耕太郎(1890-1974)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

壺中の天あるいは重箱の隅 2016/09/02(金) 15:05:55
キラーカーンさん
現内閣に皇室典範改正の意思があるのかどうか、すこし疑問ですね。
まもなく王座戦が始まりますが、挑戦者の糸谷さんは独創的な人なので、どんな将棋になるか、これも楽しみです。

小太郎さん
『憲法主義』を眺めてみました。
-------------
 美濃部達吉を知ってますか?
◆内山 知りません。
 そうか、もともと内山さんは理系でしたっけ。
◆内山 はい、3年生で文転したんです。(43頁)
-------------
◆内山 オランダ語を勉強した後に、また英語を勉強し直したんですよね。
 え?
◆内山 『福翁自伝』読みました。私、慶應大学に進学するので。(65頁)
--------------------
◆内山 新しい人権ですね。
 ああ、知っていましたか。
◆内山 小学生のときに勉強しました。プライバシー権と、環境権と、知る権利。(96頁)
-------------------
行は詰めましたが、打てば響くような感じですね。講義の後のレポートは驚くほどで、大半の国会議員のレベルを楽々と飛び越えていますね。

各省においては、局長ー審議官ー事務次官ー天下り、と進むのが本命のエリートであって、内閣法制局から誘われるのは法律に精通しているけれども地味な職人肌の官僚で、はたして「エリート官僚のなかのエリート」と言えるかどうか。重箱の隅を楊枝でほじくる所、と各省の主流は軽く考えているではあるまいか。AIで代替可能な役所の筆頭のような気がしますね。いや、法律の文言は曖昧すぎて、AIには馴染まないかもしれません。
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「すごい、超エリート。超すごい人たちなんですね」(by 内山奈月氏)

2016-09-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 2日(金)09時42分41秒

南野森氏の内閣法制局絶賛シリーズ、第三回(最終回)です。(p173以下)

------
◆内山 内閣法制局の人って、どこで選ばれるのですか?

 おもしろい質問ですね。どう思いますか?

◆内山 公務員の人?

 もちろん官僚です。ただ、選抜の方法が普通の官僚とは違います。
 たとえば内山さんが将来、財務省の役人になりたいと思ったら、国家公務員試験を受けて、合格したら財務省に行って「私を採用してください」と面接でアピールして、財務省が「よし、こいつを採ろう」と思えば採用されます。
 けれども、内閣法制局はそういう採用活動をやっていません。各省から評判のいい人を採るのです。財務省、法務省、総務省といった役所で何年もキャリアを積んできた人のなかで、「あの人はすごく法律に詳しい」といった評判が立つ人を呼んで、何度か面接をする。そのうえで適任だと判断したら、「何年間か内閣法制局に来てよ」と採用するのです。

◆内山 すごい、超エリート。超すごい人たちなんですね。

 エリート官僚のなかのエリートです。あとは裁判官も入っています。検察官からも選ばれますね。審査や調査をする人は全部で30人くらいですが、この人たちがすべての内閣提出法案を審査しているわけです。
------

この後、

------
Natsuki's Note

・内閣提出法案(閣議決定)←内閣法制局の審査
・議員提出法案      ←法制局の審査なくてもいい
------

という簡潔な纏めがあって、「議員立法は危ない?」という話につながりますが、省略します。
さて、私も内閣法制局に関する本や論文を少し読んでみましたが、この採用システムは確かに独特で、他にはあまり例がないようですね。
採用枠が少ないだけに、実際には官庁別の強力な縄張りがあって、全ての中央官庁出身者が採用される訳ではなく、また長官への出世の登竜門たる総務主幹になれる人は更に限定された有力官庁出身者に限られる、といった話もありますが、これも省略します。
興味を持った人は、例えば西川伸一氏(明治大学教授)の『知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房)などを見ていただきたいと思います。
また、内閣法制局の業務の実際について、ネットでは仲野武志氏(京都大学教授)の「内閣法制局の印象と公法学の課題」(『北大法学論集』61巻6号(2011)が参考になります。

「内閣法制局の印象と公法学の課題」
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/45119/1/HLR61-6_006.pdf
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「日本という国を殺そうとしているのが安倍政権」(by 長谷部恭男氏)

2016-09-02 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 2日(金)08時52分1秒

『安保法制から考える憲法と立憲主義・民主主義』は三部構成で、最初に木村草太・杉田敦(法政大学教授、政治理論)・柿崎明二氏(共同通信論説委員)の鼎談、次に長谷部恭男・青井未帆・豊秀一氏(朝日新聞編集委員)の鼎談、最後に長谷部氏の単独論文「安保関連法制を改めて論ずる」が載っているのですが、この論文に次のような記述があります。(p98)

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【前略】憲法の基本原理が変更されたときも、国家は死ぬ。別の新たな約束ごとがそこに立ち現れる。そして今、日本の憲法の基本原理、つまり立憲主義に対して攻撃を加え、日本という国を殺そうとしているのが安倍政権である。石川健治教授が、7・1閣議決定以降の一連の政府の動きを指して「クーデター」と形容しているのは誇張ではない。日本という国家体制の最悪の敵は安倍政権である。
【中略】
 従前と同様、日本自身の防衛のためにのみ武力を行使する、それで日本はより安全になるという政府の主張は、到底額面通りに受け取ることはできない。アメリカの戦争の下請けとして、世界中で武力を行使し、後方支援するための法制であることは、明らかである。
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うーむ。
昨年、清宮四郎のストーカーである石川健治氏のストーカーみたいになって石川氏の「7月クーデター説」の論理を辿ってみた私は、憲法学界では誰も石川説を支持していないのかな、と感じていたのですが、長谷部氏は強力に支持していたんですね。
ちょっとびっくりです。
また、「日本という国を殺そうとしているのが安倍政権」「日本という国家体制の最悪の敵は安倍政権」という言葉の強い調子にも驚きましたが、長谷部氏は政治運動に関わりすぎて、ちょっと精神の平衡を失いつつあるのでは、と懸念します。
ま、「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる」の法政大学教授よりはマシでしょうが。

今年のプチ反省
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0ed9e9e87f909bda705b05a4e7fab4e6

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「赤ペン先生のように添削していくのです」(by 南野森氏)

2016-09-01 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 1日(木)23時18分4秒

新安保法制の話はそんなに長く続けるつもりはなくて、ちょっとした仮想事例に即して、新安保法制を批判する憲法学者・内閣法制局元長官・最高裁判所元判事の論理を検証するに留めようと思っています。
どのような仮想事例かというと、共産党が選挙で勝利して衆議院・参議院とも過半数を握るも、改憲発議に必要な三分の二は確保できていない、という状況が生じた場合ですね。
現実の共産党の得票率はせいぜい5%、どんなに多くても10%くらいが関の山でしょうから、実際には殆どありえない状況ですが、こういう状況を設定することによって、自民党憎し・安倍憎しという感情からいったん離れて、批判派の論理のみを検証することができるのではないかと思っています。
このような状況になった場合、共産党内閣の首相は、当然、新安保法制の廃止を目指すでしょうが、更に旧来の内閣法制局の憲法9条解釈をも否定して、個別的自衛権の否定・自衛隊の否定という最も素直な憲法9条の文理解釈に戻そうとするのではないかと思います。
そして、そのためには内閣法制局長官の更迭や従来の政府解釈を変更する閣議決定も必要になりそうですが、そのような方向転換には「立憲主義」の観点からどのような問題が生じるのか、を考えてみたいですね。

ま、それはともかく、とりあえず南野森氏の内閣法制局絶賛の続きです。(『憲法主義─条文には書かれていない本質』、p172以下)

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◆内山 内閣法制局もお役所ですか?

 官僚組織の一つです。法律に詳しい人が揃っています。この内閣法制局の審査が、ものすごく厳しい。
 僕も審査の様子を見に行ったことがあります。大きな机に内閣法制局のおじさんが座っていて、法律の難しい本がたくさん積んである。そこにドアをノックして「財務省です」などと言いながら、官庁の役人が何人か法案を持って入ってきて着席する。「では、1条から読んでいきましょう」と言って、「あ、この言葉づかいは違うね」とか、「10条にはこう書いてあるけど、2条と矛盾するんじゃないの?」とか、赤ペン先生のように添削していくのです。
 じつはここで、憲法に違反しないかのチェックも行われます。「こんな書き方だと裁判所に憲法違反と判断されますよ。昭和〇年の判例にはこう書いてある」といった突っ込みが入るのです。内閣法制局の人がすごいのは、そういうデータが全部頭に入っている。

◆内山 すごい……。

 そういう審査を受けて、赤ペンを入れられたところを直して、また見てもらって赤ペンを入れられて……ということを繰り返して、ようやく法案ができて閣議に提出されます。
 こうしてできた内閣提出法案が国会の立法のほとんどを占めているわけですから、法案は国会に出てきた段階でまず間違いがない。それだけでなく、憲法に違反していないかという審査もすんでいることになります。
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この後の内山奈月氏の質問はちょっと面白いのですが、また後で。

>筆綾丸さん
長谷部恭男編『安保法制から考える憲法と立憲主義・民主主義』(有斐閣、2016)を入手し、パラパラ眺めているところなのですが、「熟議」は<「熟議の日」の提唱者として知られるエール大のブルース・アッカマン教授>(豊秀一氏の発言、p89)からの輸入品みたいですね。
「熟議の日」や「熟議民主主義」には不案内なので、少し調べてみるつもりです。

『安保法制から考える憲法と立憲主義・民主主義』

>とても頭の良い人ですね。

南野氏とのやり取りを見ると、内山奈月氏の状況を把握するカンの良さと頭の回転の速さには本当に感心しますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

タレントの才能 2016/09/01(木) 13:54:19
小太郎さん
『憲法主義─条文には書かれていない本質』(PHP研究所、2014)、読んでみます。
共著者の内山奈月氏ですが、AKB48でアイドルをしながら、慶應(経済)に受験で入学したのなら、とても頭の良い人ですね。慶應(経済)は数学が必須のはずですから、「又は」と「若しくは」の相違にいちばん馴染むのは因数分解ですね、といえば、なーんだ、と即座に理解するかもしれませんね。

余談
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201608300101.html
昨日は、このサイトで王位戦第5局を観戦していて、159手目先手の手番、▲2九香で逆転勝ちだ、と思ったのですが、羽生王位はなんと▲3三桂成と指し、結局、負けました。両者とも一分将棋で、秒読みに追われていたとはいえ、羽生さんほどの天才も間違えるんだな、と感動しました。局後の感想で、▲2九香の一手でした、と羽生さんも認めていますが、コンピュータではありえないことですね。
日本将棋連盟は、年度末に、名局を一局選ぶのですが、8月末現在、この将棋が一番です(失着をとがめて、これは名局ではない、という人もいるかもしれませんが)。徳島・渭水苑の大盤解説を聞いた人は運がいいですね。

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