学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

佐藤雄基氏「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」(その2)

2022-11-09 | 唯善と後深草院二条

「はじめに」で佐藤雄基氏の問題意識を確認しておくと、

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 起請文とは、神仏に誓いを立て、その誓いが嘘であった場合、あるいはそれを破棄した場合、神仏の罰を受ける旨を記した文書である。平安末期に発生し、戦国期には様式的完成を遂げるものの、江戸期には衰退する。起請文は神仏への信仰に特徴づけられた日本中世を象徴する文書である。
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の後、「神判として比較史的に論じた中田薫の古典的研究以来」の「膨大な研究史」を19行で整理し、更に、

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 このように中世後期にみえる牛王宝印や湯起請などの研究と、院政期における荘園制的支配をめぐる研究との狭間にあって、鎌倉幕府の起請文研究は低調であり、石井良助の古典的研究を除けば専論もない。だが、起請文が訴訟制度に本格的に組み込まれるのは鎌倉幕府訴訟の特徴であり、その位置づけを行う必要がある。一方、鎌倉幕府訴訟の特徴は、訴訟審理を通じて当事者の道理(衡平感覚)にかなった理非(主張の是非)判断を導く出す点にあると考えられている。神仏の論理に基づく起請文と、訴訟審理に基づく理非判断とは一見整合しないようにみえるが、この両者の関係にこそ、鎌倉幕府訴訟の特質を考える手がかりがあるのではなかろうか。
 以上のような課題を踏まえて、第一章では基礎的研究の少ない鎌倉幕府訴訟における起請文利用、第二章では院政期における起請文利用、第三章では鎌倉期の公家法における起請文のあり方を解明して、中世前期の起請文の機能論的研究を試みたい。
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と続きます。
「鎌倉幕府訴訟の特徴は、訴訟審理を通じて当事者の道理(衡平感覚)にかなった理非(主張の是非)判断を導く出す点にあると考えられている」に付された注(23)を見ると、

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(23)「理非」をめぐる学説史的な問題については、新田一郎『日本中世の社会と法─国制史的変容─』(東京大学出版会、一九九五年)第一章参照。
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とあります。
さて、「当事者の道理(衡平感覚)にかなった理非(主張の是非)判断」の精神を体現した、鎌倉幕府の憲法ともいうべき御成敗式目は、五十一箇条の後、長大な起請文が載っています。
即ち、

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 起請
   御評定間理非決断事
 右愚暗之身、依了見之不及若旨趣相違事、更非心之所曲、其外、或為人之方人
 乍知道理之旨、称申無理之由、又非拠事号有証跡、為不明人之短、乍令知子細
 付善悪不申之者、事与意相違、後日之紕繆出来歟、凡評定之間、於理非者不可
 有親疎、不可有好悪、只道理之所推、心中之存知、不憚傍輩、不恐権門、可出
 詞也、御成敗事切之条々、縱雖不違道理一同之憲法也、設雖被行非拠一同之越
 度也、自今以後相向訴人并縁者、自身者雖存道理、傍輩之中以其人之説、聊違
 乱之由聞之者、已非一味之義、殆貽諸人之嘲者歟、兼又依無道理、評定之庭被
 棄置之輩越訴之時、評定衆之中被書与一行者、自余之計皆無道之由、独似被存
 之歟、者条々子細如此、々内若雖一事、存曲折令違犯者、
梵天帝釈四大天王惣日本国中六十余州大小神祇、別伊豆筥根両所権現三嶋大明神
八幡大菩薩天満大自在天神部類眷属、神罰冥罰於各可罷蒙也、仍起請如件、
    貞永元年七月十日
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とあって(『日本思想体系21 中世政治社会思想 上』、岩波書店、1972、p37以下)、この後に沙弥浄円(斉藤長定)以下、武蔵守平朝臣泰時・相模守平朝臣時房まで十三人の署名がズラズラ並んでいます。
法制史を専門とする研究者は、御成敗式目の五十一箇条の条文については熱心に論じても、この起請文を詳しく検討する人は稀だと思いますが、いったん気になり出すと、この起請文は何だか変なものに思えてきますね。
「神仏の論理に基づく起請文と、訴訟審理に基づく理非判断とは一見整合しないようにみえる」どころか、まるで正反対の理念が癒着した気味の悪いもののようにも思えてきます。
果たして佐藤氏は、この不整合をどのように分析・解明されたのか。

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