学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「黙れ兵隊!」について(ザゲィムプレィアさんへのお詫び)

2016-12-31 | 岸信介と四方諒二
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月31日(土)22時31分55秒

岸信介の「黙れ兵隊!」については10月下旬に中断して大川小学校の仙台地裁判決の話に移って以降、ずいぶん間延びしてしまいました。
最後に何か鋭そうなことを言って挽回しようと思って、少しジタバタして福田和也の『悪と徳と 岸信介と未完の日本』(産経新聞出版、2012)などを読んでみたのですが、岸信介と東京憲兵隊長・四方諒二とのやり取りについての新知見などあるはずもなく、結局、資料的には二か月前と全く同じ状況で進展はありません。
問題の性質上、基礎となる資料は岸から、または四方からの伝聞、そして第三者の目撃情報以外には考えにくいと思いますが、四方本人は戦前の一切の行動について弁解も説明もしないまま死去し、四方の報告を聞いた可能性のある赤松貞雄・星野直樹の記録にも「黙れ兵隊!」に関する記述はなく、岸の娘の安倍洋子氏が目撃したとの信頼性の低い情報はあったものの、これも結局はガセネタでした。
また、問題の出発点となった映画監督・吉松安弘氏の『東條英機 暗殺の夏』(新潮社、1984)の極めて詳細な迫真の描写は、伊藤隆・広橋真光・片島紀男編『東條内閣総理大臣機密記録』(東大出版会、1990)と比較すると、東条と岸の面談回数と時間という最も基本的な点に齟齬があり、やはりそれほど信頼できる資料に基礎づけられているのではなくて、結局は映画監督の創作なのだろうな、と考えざるをえません。
となると、最後には岸自身の回想をどこまで信頼できるか、ということになりますが、私は基本的に信頼してよいと思っています。
私が考える重要なポイントは岸が「黙れ軍人!」でも「黙れ憲兵!」でもなく、「黙れ兵隊!」と言ったとする点で、これは四方に対する核心的な批評ではないかと思います。
東京憲兵隊長の四方は、東条の威光の下で非常に広範な権限を有し、しかもその権限を頻繁に濫用的に行使していた人物と思われますが、岸に対する関係では四方に独自の裁量権は一切なく、全て東条の指示に従って行動せざるをえなかったはずです。
それは1944年7月に東條が置かれていた微妙な状況下では、岸への対処が最高度に政治的な判断を必要とする事項であって、その決定に四方が容喙できるような性質のものではなかったからです。
そして、そのような四方への批評としては「兵隊」ほど的確な、そして傲岸な四方の肺腑をえぐるほど辛辣な表現はありません。
岸は辞任を拒否することを決断した時点で腹は括っているはずで、「黙れ兵隊!」くらいのことは平気で言ったのではないですかね。
岸の回想によれば、岸は四方を追い出した日の夕食時、突然訪問してきた陸軍の青年将校五、六人とも会っているそうで、私はこれも特に疑う理由はないので事実だと思いますが、こういう得体の知れない連中の方が、客観的には四方よりよっぽど危険なはずです。
それでも岸が平気で会っているということは、そういう図太い人であるか、興奮して危険に関する感覚が麻痺していたかだと思いますが、まあ、前者ではないですかね。
もともと私は岸信介がかなり好きなので、以上の判断は私の贔屓目による歪みが反映されているのかもしれません。
「黙れ兵隊!」は材料がないのでこれで止めますが、岸信介については別の側面をもう少し追究しようと思っていて、それは来年の課題のひとつになりそうです。

「学問空間」カテゴリー:岸信介と四方諒二
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これが今年最後の投稿です。
皆さま、良いお年をお迎えください。
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