投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 7日(水)10時28分41秒
ちょっと脱線しますが、細谷雄一氏の「東大にも京大にも、「国際政治学」の講義はありますが、「安全保障研究」の講義はありません」という一文を見て、最近読んだ今野元氏(愛知県立大学教授)の「東京大学法学部における「国際政治史」の百年─神川彦松・横山信・高橋進・ディアドコイ─」(『思想』1107号、2016)を連想しました。
https://www.iwanami.co.jp/shiso/1107/shiso.html
石田憲「思想のことば」(高橋進特集の趣旨)
https://www.iwanami.co.jp/shiso/1107/kotoba.html
こちらは「国際政治学」ではなく「国際政治史」ですが、ひとつの講座の歴史がきちんとした論文になるのかな、程度の関心で読み始めたところ、次のような指摘に、ふーむ、と唸ってしまいました。(p118)
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二 岡義武による「国際政治史」の内政傾斜
東京大学法学部に「過去の克服」はない。一般に自己の正統性、卓越性を主張する組織では、自己批判という発想は生まれにくい。公職追放された神川彦松、矢部貞治、小野清一郎、安井郁(かおる)らについて、東京大学法学部の関係者は多くを語ろうとしなかった。代わって学部の正統派として強調されたのが、大正デモクラシー期に採用され、総力戦体制に抵抗したとされる南原繁、高木八尺、田中耕太郎、宮澤俊義、横田喜三郎ら「リベラル」な教授たちや、その薫陶を受けたという戦後民主主義の旗手丸山眞男の逸話である。法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消したが、「吉野作造文庫」「小野塚喜平次文庫」は一体で保存された。「日本国憲法」体制が安定し、マルクス主義の流行が落ち着くと、美濃部達吉や吉野作造が日本民主主義の源流として再評価され、恰も東京帝國大學法學部が「軍国主義」日本における「良心」の砦であったかのような印象が定着していく。
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私も東大法学部の歴史にちょこっと興味を持っていて、今野氏が列挙する南原繁以下の「リベラル」な教授たちについて多少調べたりしたことがあるのですが、確かに関係文献を読めば読むほど、自分自身が「恰も東京帝國大學法學部が「軍国主義」日本における「良心」の砦であったかのような印象」に捕らわれて行くような感じがありますね。
ま、それはともかく、「歴史学研究会」の歴史にもちょこっと興味を持っている私が長らく抱いていた小さな疑問、即ち、「歴史学研究会」の大黒柱、江口朴郎(1911-89)が何故に東大法学部で「外交史」を講義していたのかという、まあ、我ながらどうでもいいだろ的な感じがしないでもない疑問の答えが得られたことは嬉しかったですね。
要するにそれは岡義武との関係なのですが、まず、岡義武とは何者かというと、
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戦後の粛学が終わった東京大学法学部で政治学の中心的存在となったとなったのが、岡義武(一九〇二~九〇)である。岡義武及び実弟の岡義達は、岡實(農商務省・大阪毎日新聞社長)の御曹司である。岡義武は小野塚喜平次の助手となり、恩師と同じ政治学を志したが、同期の矢部貞治が小野塚の政治学講座を継承したため、吉野作造講師の下で政治史を専攻するという悲哀を味わった。神川彦松、矢部貞治らの退場により、戦中は地味な存在だった親英米派の岡にも、俄かに出番が巡ってきた。
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というような人です。
岡義武の思想について、今野氏は、
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岡のマルクス主義への傾倒は長い歴史があり、学生丸山眞男らとの対話でも、公然と「イギリス労働党の立場」を自分の理想として挙げていた。岡は「政治史」講義でも「社会経済史」的視点を重視していた(丸山は、岡の「イギリス労働党の立場」への傾倒は、マルクス主義の信奉を隠すための隠れ蓑だったのではないかと見ている)。検閲がない学生相手の講義では階級闘争史観の色彩を強め、民主的か反民主的か、進歩的か反動的かの価値判断が明確で、特にレーニン帰国以前のソヴィエトへの評価が高かったという。
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と述べていて、私は岡義武の思想傾向を余り知らなかったので江口朴郎との接点に気づいていませんでした。
この点について、今野氏は次のように書かれています。(p119)
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親マルクス主義的な岡義武の下で、「外交史」講義は文学部系のマルクス主義者に委託されることになる。第一高等學校教授から東京大学教養部教授となった江口朴郎(一九一一~八九)が、一九五一年から一九六一年まで法学部「外交史」も担当したのである。江口は日本のマルクス主義歴史学の大御所で、「歴史学研究会」委員長である。江口は「帝国主義論」で読み解く世界史論を展開し、疑似マルクス主義的な内政優位論の歴史家として日本で人気を集めたジョージ・ヴォルフガング・ハルガルテンとも交流を重ねた。江口の「外交史」講義の内容を直接知ることはできないが、その著作から、レーニン帝国主義論から出発する普遍史的観点からの近代欧州外交史を展開し、政治の動因として社会的不平等を重視し、「帝国主義」対社会主義者・労働者・農民の抗争史を構造史的に読み解いたものだったと推測される。ドイツの「伝統史学」の批判者として、江口はフリッツ・フィッシャーのドイツ帝国主義批判を多としたが、その外交史叙述の手法には同調せず、個人より構造を重視する姿勢を示した。
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岡義武については、この掲示板でも何回か触れたことがありますが、岡が史料編纂所の龍粛所長に冷酷とも言えるような対応をしたことについての坂本太郎氏の回想も、岡の思想を知った上で再読すると、従来とは違った味わいが出てきますね。
史料編纂所の位置づけと職員の身分(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d63680ac391f6e7a6d2434f2e3fa2762
>キラーカーンさん
閣議には資料の配布のような本当に事務的な仕事をするスタッフすらいないのですかね。
阪田氏の文章を読んで、ちょっと変に思いました。
※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。
>>官房副長官が3人、そして法制局長官。ほかに事務方はいない
国会議員の官房副長官(2名)が「事務方」とは到底思えないのですが・・・