投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 5日(月)08時43分12秒
内閣法制局長官の法的地位に言及した次の箇所もクールで良いですね。(p56以下)
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──長官の下に法制次長という役職がありますが、長官との関係でいうと、次長というのはどういったポストなのでしょうか。
阪田 基本的に各省の事務次官と一緒ですね。いまはなくなりましたが、事務次官会議に出ていたのは法制次長です。長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職です。省庁ですと次官の上は大臣で、政治家ですね。そういう意味では法制局でも政治家が長官であってもいいわけです。実際、戦前戦後の一時期は政治家が務めたこともあったと聞いています。けれども政治家としては、あまり面白い仕事ではないでしょうね。たいした権限もなくて、国会で理屈を述べるだけですから。結果的に役人が務めるようになってきたということだと思います。
現実問題として、国会会期中は長官が国会に張り付いている必要がありますし、一方で法律案の審査は1月、2月がピークですから、長官が法案のすみずみまで見るというのはなかなか難しい。そういうことから、実質的な法案審査の最終責任者は次長ということになるわけです。次長は短期間に、年によっては100本以上もの法案をチェックしなければなりませんから、各省の事務次官と違って非常に負担が大きいですね。とくに法案審査の1~3月、それに臨時国会のある秋口などは休日返上です。
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安倍内閣が元外務省国際法局長の小松一郎氏を内閣法制局長官に選任した時はひと騒動あって、例えば南野森氏は、「禁じ手ではなく正攻法で、情より理を」(『集団的自衛権の何が問題か』)において、冒頭で長々と1891年(明治24)の大津事件を紹介した後、
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大津事件から一二三年を経た本年の五月、もちろんまた別様にではあるが、法の解釈をめぐる問題が朝野を賑わわせている〔ママ〕。集団的自衛権をめぐる日本国憲法九条の解釈である。
第二次安倍内閣は、二〇一三年八月八日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を任命した。その後、小松氏の体調不良を理由として、いわゆる安保法制懇の報告書が首相に提出された翌日、二〇一四年五月一六日付の閣議で、小松長官を退任させ横畠裕介次長を昇格させる人事が決定されたが、それにしても、安倍首相による小松長官の唐突な任命は、内閣法制局の次長や部長どころか参事官すら経験したことのない完全に「外部」の人間が、しかも二〇〇〇年まで他省庁とは異なる独自の採用試験を実施していた外務省の人間が、いきなり長官ポストに抜擢されたものであり、戦後の内閣法制局の歴史においては異例中の異例、初めてづくしの驚愕人事であった(6)。
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などと無駄に熱く語っているのですが、内閣法制局の人事利権に関係する「内部」の人が激怒するならともかく、九州大学教授のような完全に「外部」の人間がそんなに怒ることもあるまいに、という感じがします。
ま、少なくともこの人事を法律論と政治論に分けて、法律論としては内閣法制局設置法第2条第1項に「内閣法制局の長は、内閣法制局長官とし、内閣が任命する」とあるの参照した上で、「長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職」である程度のことを述べた上で、それとは別に怒るなり何なりするのが法律家としての「禁じ手ではなく正攻法」で、「情より理を」重んずる態度ではなかろうかと思いまする。
ちなみに南野氏は注記(6)で、
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(6) 石川健治「もつれた糸 引きちぎる暴走」(『朝日新聞』二〇一四年五月一六日朝刊)は、「内閣法制局の長官を「お友だち」に代えてしまったこと」を、「安倍政権の信頼性を大きく傷つける、取り返しのつかない失策であった」と言う。
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と書かれていますが、外務省国際法局長(旧条約局長)といえば、栗山茂・下田武三・藤崎萬里・高島益郎・中島敏次郎・福田博といった外務省出身の最高裁判所判事が殆ど経験している枢要な地位で、内閣法制局長官になっても全然おかしくない立場ですね。
「もつれた糸 引きちぎる暴走」は未読ですが、ゴエモンさんはどこかで退任した山本庸幸氏が直ちに最高裁判事に任命されたことを「左遷」とか書いていて、言語感覚が尋常ではないですね。
内閣法制局長官の法的地位に言及した次の箇所もクールで良いですね。(p56以下)
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──長官の下に法制次長という役職がありますが、長官との関係でいうと、次長というのはどういったポストなのでしょうか。
阪田 基本的に各省の事務次官と一緒ですね。いまはなくなりましたが、事務次官会議に出ていたのは法制次長です。長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職です。省庁ですと次官の上は大臣で、政治家ですね。そういう意味では法制局でも政治家が長官であってもいいわけです。実際、戦前戦後の一時期は政治家が務めたこともあったと聞いています。けれども政治家としては、あまり面白い仕事ではないでしょうね。たいした権限もなくて、国会で理屈を述べるだけですから。結果的に役人が務めるようになってきたということだと思います。
現実問題として、国会会期中は長官が国会に張り付いている必要がありますし、一方で法律案の審査は1月、2月がピークですから、長官が法案のすみずみまで見るというのはなかなか難しい。そういうことから、実質的な法案審査の最終責任者は次長ということになるわけです。次長は短期間に、年によっては100本以上もの法案をチェックしなければなりませんから、各省の事務次官と違って非常に負担が大きいですね。とくに法案審査の1~3月、それに臨時国会のある秋口などは休日返上です。
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安倍内閣が元外務省国際法局長の小松一郎氏を内閣法制局長官に選任した時はひと騒動あって、例えば南野森氏は、「禁じ手ではなく正攻法で、情より理を」(『集団的自衛権の何が問題か』)において、冒頭で長々と1891年(明治24)の大津事件を紹介した後、
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大津事件から一二三年を経た本年の五月、もちろんまた別様にではあるが、法の解釈をめぐる問題が朝野を賑わわせている〔ママ〕。集団的自衛権をめぐる日本国憲法九条の解釈である。
第二次安倍内閣は、二〇一三年八月八日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を任命した。その後、小松氏の体調不良を理由として、いわゆる安保法制懇の報告書が首相に提出された翌日、二〇一四年五月一六日付の閣議で、小松長官を退任させ横畠裕介次長を昇格させる人事が決定されたが、それにしても、安倍首相による小松長官の唐突な任命は、内閣法制局の次長や部長どころか参事官すら経験したことのない完全に「外部」の人間が、しかも二〇〇〇年まで他省庁とは異なる独自の採用試験を実施していた外務省の人間が、いきなり長官ポストに抜擢されたものであり、戦後の内閣法制局の歴史においては異例中の異例、初めてづくしの驚愕人事であった(6)。
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などと無駄に熱く語っているのですが、内閣法制局の人事利権に関係する「内部」の人が激怒するならともかく、九州大学教授のような完全に「外部」の人間がそんなに怒ることもあるまいに、という感じがします。
ま、少なくともこの人事を法律論と政治論に分けて、法律論としては内閣法制局設置法第2条第1項に「内閣法制局の長は、内閣法制局長官とし、内閣が任命する」とあるの参照した上で、「長官というのは特別職で、いわゆるポリティカル・アポインティ(政治任用職)として予定されている、身分保障のない官職」である程度のことを述べた上で、それとは別に怒るなり何なりするのが法律家としての「禁じ手ではなく正攻法」で、「情より理を」重んずる態度ではなかろうかと思いまする。
ちなみに南野氏は注記(6)で、
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(6) 石川健治「もつれた糸 引きちぎる暴走」(『朝日新聞』二〇一四年五月一六日朝刊)は、「内閣法制局の長官を「お友だち」に代えてしまったこと」を、「安倍政権の信頼性を大きく傷つける、取り返しのつかない失策であった」と言う。
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と書かれていますが、外務省国際法局長(旧条約局長)といえば、栗山茂・下田武三・藤崎萬里・高島益郎・中島敏次郎・福田博といった外務省出身の最高裁判所判事が殆ど経験している枢要な地位で、内閣法制局長官になっても全然おかしくない立場ですね。
「もつれた糸 引きちぎる暴走」は未読ですが、ゴエモンさんはどこかで退任した山本庸幸氏が直ちに最高裁判事に任命されたことを「左遷」とか書いていて、言語感覚が尋常ではないですね。