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渡邊裕美子氏「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(その1)

2023-01-21 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

渡邉裕美子氏については、当ブログでは渡邉氏と櫻井陽子・鈴木裕子氏の共著『平家公達草紙 『平家物語』読者が創った美しき貴公子たちの物語』(笠間書院、2017)との関係で何度か言及したことがありますね。

「自分たちの願望や憧れを込めて、様々な手法を使って、平家公達の横顔を二次創作」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6703ff7fe27f91124f8f3212ecd5e21c
「なぜ、これほどまで、隆房が陰に陽に登場するのでしょう」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cbcfa49a126ba3923496a500b44ee277
「こうした子孫の女性たちの存在感が、隆房まで有名にしたのかもしれません」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/37bc204a27979ec252726d8e427d1e56
「久我の内大臣まさみちといひし人のむすめ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3ab76a839eb0083d28c8781849db4898
「胸騒ぐといへば、おろかなり」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/12c8d7121f8fe6bc28919ae9f1812a75
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a9055fa232ce98cac82a671abc0a39a0
「『平家公達草紙』は「耳無し芳一の話」と違って、創作ではない」(by 角田文衛)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8dbef8e305c0f78513076d29540bfd65
「晩年において貞子は、『平家公達草紙』の絵巻化を考え、これを実施……」(by 角田文衛)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/71c30024fe4fd062474564bac25a00a1

渡邉氏の「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(『国語と国文学』98巻11号、2021)を読んでみたところ、慈光寺本をめぐる近時の国文学界の研究水準を知るために非常に良い論文なので、丁寧に紹介したいと思います。
この論文は、

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一、はじめに
二、『承久記』所収和歌の概要
三、作り替えられる辞世歌
四、応答しない贈答歌
五、順徳院の長歌
六、道家の返歌
七、配所の王の長歌の先蹤
八、長歌贈答が語るもの
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と構成されていますが、まずは渡邉氏の問題意識を確認するため、「一、はじめに」を見ておきます。(p77以下)

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 承久の乱の顛末を描いた『承久記』の諸本は、現在、慈光寺本、流布本(古活字本)、前田家本、『承久軍物語』の四系統に分類されるのが一般的である。そのうち最古態本とされるのが慈光寺本で、一部加筆が見られるものの、成立は仁治元年(一二四〇)以前にさかのぼるとされる。承久三年(一二二一)の乱の勃発から二〇年以内という成立時期から、三上皇配流という未曽有の結末をもたらした戦乱の記録として史料的価値を見出したり、乱直後の時代思潮を読み取ろうとする試みが近年は増えているように思われる(1)。
 文学的な営為としては、慈光寺本には「文学としての形象化の面でその貧しさはおおいがたい」(2)というような否定的な評価がかつては見られた。しかし、現在は、後続の諸本では失われてしまった「巧まざる面白さ、古拙のうまみ」(3)がみえるといった指摘や、物語としての拙さを認めつつも、他の軍記物語にはない世界観や歴史の「語り方」(4)を提示しているという捉え方があって、独自の価値が見出されていると言ってよいだろう。
 その慈光寺本には一〇首の和歌(他に漢詩一首)が収められている。収載箇所は、後半一箇所に集中していて、全編に散りばめられているわけではなく、また、その数は、『保元物語』や『平治物語』と同程度で、取り立てて多いというわけではない。しかし、なんと言っても注目されるのは、慈光寺本に見える順徳院と九条道家の長歌贈答である。『承久記』の後続の諸本では二〇首近くまで和歌が増加するが、そこにこの長歌は取り込まれない。翻刻公刊された本に限られるが、他の軍記物語を見渡しても、長歌を載せている例は簡単には見出せず、希有な例と言ってよいだろう。
 後述するように、慈光寺本の成立期に長歌という形式は特別な意義を持っていた。そのような長歌を含む和歌を、「表現への顕著な意欲」(5)を持つと見られる慈光寺本作者が、おざなりな添え物として載せているとは思われない。本稿では、これまでほとんど注意が払われてこなかった慈光寺本の和歌を取り上げて、物語における配置や表現上の特色を分析し、特に長歌が何を物語っているのかを考えてみたい。
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注(1)~(5)は、

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(1)長村祥知「研究展望『承久記』(二〇一〇年九月以前)(『軍記と語り物』五二、二〇一六)、同『中世公武関係と承久の乱』(吉川弘文館、二〇一五)、同「承久の乱と歴史叙述」(松尾葦江編『武者の世が始まる』軍記物語講座一、花鳥社、二〇二〇所収)、野口実「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」(野口実編『承久の乱の構造と展開』戎光祥出版、二〇一九所収)等参照。
(2)『日本文学全史』3中世(学燈社、一九七八)第六章4「承久記」(山下宏明執筆)。なお、近代における『承久記』に対する評価の変遷については、大津雄一『挑発する軍記』(勉誠出版、二〇二〇)参照。
(3)『保元物語 平治物語 承久記』(新日本古典文学大系、岩波書店、一九九二)「解説」(久保田淳執筆)
(4)前掲注(2)大津著書
(5)日下力「軍記物語の生成と展開」(『岩波講座日本文学史』第5巻、岩波書店、一九九五)
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となっています。

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