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「自分たちの願望や憧れを込めて、様々な手法を使って、平家公達の横顔を二次創作」

2019-03-21 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月21日(木)18時12分18秒

櫻井陽子・鈴木裕子・渡邉裕美子著『平家公達草紙 『平家物語』読者が創った美しき貴公子たちの物語』(笠間書院、2017)を入手し、パラパラと眺めてみました。

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『平家物語』に満足できないなら
自分たちで書けばいいじゃない?
『平家物語』の登場人物を借り、鎌倉時代の読者が創った
美しき御曹司たちが織りなす逸話集『平家公達草紙』。
公達への夢と憧れの詰まった、二次創作の元祖!

http://kasamashoin.jp/2016/12/post_3835.html

冒頭の「作品への招待~読者の願望が生んだもう一つの『平家物語』」から少し引用してみると、

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華やかな宮中を舞台とした公達との恋

 しばらく『平家物語』から離れましょう。鎌倉時代中後期(十三世紀半ばから十四世紀半ばころ)のお嬢様たちは、どのような本を読んでいたでしょう。もちろん、『古今和歌集』から始まる勅撰和歌集、『伊勢物語』『源氏物語』をはじめとする様々な物語に十分親しんでいたでしょう。また、今は失われましたが、多くの恋愛物語が作られていましたので、それらも愛読していたでしょう。
 このような物語とは別に、その時代によく読まれた作品の一つに、『建礼門院右京大夫集』(以下、『右京大夫集』)という作品があります。
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ということで(p5)、『右京大夫集』の内容紹介後、『平家物語』についても簡明な説明があります。
そして、暫く前から当掲示板で検討している「舞御覧」に関係する記述として、

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 また、『右京大夫集』には維盛の美貌が、維盛の舞の美しさと共に記されています。
【中略】
 これは維盛が熊野で入水したことを聞いて、維盛の思い出に浸って悲しみに沈む場面です。思い出とは、安元二年(一一七六)に後白河院の五〇歳をお祝いして法住寺殿で連日続いた盛大な儀式、安元御賀の時のことです。維盛は青海波という美しい舞を舞いました。それが光源氏に匹敵する美しさであったというのです。
 たまたまこの安元御賀の記録が残されています。もともと後白河院を讃えるための記録として書かれたものですが、後世改作されて、平家一門の登場場面が加筆されました。その改作された作品を利用して、さらに維盛の艶やかさを書き加えて、維盛にスポットを当てて、美しく舞う場面を書き上げました。
 また、それとは別に、『源氏物語』などを思い出しながら、維盛を恋多きプレイボーイに仕立ててみました。それどころか、何やらボーイズラヴ的な雰囲気まで漂わせることも。
 それがこの『平家公達草紙』です。現代で言えば、夢見る歴女が戦国武将や幕末の志士に憧れてイケメン像を作り上げることと、一脈通じるかもしれません。鎌倉時代のお嬢様やその周辺の人々が、『右京大夫集』や『平家物語』の中から、特に好きな男性のキャラクターに、自分たちの願望や憧れを込めて、様々な手法を使って、平家公達の横顔を二次創作していきました。
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とあります。(p9)
となると、「もともと後白河院を讃えるための記録として書かれた」「安元御賀の記録」に「平家一門の登場場面」を「加筆」した主体が具体的に誰なのか、更に『平家公達草紙』という「二次創作」の主体となった「鎌倉時代のお嬢様やその周辺の人々」が具体的に誰なのかが気になりますが、櫻井・鈴木・渡邉氏は候補者としても特定の人名を挙げません。
ただ、角田文衛氏の『平家後抄』における考察と照らし合わせると、最有力候補はやはり四条家関係者ではなかろうかという感じがします。
そして、「平清盛の曾孫に生まれ、極めて平家的な環境の中で育ち、かつ鎌倉時代を生き抜いた藤原貞子ほど『平家後抄』の著者として好適な人物は、他に求め得ない」とすれば、「北山准后」藤原貞子の周辺の可能性が高くなります。
角田氏が言われるように「藤原貞子自身は記録を残しておらず、貞子は、父や弟の隆親とは違って文才に恵まれなかったらしく、親しく見聞した平家一門の人びとの動きについては、なにひとつ記録を遣さなかった」としても、藤原貞子は大変な財力の持ち主であったことは間違いないのですから、「二次創作」のスポンサーとなることは可能です。
そして、いささか我田引水的になるのを承知で想像を逞しくすると、藤原貞子の周辺には『とはずがたり』の作者である後深草院二条という極めて文才に富んだ女性が存在し、更に『とはずがたり』によれば、後深草院二条は画家としての才能も有していた訳ですから、『平家公達草紙』の文章のみならず、絵の作者としても後深草院二条は有力な候補者といえるのではなかろうか、という感じがしてきます。
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