自分は何の為に生きているのか、を思索する修行として比較宗教学は必ず一年生に<私は誰?>というレポートを書かせる習慣があります。私は誰だろう?さてどんな視点で自己分析をしていくとレポートが合格出来るか、随分と悩まされたものです。自己分析の手法は専門的な分野で大きな学問の一つなのです。世の中には病的な自己分析が沢山あります。その一つは人々を不安感に追い込みお金を稼ぎながら金儲けをする<占い>が代表的なもの、次は宗教めいたもので人を不安に陥れながら或事を信じさせようとするもの、いづれも唾棄すべきものです。人を不安感に追いやる事ほど罪深い営みはありません。それでなくても<人間の本質は不安感>なのに、それに追い打ちをかけるかのように人々を不安に陥れ、そして自分の目的を達しようと図るのです。このような自己分析は病的と言われ大学の研究室が一番嫌うものです。さて私は誰?という研究で一番重要な結論は<私は私でいい>という結論なのですがこれがまた難しいのです。劣等感、挫折感、嫌悪感をキチンと処理したうえでの<私は私でいい>という健全な結論を得ていく必要があるわけで、このプロセスが<生き甲斐の心理学>を学問としてキチンと努力して学習させようとしているわけです。私は誰、それの分析のポイントで一番大切な分析が自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の傾向を現実の生活にそくして把握することが重要です。<現実とは何か?:381-5>:
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