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「商法なら日本に帰ってからやれるので、やれないことをやった方がよい」(by 田中耕太郎)

2016-09-08 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 8日(木)23時12分40秒

前回投稿の引用部分で、共産党系の川口創弁護士が統治行為論に懐疑的・否定的なのに対し、阪田雅裕氏は否定的ではない点は興味深いですね。
私も学生時代は、砂川事件大法廷判決の統治行為論は詭弁のような感じがしたのですが、綾小路きみまろ的な時の流れを経て何故か田中耕太郎に妙に惹かれるようになった今、改めてこの判決を読み直すと、よくぞ1959年という微妙な時期に、このような立派な判決を出してくれたものだと感心します。
このあたりは共産党の弁護士さんなどとは絶対に相容れない感覚でしょうね。
最近でも青法協あたりは相変わらず田中耕太郎にブチブチ文句を言っているようです。

「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反」事件
昭和34年12月16日、最高裁判所大法廷
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

青年法律家協会弁護士学者合同部会
http://www.seihokyo.jp/seimei/2013/130516-gichou.html

ま、政治的な問題はともかく、個人として田中耕太郎くらい面白い人は法曹界では珍しいでしょうね。
強烈な反共主義者という漠然としたイメージしか持っていない人が田中の「私の履歴書」を読んだら、相当びっくりするのではないかと思います。
その中の白眉は欧米留学で、『私の履歴書 文化人15』(日本経済新聞社、1984)では全体で80頁のうちの10頁を占めています。
1919年(大正8)、田中は文部省在外研究員として商法の研究のために三年間の留学を認められ、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・ドイツで過ごすのですが、国費留学の身でありながら全く商法の研究をせず、観光地を巡り、美術館や音楽会に通い、ときには古本屋あさりをするなどして芸術の香気溢れる優雅な時を過ごします。
そして、

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 約三年の遍歴時代を終えて、私は大正十一年(一九二二)の初夏に帰国した。商法を研究に出かけたが、どんな収穫があったか。お土産は何もない。いくらか未知の言語をおぼえ、一般教養をひろめ、世界を見、人を知っただけのことである。商法なら日本に帰ってからやれるので、やれないことをやった方がよいというのが私の方針であった。
 私が商法を勉強しなかったことは、すでに東京で評判になっていた。岡野先生は遭うといきなり、ピアノはどうかね、といわれた。そうして返答に困っているのを見て、「うちの娘もこの頃やっている」と慰めるように付け加えられた。松本先生は「田中君は商法のことは何も知らんよ」と誰かに言われた。私の留学中教授洋行で外遊された上杉慎吉先生からは、「田中君は気が違った」とやっつけられた。全く何といわれても仕方なかった。
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と述べます。(p346)
「岡野先生」は商法主任教授の岡野敬次郎、「松本先生」は田中の岳父でもある松本蒸治ですね。
もともと田中は松本蒸治が満鉄に転出して商法の講座が空いたので、内務省から大学に戻ったという経緯があります。
まあ、今ではおよそ考えられないほどのんびりした時代の、実にうらやましい洋行話ですが、田中の場合は大学教授を経て戦後は文部大臣・最高裁判所長官の激務をこなし、70歳の定年で最高裁を辞めた後、更に国際司法裁判所の判事を九年務めていますから、国家に対して三年間の遊学の分を遥かに超えた貢献をしていますね。
ちなみに「私の履歴書」は田中が国際司法裁判所に赴任する前の僅かな休暇の間に執筆されたものです。

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 引退によって私は青年時代からの念願である、専門に無関係な読書の生活にこん度こそ没頭できると期待していた。ところが摂理ははかることができない。退任後一ヵ月をまたないで、私は国連で国際司法裁判所判事に当選した。最高裁という象牙の塔から釈放されたとたん、向こう九年間ヘーグで亡命者のようにホテル暮らしをすることにきまった。グロチウス、レンブラント、ファン・ゴッホの国の、職場である「平和宮」の所在にふさわしい北欧の静かなこの都市での、雑音のきこえないアカデミックな生活が私をまっている。そこで私は世界法の理論を実地に応用することができるのである。責任は重いが、時間的の余裕もたっぷりある。定年後の念願もある程度叶えられるであろう。四十年前の留学に際して素通りした美しいものを、こんどの第二の留学において、若がえった気持ちで見たり、聞いたりしたいと思っている。(p382)
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コメント
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「公定力があるわけですから」(by 阪田雅裕氏)

2016-09-08 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 8日(木)11時08分49秒

私は集団的自衛権の基本的な考え方について阪田雅裕氏とは相容れない立場なので、『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)に賛同できる部分は少ないのですが、それでも内閣法制局という特殊な世界の内情を知ることができる文献の中では良質な本ですね。
ただ、去年四月に読んだときに変に思った部分が二箇所あり、うち一箇所はたぶん川口創弁護士も気づいていてやんわりと聞き直しているのですが、もう一箇所の単純なミスは編集関係者を含め誰も気づかなかったようですね。
p50の川口弁護士の質問への回答の部分(p51)です。

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──最高裁が最終的に有権解釈権をもっているとしても、すべての事情について最高裁に意見を求めるわけにはいかないですし、裁判事例となるケースは稀です。しかも、政治的な問題になるようなケースでは往々にして統治行為論ということで最高裁が判断を避ける。そうであればこそ、日々の行政の執行が憲法の枠内で適切に行われているかどうかをチェックし担保する内閣法制局の役割が、立憲主義を機能させていくために必要だということですね。

阪田 非常に大事だと思いますね。いろいろ制約があって、裁判所が判断する場面というのは限られる。これは仕方がないと思います。統治行為論というのも批判的に語られることが多いのですが、私はやはり民主的基盤が異なるということから、憲法判断に禁欲的であるということはもっともだと思っていますし、抽象的な違憲立法審査権をもたない以上、個別具体的な事件を離れて抽象的な法令の合憲性の判断はできない。また、法令には当然、合憲の推定が働いているわけですね。公定力があるわけですから。そして事後的にしか審査できませんから、判決が出るころには時間が経っていて、いろいろな社会的事実が積み重ねられている。そういうなかで、ちょっとくさいなと思ったからといって違憲と判断した途端に起こる、さまざまの混乱に思いを致すというのは、当然あるだろうと思います。
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「法令には当然、合憲の推定が働いているわけですね。公定力があるわけですから」とありますが、「公定力」は「行政行為」の効力であって、法令の合憲性の推定とは全然関係ないですね。
これは行政法の基礎の基礎です。
私はこの部分を読んだとき、目が点になったのですが、さすがに元内閣法制局長官の発言だから、もしかしたら自分の勘違いかも、と不安になって、田中二郎先生の古典的な教科書を始め、十数種の行政法の教科書を見てみました。
「公定力」についての学説は私が大学で行政法を学んだ頃とはずいぶん様変わりし、藤田宙靖氏の教科書あたりでは十数ページの詳細な解説があるものの、最近の教科書ではほんの数行で済ませるようなものもあって、私も綾小路きみまろ的な感懐を覚えたのですが、それでも法令の合憲性の推定と公定力を結びつけたものはひとつもありませんでした。
ということで、「公定力があるわけですから」は、元内閣法制局長官にしてはずいぶんお粗末な阪田氏の勘違いですね。

ちなみに、公定力という概念は学問的には若干の問題があるにしろ、素人を説得する際には便利だな、と思ったことがあります。

除名決議について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be1234b96a2892533f99ee68d34b0255

>筆綾丸さん
>「法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消した」とありますが、誰かが処分したということでしょうか。

今野論文には豊富な注記があるのですが、この点については特に説明はないですね。
ただ、戦後のドサクサの際に、上杉慎吉を嫌った誰かが勝手に処分したということは充分あり得ると思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

焚書坑儒? 2016/09/07(水) 19:55:59
小太郎さん
ご引用の中に、「法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消した」とありますが、誰かが処分したということでしょうか。蔵書に罪はないはずなんですが、一種の焚書坑儒ですね。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160907/k10010674071000.html
NHKの「生前退位の意向」報道が新聞協会賞に選ばれたそうですが、そんなことより、なぜ「スクープ」できたのか(宮内庁とNHKの conspiracy ?)、まず背景を明らかにすべきですね。数十年後の「平成天皇実録」に書かれるから、それまで暫く待て、ということか。

キラーカーンさん
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO06751960R00C16A9970M00?channel=DF280120166618
昨日は王座戦第一局を見ていたのですが、挑戦者の糸谷八段は強いのか、弱いのか、よくわからなくなりました。私は彼をひそかに「ドラえもん」と名付けているのですが、なぜ、あんな出来の悪い将棋を指してしまうのでしょうね。
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