生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

嫌いな「人、職場、民族、文化、親等など」をどう乗り越えて生きていくか?

2013年08月04日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
「人類の原初感情は二つあると、と言われています。一つが「好き嫌いの感情」、もう一つが「怖い怖くない」です。私達現代の人類が、誕生した頃のお話です。アフリカで猿か、人間か、未だ明確でない頃、長い長い時間の流れの中から「ホモサピエンス」が生まれてきます。ネアンデルタールかホモサピエンスか、はっきりしない時代を経て、今の人類が誕生した話は専門書を楽しんで下さい。さて心理療法の学問としての理論で、とても大事な対処方法があります。入院患者さんが退院していく時の、共通の精神現象は入院前の混沌とした感情、特に「好きか、嫌いか」という感情の領域において、倫理道徳を離れて、非常に正直に「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」と何の恐れも無く言い切る態度が入院前と退院する時の相違点です。優しい人、何らかの厳しい人生観を所持している人、宗教的な教え、それぞれの考え方の何かが、好きになつてはいけないものを好きになった自分が許せない、嫌うべきでないものを嫌いになる自分を咎める事例等、五感と体感に正直になれない人生上の色々の事情を冷静に眺められない事例の場合に、感情生活は実に混沌としてきます。倫理道徳も大事ですが、精神病棟に入院するくらい自分を虐める思想は危険です。全知全能で愛である神様は宇宙の創造者でもあります。何が起きようとびくともしない方、それが神様ですので、堂々と、好き嫌いの感情だけは、意識化しておかないと、人はどんどんおかしくなります。嫌いなもの、それが人、職場、職業、民族、文化、親、夫婦、友人、知人、何であろうと、乗り越える前提は先ずは、好きか、嫌いかを明確にする勇気かもしれません。暫く、この大問題について思索していきます。嫌いなものを好き、なんて意識していると人は必ず心を病んでいくか、生き甲斐を喪失していきますので、口にする必要もないので、心の奥深い領域では、正直に、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と明確に意識化しる日々を送る修行が必要なようです。この感情の明確化、という理論を知らないと、何をしても駄目です。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 105>


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その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。


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