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山本みなみ氏「北条時政とその娘たち─牧の方の再評価」(その2)

2022-01-19 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 1月19日(水)12時21分16秒

牧の方と「牧の方腹で貴族に嫁した」四人の女性については『サライ』サイトの山本氏の記事を参照して頂きたいと思います。

京都政界に人脈を誇った北条時政の若き後妻 牧の方―北条義時を取り巻く女性たち3【鎌倉殿の13人 予習リポート】
https://serai.jp/hobby/1033821
続々と京都の貴族に嫁いだ、北条時政の後妻 牧の方所生の娘たち―北条義時を取り巻く女性たち4【鎌倉殿の13人 予習リポート】
https://serai.jp/hobby/1036729

念のため「表Ⅰ 時政の娘たち一覧」から、「牧の方腹で貴族に嫁した」四人以外の娘たちの母親と婚姻相手を挙げると、

 長女(政子) 先妻(伊藤祐親娘か) 源頼朝
 二女     先妻(不明)     足利義兼
 三女(阿波局)先妻(不明)     阿野全成
 四女     後妻牧の方か     稲毛重成
 六女     先妻(不明)     畠山重忠→足利義純
 不明     不明         河野通信
 不明     不明         大岡時親

とのことで、牧の方が産んだ娘は貴族との婚姻率が極めて高いですね。
さて、「牧の方腹で貴族に嫁した」四人のうち、生年がはっきりしているのは「宇都宮頼綱に嫁したのち離縁して、松殿師家に再嫁した八女」だけで、この人は『明月記』に再嫁の時の年齢が四十七歳と明記されているので、文治三年(1187)生まれとなります。(p6)
また、男子は政範が八女の二歳下で、文治五年(1189)生まれですね。
ここまでは山本氏の論証は丁寧で説得的ですが、肝心の時政・牧の方の婚姻時期の推定は些か荒っぽいように思われます。
即ち、「二、牧の方の評価」の「(一)時政・牧の方年譜の再検討」に入ると、最初に杉橋説が成り立ちがたいことを検討された後で、

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【前略】前章で検討した娘たちの生年も含め、牧の方の年齢を再検討したのが上記の年譜である。生年が判明するのは八女(頼綱室)と政範のみであり、その他の娘については牧の方が二十代で一男五女を儲け、二年毎に出産したものとした。
 杉橋氏は「時政・牧の方年譜」において、藤原為家と宇都宮頼綱の娘(牧の方の孫娘)との間に生まれた為氏が貞応元年(一二二二)の誕生であることなどから、頼綱室の生年を承安二年(一一七二)と仮定されているが、彼女は天福元年(一二三三)に再嫁したとき四十七歳であり、生年は文治三年(一一八七)に確定する。また、細川氏・本郷氏は五女(朝雅室)・八女(頼綱室)・政範の生年を仮定されているが、うち後者二名について生年が判明することはすでに指摘したところである。
 稲毛重成室の母は不明であるが、杉橋氏・野口氏が指摘されているように、稲毛重成の行動形態からみて牧の方腹の可能性が高いと考え、年譜に加えた。下線部分は史料による裏付けを得るものである。
 時政と牧の方の年齢差は二十四、牧の方は政子の五つ年下となる。重要なのは杉橋氏の指摘②③に関わる、時政と牧の方の婚姻時期はいつなのかという問題である。牧の方腹では唯一生年の判明する八女(頼綱室)と政範が二歳差であることから、他の子女も機械的に二年ごとの出産と仮定した結果、婚姻時期は治承四年となったが、治承四年以後よりはそれ以前の可能性が高いだろう。野口氏の指摘されるように、婚姻時期が頼朝の挙兵以前であることは間違いないと思われる。おそらく時政と牧の方は、頼朝と政子の婚姻直後の治承年間に結ばれたのではないだろうか。したがって、婚姻を平時の乱以前まで遡らせ、頼朝配流の背景に牧の方を介した池禅尼と時政の関係を推定する杉橋氏の見解に従うことはできず、平治五年(一一五九)には牧の方はまだ生まれてさえいなかったのではないかと思われる。
-------

とされるのですが(p9以下)、「生年が判明するのは八女(頼綱室)と政範のみであり、その他の娘については牧の方が二十代で一男五女を儲け、二年毎に出産したものとした」、「牧の方腹では唯一生年の判明する八女(頼綱室)と政範が二歳差であることから、他の子女も機械的に二年ごとの出産と仮定した結果、婚姻時期は治承四年となった」との山本氏の発想にはちょっと驚きました。
このような、私にはどうみても強引と思われる仮定の結果、山本氏は「○時政・牧の方年譜(含シミュレーション)」において、

治承四年(1180)この頃、時政(43歳)・牧の方(19歳)婚姻か/八月頼朝挙兵
養和元年(1181)四女(重成室)誕生 <牧の方20歳)>(細川・本郷氏は時政・牧の方の婚姻を推定)
寿永二年(1183)五女(朝雅室)誕生 <牧の方22歳)>
文治元年(1185)七女(実宣室)誕生 <牧の方24歳)>
文治三年(1187)八女(頼綱室)誕生 <牧の方26歳)>
文治五年(1189)政範誕生(時政52歳)<牧の方28歳)>(細川・本郷氏は牧の方21歳と推定)
建久二年(1191)九女(忠清室)誕生 <牧の方30歳)>

とされるのですが、まあ、単なる数字合わせ以上のものではないですね。
「他の子女も機械的に二年ごとの出産」というのは、あるいはそのくらい間隔を置いた方が子育てがしやすいだろうという事情も考慮されたのかもしれませんが、それは現代人の発想であって、当時の有力武士クラスの女性は自分で子供を育てる訳ではなく、乳母にまかせるのが普通のはずです。
結局、山本氏の「牧の方腹で貴族に嫁した」女性たちの検討結果にもかかわらず、時政と牧の方の婚姻時期は分からないとしか言いようがありません。
そして山本氏自身も「○時政・牧の方年譜(含シミュレーション)」では「治承四年(1180)この頃、時政(43歳)・牧の方(19歳)婚姻か」としながら、結局は「治承四年以後よりはそれ以前の可能性が高いだろう」とされる訳ですが、これは野口実氏の研究を加味した推論です。
そこで、山本説の当否を判断するには野口実氏の「伊豆北条氏の周辺─時政を評価するための覚書」(『京都女子大学宗教・文化研究所研究紀要』20号、2007)という論文を検討する必要が生じてきます。
なお、「機械的」云々は、2007年に政治問題化した柳澤伯夫氏(当時厚生労働大臣)の「女性は生む機械」発言を連想させ、ちょっとドキッとしますね。

柳澤伯夫(1935生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%BE%A4%E4%BC%AF%E5%A4%AB
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