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「『平家公達草紙』は「耳無し芳一の話」と違って、創作ではない」(by 角田文衛)

2019-03-27 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月27日(水)10時43分42秒

角田文衛氏の『平家後抄・下』(初版は朝日新聞社、1981)の「第六章 鎮魂の歌」と 櫻井陽子・鈴木裕子・渡邉裕美子著『平家公達草紙 『平家物語』読者が創った美しき貴公子たちの物語』(笠間書院、2017)を読み比べてみると、「平家公達草紙」に関する研究が近年大いに進展したことが伺えますね。
角田文衛氏は、藤原隆房(1148-1209)自身が「平家公達草紙」の成立に関与したものと考えていました。
「第六章 鎮魂の歌」は、

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冷泉大納言隆房
平家公達草紙
栄耀の日々
草紙と絵巻
女院の動静
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の五つの節で構成されていて、最初に角田氏ならでは濃密さで隆房の経歴が紹介され、詳細な系図と年譜も附されています。

『平家後抄』再読
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f861d949f6178e22b119d05738895a4c

ついで「平家公達草紙」の検討となります。
即ち、

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   平家公達草紙

 藤原隆房は、優れた歌人として、また笙、琵琶、笛、催馬楽の達人として後世に名を遺した。しかしここで強調しておきたいのは、彼が「壇ノ浦」の後も一貫して平家の支持者であったということである。彼は、建礼門院の後援者であったし、また平家の鎮魂歌ともいうべき『平家公達草紙』の成立とも深く掛かり合っていたのである。
 ところで、『平家公達草紙絵巻』は、『平家公達草紙』から採った本文に絵を加えて仕上げた白描絵巻である。本文の方は、鎌倉時代初期の成立であるが、絵の方は、『艶詞絵』などと同様に、鎌倉時代の末期に描かれたものである。これは疑いもなく白描絵巻中の逸品であるけれども、原本は早く散逸し、転写本が若干今日に遺存しているに過ぎない。
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ということで(『平家後抄・下』講談社学術文庫版、p22)で、「本文の方は、鎌倉時代初期の成立」というのが角田氏の認識です。
角田氏はこの後、『平家公達草紙絵巻』の伝来について考証を加えた上で、

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   栄耀の日々

 『平家公達草紙』は、少なくとも今日知られる限りでは、徹底的に公卿的立場から叙述されており、部門としての平家の強烈な面は全く看過されている。それはともかく、そこに収められた挿話の数々は、鎌倉時代前期における親平家的な人々─廷臣たち─がどのような回想を通じて平家の栄耀を追慕していたかを知る上で極めて重要である。平家の軍事力、政治力が壇ノ浦で消滅した後、人びとは平家に対するなつかしさを深めたのであって、それがまた平家の勢力の潜行を助けたのであった。その意味でも、『平家公達草紙絵巻』の内容、ことに詞書の梗概をやや詳しく紹介することは、役立つところが多いのである。
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と述べ、13頁にわたって「やや詳しく」、一般人の言語感覚で言えば鬱陶しいくらい詳細に『平家公達草紙絵巻』の内容を紹介されますが、先に引用した櫻井・鈴木・渡邉著にいう「[1]恋のさやあて─維盛と隆房」のエピソードなどは、一見しただけでは「ボーイズラヴ」なのか分からない程度に和らげて記述されていますね。
そして、節を改めて「草紙と絵巻」に入り、ラフカディオ・ハーンの「耳無し芳一の話」に寄り道した後、

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『平家公達草紙』は「耳無し芳一の話」と違って、創作ではない。それは鎌倉時代に生き残っていた『平家公達草紙』と因縁の深い公卿や殿上人の回想録である。その内容も怪談などではなく、あでやかで優雅な平家の公達についての思い出であり、話それ自体は明るいものである。しかしよく読んでみると、その背後からは痛烈な慟哭の声が流れ来り、鬼気を覚えさすのである。
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と述べられており(p43)、「創作」ではなく、「鎌倉時代に生き残っていた『平家公達草紙』と因縁の深い公卿や殿上人の回想録」とする点で、櫻井・鈴木・渡邉氏の認識と根本的に異なっていますね。

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