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「なぜ、これほどまで、隆房が陰に陽に登場するのでしょう」

2019-03-21 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月21日(木)21時16分59秒

私も『平家公達草紙』など今まで全く縁がなかったので、その基本的な性格についても無知だったのですが、前回投稿で引用した文章に続く部分に、

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 じつは、『平家公達草紙』は一つのまとまった作品ではありません。別々の三種類の小品をまとめて、仮に名付けただけのものです。平家の人々を主人公とすること、時に気になる脇役、藤原隆房を登場させることなどでは共通しているのですが、筆致、内容などは三種三様です。三種の『公達草紙』が残されていると言ってもいいでしょう。いや、もっと数多く作られたのかもしれません。きっと作られたのでしょう。その中からたまたま現代まで残ったのがこの三種であったのかもしれません。
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とあります。(p10)
まだ全部をしっかり読んだ訳ではありませんが、私にとって一番気になるのは三つの小話の三番目、

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三、恋のかたち
[1]恋のさやあて─維盛と隆房
[2]神出鬼没の隆房
[3]雪の日のかいま見

http://kasamashoin.jp/2016/12/post_3835.html

ですね。
平維盛と四条隆房の「何やらボーイズラヴ的な雰囲気まで漂わせる」話ですが、検討は後日行います。
さて、上記部分に続き、『平家公達草紙』の作者について、

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 実際にお話を作ったのは、どのような人だったのかはわかりません。お嬢様たちに仕えた女房たちでしょうか。親しく出入りしている貴族たちも創作意欲を掻き立てられて、創作に加わっているかもしれません。彼女・彼たちは競い合って作り、披露し合って楽しみ、元ネタをどのようにあっレンジできたかを批評し合い、平家の人々について持っている知識を自慢し合って面白がり、楽しく遊んだことでしょう。特に女性たちは、一〇〇年前の貴公子たちに熱い憧れのまなざしを送ったのではないでしょうか。
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とありますが、四条家が無視されている訳ではないですね。
「一、華麗なる一門」に付されたコラム「語りだしと隆房」(p35)には、

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 語りだしは、「御賀の素晴らしさは言うまでもないこと……」。でもこれは、第二話以降を先取りしたものです。何のこと? 次には「まだ中将・少将でありました時」とあります。一体誰のこと? では早速、左注の助けを借りましょう。「御賀」は「安元御賀」、「中将・少将」とは「隆房」。隆房って、だれ?
 藤原隆房は親平家側で活躍した貴族で、妻は清盛の娘です。しかし、平家一辺倒ではなく、後白河院にもよく仕えていたので、平家が都落ちをし、滅亡した後にもますます栄えました。『公達草紙』の資料の一つとなった『安元御賀記』の作者でもあります。他にも、自身の失恋を歌った百首歌は『隆房集』として残されています(失恋の相手は小督局と言われ、『平家物語』の題材となり、『公達草紙』成立と同じような時代に絵巻が作られました)。「三、恋のかたち」でも隆房が語り手として、維盛との怪しげな関係を作り出しています。なぜ、これほどまで、隆房が陰に陽に登場するのでしょう。
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という問いかけがなされ、直ちに「その理由の一つ」が示されています。即ち、

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 その理由の一つに、『公達草紙』製作の時代の、隆房の子孫の繁栄を考えてもいいでしょう。左の系図でおわかりのように、隆房の血を引く女性たちが、皇室との結びつきを強めています。貞子は九〇歳の御賀を祝われ、『増鏡』「老の波」でも、正確さには欠けますが、「安元の御賀に青海波舞ひたりし隆房の大納言の孫なめり」と紹介されています。こうした子孫の女性たちの存在感が、隆房まで有名にしたのかもしれません。
【参照】角田文衛『平家後抄(下)』(講談社学術文庫、二〇〇〇年九月、初版は一九八一年)
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ということで、角田文衛氏の影響が強いですね。
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