若くても歳をとつても自分のお墓が決まると、つまり、死に場所が決まると、人は何となく安心する、というか覚悟が決まるというか平安感が訪れるものです。この平安感の基盤となる私の納骨堂に最近、しみじみと感謝しては、その写真を楽しんでいます。<メメントモリ>を楽しんでいる自分が可笑しくてたまりません。慌てなくなりましたし何でも受容出来る錯覚があるようです。錯覚だ、と言いますのは、多分、あるがままの世界を素直に受容している気分にはなるのですが、今までの経験上、そんなに簡単に現実を素直に受け入れているはずがない、と思うからです。現実を素直に一旦認め、そのうえで、不満な事は諦めずに挑戦するか、程々に納め所を決めるかしている自分を許しているようです。心は非常に楽になり感謝心が激増したのが自分の<納骨堂>でした。納まる所が決まるとこうも幸せなんだなあ、と思いました。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-3>:
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