学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

四月初めの中間整理(その1)

2021-04-02 | 四月初めの中間整理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月 2日(金)09時03分52秒

去年の九月から鎌倉幕府滅亡の原因を論じ始めて、最初は呉座勇一氏の『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―』(新潮社、2014)を素材に少し検討していたのですが、自分の本来の関心である天皇制の権威低下や「宗教的空白」の問題とは直接にはつながらないような感じがして、いったん保留にしました。

「そう、これらの学説は「階級闘争史観」のバリエーションでしかない」(by 呉座勇一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e47fb1aa07b926849bc8edb8a5f6cf6e
「ひとまず「鎌倉幕府の滅亡は必然だった」という暗黙の前提を取り払ってみてはどうだろうか」(by 呉座勇一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19d0088a22e01a33551e189060f38b94
呉座説も「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3a05fda1f50c2afc2ca40b7feee442db
ちょっと仕切り直しします。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d86e6a94ca234b007dbadd4a68da5891

そして、これらの問題は『太平記』に即して具体的にやった方がよさそうだという漠然とした見込みから『太平記』の土岐頼遠のエピソードなどを少し検討してみたところ、予想通りというか、歴史研究者による『太平記』研究があまりにストイックに思えたので、山口昌男が中沢新一と行った対談「『太平記』の世界」(『國文學 : 解釈と教材の研究』36巻2号、學燈社、1991)などをヒントに何か新しい議論ができないだろうか、などと思っていました。

「こういうタイプがまったく突然変異的に生まれたものでないことは注意しておく必要がある」(by 佐藤進一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1c2b08fb393880816dcff5a6fab10353
「つまり外的な条件が人間的な特徴を決定づけたといえるだろう」(by 佐藤進一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7bee68a6a28cfc2e0e60b0f74ea879d0
「笑い話仕立ての話」(by 新田一郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/92c1c8532d6547ef109352121cb419b5
『太平記』第二十三巻「土岐御幸に参向し狼藉を致す事」(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a1b1f8e19748a15aea2b63085b4c9593
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/46025f24aba5b546df4fdc2830c7663f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1f37c4b29b533c855865aab015a35eee
小秋元段氏「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6763260b863266ee0d45297e07ca9dad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/991c2983c89c6c6b7a549564b4480a00
「小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」(by 長谷川端氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d03e97d1919e268f149d8b36bcd1e3eb
「ストイック」ではない『太平記』研究の可能性
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b9e02cb6611cf0877521f8ffbb54e5c1
遠藤基郎氏によるストイックな『太平記』研究の一例
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/add15e79ee126d362f65dc1198c31b5b
「「院」 と「犬」 とを引っかけて、光厳院に対して、犬追物よろしく射懸けたあの諧謔の精神」(by 遠藤基郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d31d55d77d5ea90305fea39061a66e07

ただ、山口・中沢対談は三十年前、「網野史観」全盛期の頃の話ですから、以後の歴史学研究の進展を考えるとあまりに古臭い部分も多く、どうしようかな、などと思っていたところに出会ったのが兵藤裕己氏と呉座勇一氏の対談「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(『アナホリッシュ国文学』第8号、2019年11月)でした。
まあ、私はもともと兵藤裕己氏の『太平記』論にはかなり懐疑的で、あまり賛同できる部分はなかったのですが、とにかく歴史学と国文学の対話としては最新のものなので検討の素材としては理想的でした。
そこで全十七回に渡って、二人の議論を検討してみました。

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db63ea4c3d8fad2ca351f503f523a7d5
【中略】
兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その17)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c6970ab230a337886d62cb29cb1729b

そして兵藤説に対する国文学界での最近の評価や、兵藤氏が歴史研究者に与えている影響についても少し見てみました。

「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしたか」(by 小秋元段氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a681d594bf8c5e2e55f353fe5d8833d1
兵藤説の歴史学研究者への影響─清水克行氏の場合(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8475150bf339ddf02c057ac1843011ad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1f125dfcf52d111bbf8171dfb2f7f3cd
コメント
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