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原彬久『岸信介─権勢の政治家』

2016-10-20 | 岸信介と四方諒二
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月20日(木)11時36分22秒

星野直樹も興味深い人物で、少し丁寧に追ってみたいような気もするのですが、なかなか時間がとれません。
星野家はプロテスタントの世界では名門で、一族に著名な牧師が多く、叔母の星野あい(1884-1972)は津田梅子の死去に伴い女子英学塾第二代塾長に就任し、戦後、津田塾大学の初代学長になった人ですね。
また、南原繁は内村鑑三門下の友人・星野鉄男の妹と最初の結婚をしたのですが、この兄妹は星野直樹の従兄弟・妹ですね。

星野あい(「歴史が眠る多磨霊園」サイト内)
星野直樹(同上)

ま、それはともかく、大日本帝国の終焉全般に手を広げると収拾がつかなくなるので、そろそろ「黙れ兵隊!」の纏めに入りたいと思います。
その参考として、岸関係の諸書を要領よく整理した原彬久氏の『岸信介─権勢の政治家』(岩波新書、1995)から、星野直樹も登場する部分を少し引用します。(p97以下)

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 東条の腹心星野直樹はのちに、「サイパンを失ったことは、事実上、大平洋戦争の勝敗が決したことであった」(『東條英機』)とのべている。しかし肝心の東条は、「日本の長所は、皆が生命がけであり、死ぬことを敢て怖れぬことである」として、相変らず持論の「決死隊精神」を秘書官たちに語るだけであった(『東条秘書官機密日誌』)。
 米軍に制海・制空権を奪われ、一段と厳しい批判にさらされていた東条は、いよいよ最後の賭けに出る。内閣改造である。天皇の意見を容れて嶋田繁太郎海相を更迭すること、軍需相を専任にすること、陸海両大臣による総長兼任を廃止すること、そして岸軍需次官兼国務相を退任させることなどが、この内閣改造の題目であった。
 岸の首に鈴をつけに行ったのは、「満州三角同盟」の一角を占める星野であった。もちろん東条の命を受けたからだ。星野は、岸が以前から辞意をもらしていたことを逆手にとって、東条の軍需相辞任を潮時に、岸もまた次官兼国務相を辞めるべきだ、と岸に迫ったのである。
 岸の「以前からの辞意」とはこうである。同年春から東条は軍需省内に岸次官の上席にもなりうる行政査察使を置いて、軍需物資の視察を担当させた。元商工相藤原銀次郎がこのポストに就くとき、岸はこれに激しく抗議して辞意を表明し、東条が慰留に努めたというものである。岸にとって、これが東条と対立するそもそもの出発点だった。
 星野の岸説得は、結局失敗に終わった。星野の回想によれば、岸は「自分が辞めるだけでは意義がない。この際、重臣を引き入れて、思い切った改造を行ない、挙国一致の実をあげるのが必要だ。……そうでなければ、軽々しく動けない」として、星野の要求をはねつけたのである(『東條英機』)。やがてもたれた東条・岸会談は、険悪な空気に包まれる。「辞めろ」、「辞めない」の押し問答の末、それでも岸は、「辞任拒否」の立場を押し通すことになる。
「あの当時、父は当局から狙われていた」と長男信和がのべているように、岸はその後暗殺の標的にされる。憲兵隊長四方諒二らが「岸を斬る」機会を執拗に求めていたのもちょうどこの頃である。しかし岸の「辞任拒否」は、結局東条の「内閣改造」構想を挫折させただけでなく、内閣そのものを「閣内不統一」によってついに総辞職に追い込んでしまうのである。
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『東條英機』は前回投稿でも引用した東條英機刊行会・上法快男編『東條英機』(芙蓉書房、1974)のことですね。
私は原彬久氏の<憲兵隊長四方諒二らが「岸を斬る」機会を執拗に求めていたのもちょうどこの頃>との見解に否定的なのですが、それは後ほど。

>キラーカーンさん
>当時の内閣は大臣数の制限はなかったので、重臣の入閣だけなら
>岸の辞任にこだわる必要はなかったのですが、

大臣数の制限はちょっと確認したかった点なのですが、現代の歴史研究者・評論家でこの点を誤解している人がいるだけでなく、当時の東條周辺の関係者でも勘違いしている人がいたように感じます。

>筆綾丸さん
>益体もない言辞を弄している衒学者

私も結論的には木村草太氏と同じく皇室典範改正の方が筋が良いのでは、と思っているのですが、どうにも木村氏の論じ方・文体に抵抗を覚えます。

※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

才能にハンディキャップのある学者 2016/10/19(水) 17:54:47(筆綾丸さん)
小太郎さん
現憲法第2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」に関して、木村氏は、「皇室典範」に力点を置いて特例法は皇室典範ではないとしていますが、「国会の議決した」に力点を置けば特例法で何の問題もないはずで、要するに、益体もない言辞を弄している衒学者ということになりますね。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784101265742
昨日読んだ『棋士という人生―傑作将棋アンソロジー』は大変面白かったのですが、「床屋で肩こりについて考える」(村上春樹)にある言葉を勝手に借用すれば、秀才には甚だ失礼ですが、「才能にハンディキャップのある憲法学者」と言えなくもありませんね。
なお、坂口安吾の「九段」は絶品です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E7%AF%84%E4%B9%8B
日経(10月18日付)経済教室欄に、柳川範之氏がノーベル経済学賞の「契約理論」の解説をしていますが、単に商法の問題にすぎないだろう、と思われました。
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さらに現実の契約に関するものだけでなく、もっと幅広い問題にも応用されている。例えば政党の公約を、政治家と国民との間のある種の契約ととらえて、政党の意思決定を考えるなど政治経済学分野への応用も進んでいる。
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・・・なんと貧しい apps だろう。

駄レス 2016/10/19(水) 22:02:00(キラーカーンさん)
>>皇室典範は普通の法律と同じ扱いですから、特例法でも憲法違反の問題は生じない

では、憲法の条文を見てみましょう。比較のために第十条も並べています
第二条??  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第十条??  日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
となっています。
この問題のキモは、

皇位の継承は「【法律】の定めるところにより」ではなく
「【皇室典範】の定めるところにより」

となっていることです。
つまり、皇位の継承は「皇室典範」という名前の文書によらなければならず、
一般の法律で皇位継承を規定することは【不可能】ということを意味します。
これとは別に「国会の議決」とあるので、【皇室典範は法律には限られない】
という論点も「白紙的」には存在します。
ただ、色々ややこしくなるので皇室典範を法律にしたという結論には賛成です。
(現在でも、「予算」や「国会承認人事」のように法律ではない「国会の議決」によ
る決定もあります)

ここで問題となるのは憲法で規定されている

「皇室典範」

の範囲となります。
一番わかりやすい(形式的)、かつ、最も狭い範囲は

「皇室典範」という名前の法律

です。
しかし、憲法にも「形式的意味の憲法」と「実質的意味の憲法」という用語がありま
す。
前者は「【成文憲法】としての憲法典」、後者は前者に加えて統治機構・人権に関す
る根本規定(「憲法関連法規」ともいいます)を含んだものです。
後者に含まれるものとしては、内閣法や国家行政組織法、皇室典範があります。

待鳥京都大学教授は、日本国憲法の統治機構に関する規定が簡素なため、
他国では憲法改正を要する統治機構改革が、わが国では「法律改正」で可能となるた
め、「憲法改正」に関して、他国との単純な比較は不可能である
と述べています
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO08498280Y6A011C1KE8000/
そのままでは全文の閲覧はできませんので、登録するか、紙の紙面でご確認ください
(極端に言えば、日本国憲法の場合、議院内閣制の廃止と一院制の導入以外の統治機
構改革は「法律改正」で対処が可能です)

また、フランスでは、「人権宣言」など過去の文書も第五共和国憲法前文で言及され
ているので、
それらの文書も実質的意味の第五共和国憲法に含まれます
(このため、第五共和国憲法には人権規定がありません)

ということで、「皇室典範」とあっても、例えば
「皇室典範第四条の特例に関する法律」という名前の特別法であれば
「実質的意味の皇室典範」であり、憲法には違反しないという論理構成です

もちろん、「皇室典範」は「皇室典範」という法律「のみ」を意味するので
「特別法」による譲位の容認は憲法第二条に違反する

という解釈も理論上は成立します。
むしろ、法律学の知識がなければ、この解釈のほうが分かり易い
木村氏はそういう「立場」を説明したのでしょう。

とはいっても

木村草太氏は変わり者、ないし目立ちたがり屋

という評価には私も賛成です。


>>星野氏と岸氏とは満洲時代から一緒で(中略)岸氏の心境、必ずしも平らかではな
かった

「2キ3スケ」の同格意識からいえば、この両者は四歳違いなので「いかにも」とい
う感じです。
この文から思いついたのですが
当時、内閣書記官長は閣僚ではなかったので、岸を内閣書記官長という形で体よく
「閣外追放」すれば内閣改造はできたのではないでしょうか。
書記官長なら首相の一存で更迭できたような気がします(記憶モード)
※閣僚経験者が内閣書記官長に就く例もあったので、あながち無理筋でもない

また、当時の内閣は大臣数の制限はなかったので、重臣の入閣だけなら
岸の辞任にこだわる必要はなかったのですが、岸が閣内にいたままなら「閣内不一
致」は確実で
内閣総辞職は時間の問題になるので、結局「意味がなかった」のでしょう。
米内も入閣には同意しなかったようですし

>>来る10月23日の「NHK杯テレビ将棋トーナメント」が三浦九段対橋本八段の対局

橋本八段が「三浦はクロ。対局したくない」と断言した直後のタイミングでの両者の
対局(放映)とは、将棋の神に愛されていたのは羽生三冠ではなく
実は橋本八段なのかもしれません。
(名人戦の神には見向きもされなかったようですが)

追伸
>>野村直邦
このドタバタで「在任最短閣僚」として日本史に名前が残ることになりました。

追伸2
「国政に関する機能を有しない」とされている日本国憲法下では、帝国憲法下で論じられた
譲位についての懸念の殆どは意味を成さないものとなっています。
問題は国民が「象徴としての権威」を当今と上皇(仮称)どちらに感じるかという

憲法の範囲を超えた次元

ということなので、「そもそも論」から始めるとかなり難しい議論になるのではと思料します
「象徴としての行為」(憲法上「公的行為」といわれるもの)の位置づけの整理は必要となるでしょうが
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