学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

京極派盆栽説

2008-07-18 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 7月18日(金)01時57分7秒

>筆綾丸さん
伏見院は彼なりの徳政興行に熱意を傾け、和歌のみならず書道の達人でもあり、能力的には歴代天皇の中でも相当優秀なグループの中に入るのでしょうね。
特に、京極派の再評価に大きく貢献された岩佐美代子氏が伏見院を理想的な人物として描いたので、国文学関係者の間では非常に高く評価されていますが、しかし、為兼のような人物の増長を放置していたことだけをとっても、政治家としては問題の多い人ですね。
持明院統の人材不足は、伏見院が個人的に責任を負わなければならない面もあるのではないかと思います。

『徒然草』に登場する日野資朝は、伏見院側近で京極派歌人でもある日野俊光の子として生まれ、持明院統に非常に近かった人ですね。
しかし、彼はある時点で持明院統に見切りをつけて後醍醐天皇に走りますが、『徒然草』第153段と154段を続けて読むと、日野資朝が捨て去った盆栽は、京極派の比喩であり、持明院統の比喩のように思えてきます。
京極派に最も特徴的なのは自然詠ですが、「自然の微妙な動きを、時間の推移、明暗の対比、斜めの光線のうちにとらえた作品」(井上宗雄氏『京極為兼』p185)との評価は盆栽評にそのまま使えそうですし、珍しい素材を求め、字余りを多用することなどは「異様に曲折あるを求めて目を喜ばしめつる」行為のように見えますね。
資朝はある時期までは、京極派=持明院統を「愛するに足れりと思」っていたのに、ある日突然、そのすべてが嫌になり、自分は「かたはを愛するなりけりと、興なく覚え」て、「鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨て」るように、京極派を捨てたのではないか・・・。
うーむ。
冗談で書き始めたのに、我ながらあまり笑えないような気分になってきました。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-153-tamekane.htm
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-154-amayadori.htm
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『新後撰集』の謎 | トップ | radishのように。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本文学」カテゴリの最新記事