学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「黙れ兵隊!」の虚実(その1)

2016-10-15 | 岸信介と四方諒二
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月15日(土)10時49分37秒

ウィキペディアの東條英機の項を見ると、執筆者は本当に熱心に調べて丁寧に記述していて、その努力には頭が下がります。
しかし、ウィキペディア自体には記述の根拠となる出典をきちんと明記するという厳格なルールがあるとしても、その出典たる文献の方が出典を明示せず、引用と推測をごちゃ混ぜにしているような本だったら、結果的にウィキペディアのルールも無意味になりますね。

さて、「黙れ兵隊!」それ自体はたいした問題ではありませんが、乗りかかった船なので、ある程度の決着はつけておきたいと思います。
出発点となった吉松安弘著『東條英機 暗殺の夏』の記述を確認しておくと、東條は一時は内閣存続に非常に弱気になるも大規模な内閣改造で乗り切ろうとし、7月16日の深夜、内閣書記官長・星野直樹は東條の使者として深夜の交渉に走り回り、まず厚生大臣・小泉親彦を訪ねて辞任を了承してもらい、次いで国務大臣・藤原銀次郎を訪ねて軍需大臣就任を依頼し、了解を得ます。
そして、最後に翌17日の午前二時頃、星野は岸信介を訪ねて辞任を要請したところ、意外なことに岸は拒否し、若干のやり取りの後、星野は説得を諦めて帰ります。
そして、同日朝の岸と東條の対決の場面に移ります。(新潮文庫版、p524以下)

------
 昨夜、辞表提出を断った岸は、約束通り、この朝八時すぎに首相官邸日本間に来た。緊張しきった様子だった。
「総理のお考えが、重臣や国民の支持をも得る思い切った改造であり、また、そういったお考え通りに改造ができ上るなら、いさぎよく辞めましょう。しかし、できないとすれば、私はもやは内閣総辞職をすべきだと思います」
 満州時代以来の縁で、なにかと岸を引きたててきたつもりの東條にとって、岸の態度は裏切り以外のなにものでもなかった。東條は腹だたしかった。
「君は今年の一月、藤原さんに鉄鋼の管理を任せると私がいった時、それなら辞めると申し出たのではなかったのか。あの時、無理をいって引き留めさせて貰ったから、今度は君の望みをかなえることにしたのだ。君に辞めて貰うのは、君自身の希望に沿ったものであることを忘れんで欲しい」
 岸も負けてはいず、蒼白な顔で反論した。
「閣下はあの時、お前は陛下の前で全力をあげて御奉公申上げると約束したのに、途中で逃げ出すとは何事だ、と叱ったではありませんか。私は陛下の御信任を失ったわけではありませんから、最後まで辞めません」
 押問答は十時すぎまで二時間にも及んだが、岸はねばり続け、決着はつかなかった。
 東條は怒りのあまり、しばしば吃った。岸の顔はひきつるように歪み、両手はぎこちなく震え、彼の内心のおびえがどんなに激しいかを表していた。
 のっぴきならなくなった岸は、最後に木戸の名前をだした。もはや危険で、このままでは断わり切れなくなっていた。
「それでは、私の進退問題につきまして、郷里の先輩でもある木戸内大臣と相談させて頂きたいと思います。そのあとで、もう一度、考えさせて頂きます」
「いいだろう、そうしたいなら長州人同士で話しなさい。おかしな真似はやめて、陛下にむくいる、その一点だけを考えることだ」
 東條は軽蔑したように見て、最後の一言を吐き捨てた。
(木戸も結局は仲間か!? 長州閥の卑劣な陰謀家どもが!)
 怒鳴りつけたい衝動を抑えて岸を見送った東條は、四方を呼び、彼を監視下に置くように命令した。
 大きな目をしばたかせ、真蒼な顔で階段を降りてきた岸は覚束ない足取りで玄関に出てくると、車をそのまま宮中に向わせた。【後略】
------
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「現場を目撃した娘の洋子が... | トップ | 「黙れ兵隊!」の虚実(その... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

岸信介と四方諒二」カテゴリの最新記事