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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

病的な固執と、健康な固執

2006年06月15日 | 第2章:心理療法の基本
何かにこだわる、信念に生きる、この心がけは本来、良いもの。<固執する>する事で自分の人生を理想通りの美しいものに創造出来る人と、固執する事で精神病棟に入院する人の違いについて考えてみましょう。厳しい人生を生き抜く為には、心を支える信念、固執が必要ですが、固執することで自分を<不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱に導く場合>は<病的>と考えましょう。固執する事で、自分が<平安、友好的な感情、さわやかな健康観、幸福、統合化される場合>を健康な固執と判断しましょう。日々の暮らしの中で、ふと立ち止まり、自分の固執は、このどちらかなあ、と静かに考えること自体が自分の人生を悔いのないものにしてくれます。自問自答をする時に、二人の自分がいつも本音で語り合う、正直に自分を伝え合う習慣が自分の人生の明暗を大きく別けていきます。:<伝達論:91-4>:

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泣き寝入りは最大のストレス

2006年06月14日 | 第2章:心理療法の基本
ストレスは、その人の心の中での<理想(こうあって欲しい、こうあるべきだ、と願っている事)と現実のギャップ>から生まれます。さて昔の想い出の中でも、何故、あの時、泣き寝入りしてしまったんだろう、と想い出しても悔しい場面があります。この泣き寝入り、という姿は心理学の勉強の最高の教材ですが、自分の人生での数々の泣き寝入りを分析すると、結果として我慢して良かった、と感謝したくなります。泣き寝入りしたお陰で今日の幸福があることが分かります。体験の解釈を変えることで泣き寝入りによる心の傷が治る場合もありますが<今、生きている場合>は<泣き寝入りは最大のストレス>である事は間違いありません。何としても泣き寝入りによるストレスは将来の為にも避けたいものです。ストレスを貯めない最大の方法は<伝達>。相手に上手に伝達する事しかありません。私はこの自分の不満を相手に伝達する知恵が欠落していたようです。:<伝達論:91-3>:

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謎の人物

2006年06月13日 | 第2章:心理療法の基本
人は相手の<感情>を感じると、その人を理解したような気持ちになる習性があります。しかし時々、この人は謎の人物だなあ、と思う場合がありますが、その理由は単純なのです。その人の<感情>が見えない場合です。この人は今、哀しんでいる、喜んでいる、感動している、希望に満ちて張り切っている等、感情が見えると分かったような気分になるのです。感情の流れを意識して相手に表現する事を何故かしないと、その人は不思議な人、謎の人物扱いとなり、周囲を不幸にしていきます。自然体は個性の美を発揮し、感情を豊かに表現させ、識別を周りの人々にさせ、安心させてくれます。自分も周囲も幸せに豊かな人生になるように感情を意識して明るく表現しあいたいものです.:<伝達論:91-2>:

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ほかに言うことはありませんか?

2006年06月12日 | 第2章:心理療法の基本
私を含めての事ですが、悩み相談での失敗があります。相談を受ける方は、上手な傾聴をしていたのに、最後に<ほかに言うことはありませんか?>と聞いてしまうことです。これは大変大きな誤りです。悩みを色々と聴いていて、どれがその方にとっての一番重要な問題なのかを識別する能力が無い人は、ときどき<ほかにありませんか?>と聞いてしまいます。傾聴能力のある人は相手の悩みを聴き出した途端、もう胸がいっぱいになり、自分が混乱せず冷静に最後まで聴けるかどうか悩むものです。<ほかに言う事はありませんか?>が何故、下手な傾聴者かと言いますと、深層心理の奥深くにある核の部分を意識化させる場合は時間がかかるので、のんびりと安心させつつ、何でも自由に話させる雰囲気が必要です。<ほかに>と聞いた途端、大脳は緊張し防衛し心を閉ざしてしまう習性があるからです。今回は心の伝達について考えていきます。:<伝達論:91-1>:

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何に向かって上昇したいのか?

2006年06月11日 | 第2章:心理療法の基本
挫折感、苦しい状況の中から、心を病む事なく成長する為には、昨日のテーマ<我が道を行こう>という決意が必要ですが、出来れば、一度しかない自分の人生を歩む場合の五感と体感は<平安感>を基にスタートしたいものです。挫折感と苦しい状況下からのスタートには無理が沢山あります。感情の抑圧、逃避等の防衛心理が背景に存在していると、心が平安で落ち着いた環境になるとハタ、と気づき、自分は相当無理をしているなあ、と感じだすと、次から次へと疲労感にさいなまれるからです。それを超越するには、本物の理想、願望、意欲が必要です。森の中の逞しい大木に抱きつき、小鳥の声を聞き、可愛い野草を楽しみながら散歩しつつ、自分の心を静かな、平安な状態に戻し、その上で天を見つめ、星空を見つめ、自分の愛する人を想いながら上昇する必要があります。今の自分は、下降線にいるのか、上昇線にいるのか、を識別する方法は、その方のインスピレーション、直感に頼るのが一番正確、と言われています。心と身体が喜ぶ方向ではなく<魂が喜ぶ上昇感>を優先すべきだ、と古来から言われています。:<成長論:90-4>:

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我が道を行こう!

2006年06月10日 | 第2章:心理療法の基本
人生、色々な事が起きます。しかも完璧な人間は地上に一人も居ませんし、欠点だらけである人間の姿を承知なのに、何故か、人は互いにケチをつけあいます。何故だろう?特に、私は愛情をはき違えているらしく、人を傷つけるタイプなので、そう思います。本来は挫折し、自信を失い、人の嘲笑を買っていれば、世間は安心し、喜んでいるのでしょうが、私は居直り、堂々と生きようとするものだから、気に入らないようです。人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。例え罪深い、業(ごう)の深い私でも、明るく、自然に、のびのびと生きていこうと決意します。10代の後半から<人の身体は神の神殿>だと、思うようになりました。愛そのもの、永遠不変のもの、全知全能の神様が人の身体に住み、困難が生じれば、いつも私の味方となり支えてきてくださった、この数十年の山ほどの体験を思えば、これからも居直って堂々と生きていこう、そう思った朝:<成長論:90-3>:

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私は生涯、人を傷つけて生きていくのか?

2006年06月09日 | 第2章:心理療法の基本
私は何故、こうも平然と、人を傷つけて生きていくのか!人を傷つけている自分に気づかないのが致命傷です。一人で生きていけば、あるいは、ひたすら沈黙して、生きていけば、人を傷つける事もなかろうに、とも思います。さて、こうして気がつけば、人生も既に晩年。深山にこもるのも、寂しいし、はてはて、どうしたものか。若い頃からどれだけ人を傷つけてきたか、一人一人を歩き訪ねて詫びを入れるのも、傷を逆撫でするようなものだし。益々、暗い人生を歩み出します。さあ、元気になろう、居直ろう、反省しだすと、きりがなく暗くなる。生まれつきの性格が人を傷つけるらしい。わけがわからない。今後、人を傷つけたくないから、どうしたら、いいのだろう?こんな場合、心理学は役に立たない。ひたすら神仏に許しを乞いながら息を潜めて生きていこう:<成長論:90-2>:

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薔薇と白百合とカラス

2006年06月08日 | 第2章:心理療法の基本
若い頃読んだ神話に<昔、昔、見渡すかぎり、広い、広い湿原を、目には見えない霊が、ふらふらと歩いていました。その霊達が、それぞれ、ぶつぶつ自問自答している内に、或霊は薔薇となり、白百合となり、カラスとなった>話に、いたく感動しました。人間も自問自答している内に性格が形成されます。美しい自問自答をする人は、それなりに心が美しくなります。不安、怒り、鬱の自問自答をすると暗い人間に納まっていきます。明るい自問自答、真理を探究する自問自答、武道の修練をする自問自答、神仏を求める自問自答、さて自問自答は人の運命をきめていきますから、今日はどんな自問自答をしながら生きていきましょうか?:<成長論:90-1>:

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無力な私!

2006年06月07日 | 第2章:心理療法の基本
人生は何故、次から次へと、切ないことが起きるのでしょうか?特に身近な大切な人が何かに傷つき苦しむ姿に触れても、どうしようもない場面は辛いものです。原因が私にある場合は、神仏に祈りを捧げ<どうしたらいいか、教えて下さい>と祈る事しか出来ない場合もあります。いかなる原因であれ、心が傷ついた人を大切にしたいものです。傷つくと今まで信じていた世界を先ず疑い始めます、不安に襲われ、いらいらと怒りが爆発し、身体症状も現れ、憂鬱は極みに到達し、錯乱していきます。ここから先は二つの道に別れます。どんどん暗く猜疑心に満ちた心の世界へ走る道、もう一つは自分の愚かさ、弱さ、罪深さ、力のなさ、人間の限界等を素直に認め、自分が無の存在である事を悟り、もう、恐れるものは、何も無いと悟り、平安を感じ、同じ弱い人間に親しみを覚え、仲良く共に許し合って生きていこう、と思う道があります。心の傷は永久に消えません。それに替わる大きな新しい希望の道に燃え始める迄、傷は残ります。傷を超える大きな希望の道が見つかりますように:<寂光論:89-5>:

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寂しさは愛のエネルギー

2006年06月06日 | 第2章:心理療法の基本
孤独感の取り扱いに失敗すると人は時に死を選びます。健康な孤独感はその寂しさから逃れようと音楽や絵画、読書を誘い、人を豊かにしますが、病的な孤独感は、逃避をさせたり、自殺を考えたり、やけくそにしたり、人の心を貧しくします。心から愛し合える人間関係は出会いの神秘もあり、人生では中々得られませんので、人はとりあえず一人で逞しく生き抜く知恵を持つ必要があります。その生き抜く知恵は人間観を養う以外方法はありません。どんな人間観なら一人でも生き抜けるでしょうか?いろいろと勉強していくと<人は魂と心と身体で成立している>という哲学がその勇気を与える哲学であることに気づきます。自分の魂を信じると孤独感は救われます。魂は愛そのもの、と言われていますが、心と身体は有限の世界なので憎しみ、孤独、病気の苦しみを生みますが、魂を深く認識すると、そこに暖かい愛の世界が存在している事に気づきます。心と身体は憎しみあっていても魂は愛し合っています。そう信じた人は愛憎の悲劇から救われます。信じて見えてくるものの世界があるのです。信じてると見えてくるものが愛、寂しくなった時、自分の身体には愛そのものである魂が存在している事を信じましょう。その愛である魂を意識し知覚した時、寂しさから解放されて豊かな愛が自分にもあることがわかります。:<寂光論:89-4>:

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死に行く寂しさ

2006年06月05日 | 第2章:心理療法の基本
生き甲斐支援の旅で死に行く人との場面があります。健康な時は心に余裕があるので、照れくさい等平気で言えますが死に直面した人には<照れ>はありません。まさに真剣勝負の世界です。<寂>は<死>を表現した言葉、<光>は臨終後の<魂>を表現した言葉ですが、生きている時に<照れる>意味を思索しておく必要があります。照れくさい、と日常では簡単に表現していますが、照れくさい、という恥ずかしいような感情の領域の奥深くには人間修行の秘訣が内在しています。気障だから、とか、照れくさい、と言う心理は、大切な自分の死を正面から考えていく貴重な機会を失わせます。たった一度の人生を無駄に過ごさせる危険があります。死は暗いものではなく、明るいもの、あの世とこの世を結ぶ貴重な通過門ですので、恐れることなく、照れることなく、明るい希望を与える哲学として自分の死の意味を思索したいものです。照れくさいと感じて貴重な摂理を封印するこの<照れの心理>をもう一度考えてみて下さい。照れる自分の深層心理には意外と宝物が存在しています:<寂光論:89-3>:

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照れの神秘

2006年06月04日 | 第2章:心理療法の基本
人は皆、寂しい存在です。照れずに寂しいなあ、と言えない為に愛を失う事が沢山あります。愛する人に寂しいなあと言うのを遠慮するからです。ところが本物の愛は遠慮が嫌いです。愛を永続する為には本音が必要で、寂しいと訴えられた愛は誠実にそれを補います。補わない愛は本物ではありません。寂しいなあ、と照れる現象は愛を助長させる場合と破壊させる場合があるのはなぜでしよう?照れる現象は神秘現象なので明日もう少し解説します。<寂光論:89-2>:

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愛の中の寂しさ

2006年06月03日 | 第2章:心理療法の基本
時々相談を受ける事ですが(愛し合っているのに寂しさを感じるのは、まだ愛しかたが足りないからではないか)と悩んでいる事例です。愛は神なり、神は愛なり、と古来から云われているように、愛は永遠なるもの、愛は限りがない性質を持つています。寂しさを感じる理由は人間的な愛だけではなく、愛は永遠の命だと言う事を示唆しているのでしよう。寂しさは愛を発生させる貴重なエネルギー。:<寂光論:89-1>:

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愛を言葉にすると運命が変わる!

2006年06月02日 | 第2章:心理療法の基本
積極的傾聴法のまとめは(1)うん、うん、という単純な受容、(2)相手の言葉の重要な言葉を捉えて繰り返す、(3)感情の反射、(4)感情の明確化、の4つでした。この手法を愛し合っている相手に応用すると、互いの本音の心、偽りの心、誠実で純粋な愛情に触れる事があります。自問自答をする場合でも、この手法を使うと、自分の本音が見えてきます。この手法を使用している内に美しい愛の心を知覚した場合に、素直に愛を表現していかないと人生で大きな悔いを残します。愛情は言葉に出すのが自然です。<愛を言葉にする>には、照れ、恥ずかしさ、気障、等の障害が日本文化にありますが、愛を言葉にすると暖かく美しい生活が始まります:<積極的傾聴法:88-5>:

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愛は言葉を欲しがる!

2006年06月01日 | 第2章:心理療法の基本
この嫌な気分の原因は何だろう、と人は苦しみます。理由が分からないのです。ここで<人間とは何か>という<人間論>が登場してきます。人は魂と心と身体で構成されています。魂は全てを知っているのでその人に<直感とインスピレーション>で知覚、体感させます。しかしその仕組みを意識していないと大脳での意識化、言語化は中々難しいと思います。ここに登場するのが積極的傾聴法の第4手法<感情の明確化>という手法です。もんもんとしている相手の感情を明確にしていく為には優しい愛の言葉をぶつける必要があります。愛は相手を安心させます。何でも語らせ、否定せずに、どんどん話させていく為の愛の言葉をぶつけていくのです。お世辞でもなく、魂に響く愛の言葉を話さないと相手の感情は明確化していきません。魂は愛の言葉をいつも欲しがっているようです。:<積極的傾聴法:88-4>:

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