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四月初めの中間整理(その4)

2021-04-07 | 四月初めの中間整理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月 7日(水)10時09分41秒

征夷大将軍については2004年に国文学者の櫻井陽子氏が「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって―『山槐荒涼抜書要』の翻刻と紹介―」(『明月記研究』9号)という論文を発表し、中世史研究者に衝撃を与えました。
私が何となく踏み込んでしまった「『太平記』史観」の世界にも櫻井氏の指摘を応用できそうな部分があって、それは二つの「二者択一パターンエピソード」です。
『太平記』には信貴山に立て籠もった護良親王が後醍醐に征夷大将軍任官と尊氏追罰の二つを要求し、後醍醐は尊氏追罰を拒否した一方、「征夷将軍の宣旨」を下して護良を宥め、護良も了解して帰洛するという話が出てきます。
また、中先代の乱に際し、関東へ下向する尊氏が後醍醐に征夷大将軍任官と「東八ヶ国の管領」の二つを要求し、後醍醐は征夷大将軍任官は拒否する一方、「東八ヶ国の管領」は許可するという話が出てきます。
この二つのエピソードでは、後醍醐へ二つの要求がなされ、後醍醐はひとつだけ勅許するというパターンが共通していますが、いずれのエピソードでも後醍醐・護良・尊氏の三人全員が征夷大将軍を非常に重い存在と認識していることを前提としています。
しかし、このような認識は足利家の「支配の正当性」を確立するために行われた宣伝戦略によって形成されたものではなかろうか、というのが私の基本的な仮説です。
そこで、この仮説を検証するために二つの「二者択一エピソード」を検討してみました。

「征夷大将軍」はいつ重くなったのか─論点整理を兼ねて
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3e1dbad14b584c1c8b8eb12198548462

最初に検討したのは護良親王のエピソードで、護良が信貴山から帰洛した月日について従来の学説を整理し、『増鏡』に記された元弘三年(1333)六月十三日説が正しいだろうと考えました。

「しかるに周知の如く、護良親王は自ら征夷大将軍となることを望み」(by 岡野友彦氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/924134492236966c03f5446242972b52
護良親王は征夷大将軍を望んだのか?(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9fec18d6e38102c64a29557b42765002
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5725c255cb83939edd326ee6250fe7a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/04cda2bd6423c12bba2963c1f71960e1
征夷大将軍に関する二つの「二者択一パターン」エピソード
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/61a5cbcfadd62a435d8dee1054e93188

ここでちょっと話題を変えて、荒木浩編『古典の未来学 Projecting Classicism』(文学通信)に掲載された谷口雄太氏の「「太平記史観」をとらえる」という論文を少し検討してみました。
私は谷口氏と問題意識を共有しますが、谷口氏が提示された「「太平記史観」の超克へ向けた具体的な方法」には批判的です。

『古典の未来学』を読んでみた。(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/384b125bc3a1a4f2d42f4d21b9b6385d
【中略】
『古典の未来学』を読んでみた。(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3fafc43a5b77355ee906434193e6fb35
論文に社交辞令は不要。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e9edff0971aa758cfeb4e3276cf926f6

そして征夷大将軍の問題に戻って、吉原弘道氏の「建武政権における足利尊氏の立場」という論文を十二月下旬から年を越して一月上旬まで、全十六回に渡って検討してみました。
先ず、護良の帰洛が六月十三日だったとすると、この時期の護良・尊氏間の対立は『太平記』の創作となります。
そこで、建武新政期に尊氏と護良の関係がどのように変化したのかを吉原論文に即して検討してみました。

吉原弘道氏「建武政権における足利尊氏の立場」(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/aeac37a77f5bef1dc46ab4fab0e07184
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/300eabcb23e83c14b1ce35d705dc23ce
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d1dd5123eeb460e1b8701cd9cfe6b08a
「ポイントとなるのは「遮御同心」である」(by 森茂暁氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bdd807a1977d7e651e4fb6a56a81f192
「大友貞宗の腹は元弘三年三月二〇日の段階ではまだ固まっていなかった」(by 森茂暁氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2d5dfc5df2b095e05c6da24a62ee1e33
「このわずか一か月有余の大友貞宗の変貌奇怪な行動」(by 小松茂美氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fe5560701dd33e1fefa4d23a6ebf9f42
コメント
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