生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

個性の美と心の病理の識別方法

2011年04月15日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
難しい識別ですが基本的基準は<プロセススケール>です。これは7つの視点から洞察していきます。1:本物の感情が湧きだす人か?、2:心の流れ方、3:心の中の意識と発露されてくる言葉の内容が一致しているか、不一致か?、4:自己の伝達が正確かどうか、5:体験の解釈、6:人生で起きてくる諸問題に対する態度、7:人間関係の仕方、以上の7つです。事例によっては専門家は更に細かく分類して洞察していきますが、心理療法室では平素は低、中、高の3つぐらいで識別していきます。この7つの視点が正常で、それでも普通の常識からすると<変>なのは<個性の美>として扱い、決して病理とはしません。是非、この視点で洞察し周囲の美しい美を変人扱いにしないで下さい。天才や天与の才能を駄目にしていきますから。:<意思あるところ道あり:384-3>:

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治ったのか、治っていないのか、どう識別すべきか?

2011年04月14日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<生兵法はけがの元>と言う言葉があります。キチンと最後まで勉強していかないと、治療完了なのか、そうでないのか分かりません。医者、セラピスト、カウンセラーでもこの微妙な領域を責任をもつて厳格に対応していないと患者さんは本当に気の毒です。酷い医者も沢山いて収入を考えて、もう来なくていいですよ、と断言しない事例が多すぎるようです。確かに難しのですが、ここが、どう変になつたら、また来て下さい、と明るく爽やかに言い切る人が案外いないのです。個性の美なのか、病理なのか、その識別訓練を積んでいかないと中々言えません。患者さん自身への終結間際でのアドバイスを私はいつもこう説明していきます。本人と私が考える<健康時点>と<病理時点>の識別を心理療法中に真剣に会話しておく必要があります。この体感、症状、知識の総合をしておく必要があるのです。どこのレベルから変なのか、どのストレス曲線なのか、一人一人別なので、要は長い人生での健康な時点の五感と体感、そして具合の悪い時点での五感と体感をキチンと解説していく必要があります。個性の美なのか、病理の領域なのか思索してみて下さい。<意思あるところ道あり:384-2>:

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心因性病理は必ず治ります

2011年04月13日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<心の病気>と診断された人だけでなく健康な人々でも平素の悩みなど、その原因は程度の差はあれ、原因と対策の基本は同じです。症状も成育史により相当違ってきますが、基本原理さえ覚えてしまえば、どんどん健康になつてきます。対処療法にこだわる人々が多すぎますので困りますが<意思あるところに道あり>は真理に近い考え方です。この<心因性病理は必ず治る>という考え方は、とても大事ですので5回にわたり考えていきます。どんな場合でも心因性ならば何とかなるものです。:<意思あるところ道あり:384-1>:

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恥の文化

2011年04月12日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
日本文化の中での<恥の文化>について、色々の人が色々の主張をしています。それぞれの意見を大事にしたいと思います。要は恥、という意識から自分を病的なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込まないで欲しいのです。宗教を持つ人はそれぞれの宗教が持つタブーを大事にしていますように、日本人は<恥>を大事にして真面目に生きてきましたが、恥を受けるよりは死を選ぼう、とか辱めを受けるよりは死を大事にしよう、という文化が古代からありました。その文化を大事にはしたいと思いますが、現代では自死に結ぶような事だけはいけません。日本の古来からの恥の文化を幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)になるように使用して欲しいものです。:<日本人の傾向から平安感を考える:383-5>:

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甘えの構造は非常に大事な日本文化

2011年04月11日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
<甘えの構造>を敵視する人がいますが、少々残念なことです。確かに日本人独特の<甘えの構造>は心理療法の世界では重要な治療目標の一つではありますが、意識化することで逆にこの日本人独特の精神構造を健全化の手法に使ってほしいいなあ、と思う事例も沢山あります。例えば甘える事を知らない人の場合、何とか防衛機制をはずして恋人に甘えて欲しいのです。いつも緊張して人に甘える方法を知らない人に会うと何だか人生が哀しくなります。愛の世界はお互いに甘えたり、甘えられたりしないと成立しません。<日本人の傾向から平安感を考える:383-4>:

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侘びと寂

2011年04月10日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
わびとさび、これは日本人が大好きな茶道の世界の話で、とても大事にされている考え方です。侘びと寂の世界に固執して日常生活で自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込むことほど馬鹿馬鹿しい事はありません。この侘びと寂の世界は美の世界ですので人間を不幸にする思想ではありません。欧米のキリスト教世界の愛の思想から比較すると何となく寂しい孤独感、と誤解されますが、このやまとびとの美意識は地上の美しい世界の一部を表現しているのであつて人間を孤独にし悲劇的にする世界ではないのです。わびしいなあ、さびしいなあ、と呟く世界に近いのですが現代の若い人はやまとの文化をもういちど勉強して欲しいなあ、と思います。侘びと寂、これはとても人を幸せにする世界です。<日本人の傾向から平安感を考える:383-3>:

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もののあわれ

2011年04月09日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
平家物語の祇園精舎の鐘の音、と聞けば日本人は誰しも<もののあわれ>という美意識に感動し、涙を流します。やまとびとの美学でもありますが、現代でもこの<もののあわれ>を和歌、趣味の芸能の世界で楽しんでいる人ならいいのですが、最近の放射能騒動や大震災の立て直しの中で、このもののあわれ、という意識が強すぎて神経症になる人々も増えてきました。自分をあわれにおもい自殺だけはしないで下さい。まして生活苦からの自殺はしないように。人間、死ぬ気になれば何でも出来ます。周囲と相談しつつ生き抜く知恵を探しましょう。生き抜く知恵は必ず存在しています。人の身体は神の神殿と言われていて、どんな困難がきても、その生き抜く答えは本人の中に必ず存在しています。<日本人の傾向から平安感を考える:383-2>:

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汚れと禊

2011年04月08日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
被災者が被災地へ危険を冒して帰る姿は、見ていて辛いが悔いのない人生ならば、やむを得ないとも思います。生まれ育った故郷は、その人にとつての宝物だから第三者は何とも言えません。さて辛い話を聞きました。被災者の一人が自分は汚れた、というのです。心も体も汚れたと嘆いているのです。どうしてそう思うのでしょう?複雑な事情があるにせよ、あれだけの被害を受けて苦しんだ人が何故、自分は汚れたと感じたのでしょうか?日本に古代からある<汚れと禊>の思想が今でもあるんだなあ、と衝撃を受けました。もし本当に汚れたと感じたら神主さんに頼んで禊をして欲しいと思いました。<汚れと禊>の思想は現代でも生きているようです。みそぎを受ければ、多分その人は洗い清められたと思うでしょう。:<日本人の傾向から平安感を考える:383-1>:

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男の友情、女の友情

2011年04月07日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
友情は本当に暖かく美しいなあ、としみじみ思います。この友情が男であれ女であれ、友達を想う愛の気持ちは天国に相当するような気がします。或場面があり、その状況が天国だ、言われたら、あーあ、それで十分だ、と思う事がしばしばあります。優し微笑み、暖かい微笑み、ユーモラスな微笑み、涙の出るような感謝の微笑み、このような友情は長い努力の賜物でそう簡単には確立出来ません。厭な言葉を言われても我慢する、相手が困っていたらさりげなく私だと分からないようにしつつ黒子の親切をしておく、こんな日常の生活から、じわじわと生まれた友情は生涯のもののようです。友情は人生の宝物です。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-5>:

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永遠の生命

2011年04月06日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
本当に人間は<永遠の生命>に生きる事が出来るのでしょうか?死んでみないと分かりませんが、どうもあるみたいです。永遠の生命があると思うとこの世がどんなに厳しくても何となく気楽になります。この気楽になる現象は催眠とは違い一過性ではなく永遠の安定感があるのが不思議です。逆に、永遠の生命が無いと思うと、この世が実に意味がなく儚く空しくつまらなく感じるのです。永遠の生命があると信じた場合と無いと思う場合、どうしてこのような違いが人間の心、特に私の心の中で森羅万象を解釈する内容が違ってくるのでしょう?神学者はこれが信仰だ、と断言します。信仰があると森羅万象の解釈が違ってきて現実が楽しくなるのです。不思議な現象です。信仰の世界をきちんと勉強する価値があるようです。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-4>:

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<納骨堂>を決めたら人生がすっきり!

2011年04月05日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
若くても歳をとつても自分のお墓が決まると、つまり、死に場所が決まると、人は何となく安心する、というか覚悟が決まるというか平安感が訪れるものです。この平安感の基盤となる私の納骨堂に最近、しみじみと感謝しては、その写真を楽しんでいます。<メメントモリ>を楽しんでいる自分が可笑しくてたまりません。慌てなくなりましたし何でも受容出来る錯覚があるようです。錯覚だ、と言いますのは、多分、あるがままの世界を素直に受容している気分にはなるのですが、今までの経験上、そんなに簡単に現実を素直に受け入れているはずがない、と思うからです。現実を素直に一旦認め、そのうえで、不満な事は諦めずに挑戦するか、程々に納め所を決めるかしている自分を許しているようです。心は非常に楽になり感謝心が激増したのが自分の<納骨堂>でした。納まる所が決まるとこうも幸せなんだなあ、と思いました。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-3>:

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祖先探しと菩提寺探しはアイデンティティーを統合させる!

2011年04月04日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
東京などの大都会で生きている人々の中には自分の菩提寺や宗派、祖先に無関心な人が案外沢山います。今回の大震災で外国の人々が驚いた精神現象は、人々が皆、わが事のように心配するその姿でした。現代の日本人は殆どが<源平藤橘>を祖先に持つという学説です。源氏、平氏、藤原、橘の4流に属するという事ですが、そんな説が真実かどうかは別として、親戚のように心配をしている姿を見て、外国の人々が驚いたのです。私は誰、どこから来たのか、生まれたのか、は永遠の課題ですが、案外、身近に菩提寺を探り出し祖先を知ると心が安定するものです。一度、菩提寺と祖先を探す楽しみを味わい下さい。祖先の魂に敬意を表する事も美しい人間の営みですし自分の遺伝子を知る契機ともなります。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-2>:

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<心構え>をどの視点から構築すべきか?

2011年04月03日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
信頼のおけるお医者さんの治療を受けながら、かつ、心構えで症状を改善出来る事例は沢山あります。例えば糖尿病でも努力して散歩する、コレステロールでもやはり太極拳や体重減量に励む、この心構えで相当改善されてきます。頭ではわかりますが人は中々そうは簡単にいきません。そこで楽しく<心構え>を構築する方法を思索してみましょう。一番効果があるのが自分に負担を与えている精神的なストレスを把握する事でしょう。ストレスの中でも<不安感>が心の病にも、身体の病でも生き甲斐探求においても妨げとなりますが、この不安感は案外、過去の成育史が遠因となつています。或環境が再現してくると未解決の過去の出来ごとが重なり、過去の似たような不安感に苛まれます。ですから成育史での思い出で未だ心の傷になつている事例はきちんと処理しておかないと、いつまでも新しい困難が来たときに、その過去の出来ごとと重なり、すでに乗り越える人生体験があり、実力もあるのに、過去に振り回されてしまいます。新しい困難や不安な事が到来しても、自分はもはや大丈夫だという自信を創造していきましょう。困難を乗り越えた経験をばねにどんな不安が湧いてきても、もう大丈夫だと思わせるのは、過去の小さな成功体験を沢山思い出し、それを生き抜く知恵に転換すること、例えば<人間はどんな厳しい試練がきても乗り越えられる潜在能力を所持している>という格言を信じる事が出来るように自分の過去の成功体験の束を意識化する心構えが必要なようです。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-1>:

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<私は誰?>を思索すると、知恵がつく!

2011年04月02日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
自分は何の為に生きているのか、を思索する修行として比較宗教学は必ず一年生に<私は誰?>というレポートを書かせる習慣があります。私は誰だろう?さてどんな視点で自己分析をしていくとレポートが合格出来るか、随分と悩まされたものです。自己分析の手法は専門的な分野で大きな学問の一つなのです。世の中には病的な自己分析が沢山あります。その一つは人々を不安感に追い込みお金を稼ぎながら金儲けをする<占い>が代表的なもの、次は宗教めいたもので人を不安に陥れながら或事を信じさせようとするもの、いづれも唾棄すべきものです。人を不安感に追いやる事ほど罪深い営みはありません。それでなくても<人間の本質は不安感>なのに、それに追い打ちをかけるかのように人々を不安に陥れ、そして自分の目的を達しようと図るのです。このような自己分析は病的と言われ大学の研究室が一番嫌うものです。さて私は誰?という研究で一番重要な結論は<私は私でいい>という結論なのですがこれがまた難しいのです。劣等感、挫折感、嫌悪感をキチンと処理したうえでの<私は私でいい>という健全な結論を得ていく必要があるわけで、このプロセスが<生き甲斐の心理学>を学問としてキチンと努力して学習させようとしているわけです。私は誰、それの分析のポイントで一番大切な分析が自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の傾向を現実の生活にそくして把握することが重要です。<現実とは何か?:381-5>:

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何の為に試練に耐えるのだろう?

2011年04月01日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
自分が生きている目的が明確でない場合、またはその目的が意識化出来ていないとすると、試練とは、どんな意味があるのだろう?ただひたすらに忍耐するだけだろうか?その解釈は人により違うので、ここでは何とも言えません。自殺するわけにもいかず、そうかといって考えても中々わかりません。古代のギリシャの人々、特に哲学者は、この生きる意味、何の為に生きねばならぬのか、この自問自答をするだけで人は知恵がついてくる、何故、知恵がついてくるのかを研究しはじめます。生きる目的が分からないと色々支障が出てきますので、そのような場合は、人生は生きる目的を思索する為にある、と仮の目標を立てておくと良いそうです。人により生涯、その探究を生き甲斐にしている人々も沢山います。さてそうすると答えが見つかるまで死ぬわけにもいきませんから、ただひたすら試練に耐えていくよりは少しは生き甲斐がありますので、自然と自分を大事にするようになります。自分を大事にするとは、どんな事かと言いますと、これまた、色々の学説があり、その優れた学説の一つはこう説明しています。自分の魂を大事にする(比較宗教学の分野)、心(成育史)を大事にする(臨床心理学の分野)、体を大事にする(基礎医学)、この3つをキチンと大事にしだすと、何となく生きる目的が見えてきます。自分に相応しい目的は自分で探し出す必要があり、他人からの押し付けは意味が無く空しいだけです。<現実とは何か?:381-4>:

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