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「富士の嶺は恋を駿河の山なれば思ひありとぞ煙立つらん」(by 後深草院二条)

2018-06-07 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月 7日(木)00時06分39秒

服藤早苗氏の『古代・中世の芸能と買売春─遊行女婦から傾城へ』(明石書店、2012)で後深草院二条が最初に登場するのは「第四章 鎌倉時代─傾城の登場と芸能・買売春」の「第一節 遊女・白拍子・傀儡女の変容」です。
服藤氏は「1 東海道の遊女たち」の「①近江国」において、飛鳥井雅有『春の深山路』の鏡宿の場面を紹介した後、

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 同じ頃、すでに尼姿になっていた後深草院二条が三十二歳のときに鎌倉に向けて旅をした際、鏡宿に泊っている(『とはずがたり』巻四)。

  暮るるほどなれば、遊女ども、契り求めてありくさま、憂かりける世の習ひかなと
  おぼえて、いと悲し。明け行鐘の音にすすめられて出で立つも、あはれに悲しきに、
    立ち寄りて見るとも知らじ鏡山心のうちに残る面影

 二条は、契りを求めて歩く遊女どもの姿を見て、世の習いとはいえ、つらいことであるよ、と感想を述べている。「立ち寄って映し出して見たとしても、鏡山は気づきはしないであろう。私の心の内に残る面影までは」と、未だ後深草院を慕っている気持ちを歌に詠む。後に述べるが、院の女房であった自分は、遊女・傾城と同じように男と共寝を繰り返す同じ境遇であると二条は述懐するのである。
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ということで(p175以下)、ここに早くも「院の女房であった自分は、遊女・傾城と同じように男と共寝を繰り返す同じ境遇」だと服藤氏特有の「互換性」テーゼが出てきます。
ただ、この場面の『とはずがたり』の原文を見る限りでは、別に二条は自分が遊女と compatible な存在だとは言っていないのではないかと思います。
遊女を見て「世の習いとはいえ、つらいことであるよ」とは言っていますが、二条はそれとは別に、「鏡山」という地名に触発されて、「心のうちに残る(後深草院の)面影」を映し出しているだけですね。
さて、次に「②美濃国」に入って再び『春の深山路』に触れた後で、

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 青墓宿の次に赤坂の宿とあるから、美濃赤坂宿である。飛鳥井雅有は休憩のみのようであるが、後深草院二条は「美濃の国、赤坂の宿」に着き、ここで泊っている(『とはずがたり』巻四)。現在の岐阜県大垣市赤坂町である。

  宿の主に若き遊女姉妹あり。琴、琵琶など弾きて、情けあるさまなれば、昔御思い
  出でらるる心地して、九献など取らせて遊ばするに、二人ある遊女の姉とおぼしき
  が、いみじく物思ふさまにて、琵琶の撥にてまぎらかせども、(中略)墨染めの色
  にはあらぬ袖の涙をあやしく思ひけるにや、盃据へたる小折敷に書きて、差しおこ
  せたる。

 二条が泊まった赤坂宿の主は、遊女姉妹だった。琴や琵琶などの芸能を聞いて、二条も琵琶をたしなんでいたので昔が思い出されて、九献(酒)をとらせて今様でも謡わせたのであろう。今様を謡うものの、歌詞が自分の身と重なりあい、涙をそっとぬぐった、という。二条もまた同じように感銘を受けている。女性客も遊女を主とする宿に泊ったのである。
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とあります。(p177)
「昔御思いでらるる心地して」は少し変なので、服藤氏が「基本文献」に挙げている三角洋一校注『とはずがたり たまきはる』(新日本古典文学大系、岩波書店、1994)を見ると、「昔思ひ出でらるゝ心地して」となっています。(p170)
ま、表記の異同はともかくとして、ここで自己敬語は変であり、「御」は単純な誤記ですね。
また、服藤氏が(中略)としている部分には、「涙がちなるも、身のたぐひにおぼえて目とゞまるに、これもまた」が入ります。
「二人ある遊女の姉とおぼしきが」以下を訳すと、

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二人の遊女のうち姉と思われる方が、たいそう物思いにふけっている様子で、琵琶の撥で紛らわせていても涙がちであるのも、私と同じような身の上と思われて目にとまるのに、私もまた墨染めの衣の色とは違う(紅の)涙の袖を、遊女の方も不審に思ったのか、盃を据えた小折敷に歌を書いてよこした、
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ということですね。
また、服藤氏は省略されていますが、上記引用部分の後には遊女と後深草院二条の歌のやり取りがあり、私はこの部分は非常に重要だと考えます。
三角洋一氏校注の岩波新古典体系本から引用してみると、

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  思ひ立つ心は何の色ぞとも富士の煙の末ぞゆかしき
いと思はずに、情けある心地して、
  富士の嶺は恋を駿河の山なれば思ひありとぞ煙立つらん
馴れぬる名残は、これまでも引き捨てがたき心地しながら、さのみあるべきならねば、又立ち出でぬ。
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ということで、三角洋一氏は遊女の歌について、

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出家して修行の旅に思い立たれたお心は、どういうご事情からかと、富士の煙の末ではありませんが、本末の詳しい訳をうかがいたく存じます。「思ひ」の「火」と「立つ」は「煙」の縁語。
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と解釈し、後深草院二条の返歌については、

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富士の山は恋をする駿河の国の山なので、物思いがあると言っては煙が立ち昇るのでしょう、私の物思いの訳はともかくとして。「恋をする」から「駿河」に言いつづける。
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と解釈されるのですが、「私の物思いの訳はともかくとして」は全く理解できません。
ここは素直に、どんな悩みがあって出家されたのかと聞かれたので、恋の悩みですよ、それも火山のような熱い恋でした、と答えたものと解すれば良いのではないですかね。
遊女の歌に「富士の煙」が出て来るので、遊女の方もあなたは恋に悩んでおられるのですね、と水を向けている訳で、二条がまさにその通りですと答えたことになり、恋の達人同士の遊び心に満ちた、非常に艶っぽい贈答歌です。
さて、少し戻って服藤氏が(中略)とした部分には「身のたぐひにおぼえて」(私と同じような身の上と思われて)という表現はありましたが、これも二人の贈答歌まで考慮すると、この人も過去に何かつらい恋の思い出があったのだろう、程度の意味と考えるべきではないかと思います。
少なくともここで、服藤氏特有のしみったれた「互換性」テーゼを思い起こす必要はなさそうです。
ま、服藤氏自身も、別にここで「互換性」云々と言われている訳ではありませんが。
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