学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

東北の歌枕

2012-07-20 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月20日(金)08時27分0秒

「最勝四天王院障子和歌」から例えば「宮城野」を抜き出してみると、

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宮城野やあかつき寒くふく風になく音もよわききりぎりすかな 御製

草枕また宮城野の露にして浅くも秋をながめつるかな 慈円

旅人の袖のあらしの秋更けてしらぬ露散る宮城野の原 通光

宮城野の秋にみだるる虫の音に露とふ風をそでにまがへて 俊成女

宮城野の木の下わくる旅の袖露をたよりの秋の花ずり 有家

移りあへぬ花のちくさにみだれつつ風のうへなる宮城野の露 定家

宮城野は宿かる袖も松虫の鳴く夕かげの萩のうは露 家隆

ふる里をしのぶもぢずり露みだれ木の下しげき宮城野の原 雅経

宮城野の草葉の露をあらそひてまた故郷をたれおもふらん 具親

宮城野のうつろふ秋にあしびきの山立ちならし鹿ぞ鳴くなる 秀能
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ということで、後鳥羽院以下、どの人も一度も陸奥に行っていないのに実に見事に詠むものですね。
「宮城野&和歌」で検索したら、登米伊達家現当主の伊達宗弘氏のサイト(「伊達八百年の歴史とみちのくの文学散歩」)に、

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この能因法師はみちのくを二度訪れ、また、全国各地を行脚し、晩年、和歌の手引書を著しています。そのなかで能因は、みちのくを山城、大和に次ぐ第三の歌枕の国として位置付けています。能因歌枕によるとその数の多いのは、山城(京都〉の86、大和(奈良)の43、陸奥(むつ)の42、摂津(大阪)の35、出羽の19で、この陸奥の国と出羽の国を合せた東北全体では、歌枕としては京都に次ぐ数の多さです。
 ちなみに、仙台から松島の方を辿ってみても、つつじが岡、宮城野そして多賀城に入って野田の玉川、おもわくの橋、沖の石、末の松山、壷の碑、浮島を経て、塩釜、まがき島、松島、雄島と続きます(後略)
http://www5.ocn.ne.jp/~date0731/zuihitsu/txt94.html

とありました。
まあ、「最勝四天王院障子和歌」に陸奥の歌がやたらと多いのは別に特殊な理由によるのではなく、もともと陸奥に歌枕が多いだけ、ということですかね。
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