学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「成功報酬が国際司法裁判所の判事」(by 孫崎享)

2016-09-30 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月30日(金)09時08分34秒

グーグルで「田中耕太郎」を検索してみると、上位は殆ど全て不評・悪評・酷評で、これほど嫌われている法学者・最高裁元長官も珍しいですね。
ウィキペディアの次に出てくるのは孫崎享氏(元外務省国際情報局長・元防衛大学教授)のブログをコピーした「米国の命令を実行すると ご褒美がもらえるのだ」という記事ですが、それによると、

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この田中耕太郎氏と米国との関係がどうなっていたか、見てみたい。
この情報は知人が提供してくれたものである。

 出典鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』、
下田武三(外務次官、駐米大使、最高裁判事)

 昭和28年対日平和条約の発効後、初代の大使として赴任した諸外国の
大使は各界の指導者との交際を念願していたところ、熱心なクリスチャンであり、
西欧的な教養を身につけられた田中最高裁長官ご夫妻は在京外交団の引っ張り
だことななられ、頻繁に大使館のディナーへの招待を受けられた。
(注:最高裁長官という微妙な立場にいるものは、通常、外国の工作を排除する
ため、こうした交流を出来るだけさせる)

http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/494.html

のだそうですね。
「ななられ」は「なられ」の単なる誤記でしょうが、最後の「出来るだけさせる」は意味不明で、まあ、文脈から判断すると「さ(避)ける」と言いたかったのでしょうね。
孫崎氏は元外務省国際情報局長という経歴にも拘らず、ずいぶんそそっかしい人ですね。
なお、田中がこうした交流を積極的におこなったのは、戦前の大審院の社会的地位が極めて低いものだったので、最高裁は全く別な存在になったことをアピールすることが狙いだったとどこかで書いていましたね。
また、孫崎氏によれば、

-----
田中耕太郎氏が米国の積極的支持を得て当選したことは間違いない。
それはある意味、「砂川事件」裁判の論功勲章のようなものである。
砂川裁判は極めて異例な裁判である。
【中略】
田中耕太郎氏はその成功報酬が国際司法裁判所の判事というポストを
米国の支援で獲得したのである。ここに米国に協力する者と、米国の対応が
現れる典型的ケースがみられる。
裁判官や検察に米国の影響力が及んでいると多くの人は考えている。
しかし、ここにもしっかり影響力が及んでいる。
それを田中耕太郎氏のケースが示している。
------

のだそうです。
ま、日本語の乱れを指摘するのは煩瑣なので避けるとして、田中が国際司法裁判所の判事になったのは、当時、日本からの候補者として最適任と衆目が一致していた横田喜三郎(1896-1993)が個人的な都合で頑強に拒否したために6歳上の田中にお鉢が回ってきたからで、田中自身の希望ではありません。
田中は余生は再び学問三昧の生活に戻り、「世界法の理論」を完成させたいと思っていたのに、周囲から重ねて頼まれたために最後のご奉公のつもりでハーグに行った訳ですね。
そして高齢の身にとっては不自由の多い外国での生活に耐え、持ち前の生真面目さで熱心に職務に打ち込んだ結果、9年間の職務を終えて帰国後、まもなく病気となり、4年後に83歳で亡くなってしまいます。
激務をうまく逃げた横田喜三郎が、スケートなどを楽しみつつ、96歳まで長生きしたのとは対照的ですね。
そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで、孫崎氏の推論は偏った情報源に基く誤解、というか妄想ですね。
孫崎氏は立派な経歴の割には奇矯な発言が多い人で、鳩山元首相との共著もあるそうですから、「宇宙人」仲間なのかもしれないですね。

孫崎享
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
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