学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

チャプルテペック

2016-09-23 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月23日(金)23時24分22秒

>キラーカーンさん
集団的自衛権を規定する直接のきっかけを作ったのはラテンアメリカ諸国というのが常識でしょうね。
森肇志氏は「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」(『国際法外交雑誌』102巻1号、2003)において、従来の議論を、

------
 「個別的又は集団的自衛の権利」について規定する憲章第51条が、ダンバートン・オークス提案には含まれておらず、サンフランシスコ会議において挿入されたことは、あらためて指摘するまでもないであろう。この点に関して、従来の研究においては、一般に以下のように理解されている。
 ダンバートン・オークス提案第Ⅷ章C節2項(現在の憲章第53条)において、「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない」とされていたが、その後開催された1945年2月のヤルタ会談において安保理常任理事国にいわゆる拒否権が認められた結果、地域的取極に基づく強制行動が、拒否権の行使によって妨げられる事態が想定されることとなった。これに対し、サンフランシスコ会議直前に、共同防衛を規定するチャプルテペック規約を締結していたアメリカ大陸諸国が、同規約に基づく行動の自由が制限されることを嫌い、拒否権による制限に対する例外を求め、憲章第51条が挿入されたのである、と。
------

と纏めた上で(p97)、「こうした理解は、それ自体としては誤りではないものの、第51条の形成過程を十分に説明するものではない」として、

------
 従来第51条の形成過程に関して用いられてきた主たる資料はサンフランシスコ会議の公式会議録であったが、憲章第51条は、五大国の非公式協議の中で形成されたのであり、したがって公式会議録にその形成過程が記録されていることを期待することはできない。第51条の起草過程について、「サンフランシスコ会議の〔公式〕記録の中に〔は〕、うっすらとした痕跡を見出しうるのみであった」とされるのも、当然とさえ言えよう。
 しかし、従来利用されてこなかった、こうした非公式協議に関する一次資料によれば、憲章第51条の「骨格」は、1945年5月12日、より具体的には、この日の午後、五大国非公式協議に続いて開かれた、米英二国間の非公式協議の場で作られたと言ってよい。そうした「骨格」を出発点として、数度に亘る五大国非公式協議において修正がなされ、公式会議に五大国共同修正案として提出されたのである。……
------

と書かれています。
水島氏が森氏の論文をどう評価しているのは知りませんが、従来の一般的理解を前提としても、「集団的自衛権(「軍事同盟」)が国連憲章51条に入れられたのは、憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」という表現は全く理解不能です。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2016/09/23(金) 21:44:51
>>アラビア語は正文ではない

国連創設当時の公用語は、英仏西露中の五ヶ国語で、アラビア語は遅れて公用語になりましたので
国連憲章の正文にアラビア語は入りません。

で、小室直樹は中国語の正文では国際連合は「連合国」となっているということから、
国連は戦勝国連合で日本は未だに「敵国」であると「国連幻想」を批判していました

閑話休題
集団的自衛権は、国連の集団的安全保障措置が機能するまでの間、一カ国のみの自衛権(個別的自衛権)
では自国の安全保障が全うできないとして導入されたというのが「定説」とされています

>>ドイツ軍
旧東ドイツ軍はヘルメットのみを旧ドイツ軍から継承し
旧西ドイツ軍はヘルメット以外を旧ドイツ軍から継承した
という話を聞いたことがあります。

>>公定力
行政権の意思表示は他の機関に否定されるまで、合法・正当なものとして扱われる
という意味では、坂田氏の説明は分かりやすいです
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「憲章制定過程の最終段階に... | トップ | 山元一氏「九条論を開く─<平... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

天皇生前退位」カテゴリの最新記事