先週,小学校4年の長女が,首をかしげて困った表情していました.
どうしたの?と聞くと,「宿題ができない」とのこと.
で,その宿題とは?
「宝物」という題の作文だそうです.
「私の宝物って何?」と親に聞くしまつです.
「たまごっちも飽きてきたし,テレビゲームはやらせてもらえないし,宝物なんてないよ!」
とのこと.
この飽食の時代,ほしい物はたいてい何でも手に入る時代だからこその悩みですね.
何でも手に入るということは,誰でも手に入るということですね.つまり,自分だけの,とか二人だけの思いがこもったものとかが手に入れ難いということなのでしょう.
思い出の写真といっても,今はjpegのデジタルデータになっていて,いつでも複製が作れますし.
「かけがえのない」という表現が死語になりそうです.
でも,そんな時代だからこそ思い出になるものを日々の生活の中で少しずつでいいから,残して行けないものかなあと思う今日この頃です.
どうしたの?と聞くと,「宿題ができない」とのこと.
で,その宿題とは?
「宝物」という題の作文だそうです.
「私の宝物って何?」と親に聞くしまつです.
「たまごっちも飽きてきたし,テレビゲームはやらせてもらえないし,宝物なんてないよ!」
とのこと.
この飽食の時代,ほしい物はたいてい何でも手に入る時代だからこその悩みですね.
何でも手に入るということは,誰でも手に入るということですね.つまり,自分だけの,とか二人だけの思いがこもったものとかが手に入れ難いということなのでしょう.
思い出の写真といっても,今はjpegのデジタルデータになっていて,いつでも複製が作れますし.
「かけがえのない」という表現が死語になりそうです.
でも,そんな時代だからこそ思い出になるものを日々の生活の中で少しずつでいいから,残して行けないものかなあと思う今日この頃です.
私の年齢だと、やっぱり子供とか家族とかって出てくるんでしょうが、それもないわけで(爆
かけがえのないものってのは「誰か」にもらったとか「何か」のときにそこに存在したとか…
結局、宝物って「誰」とか「何」とかに関係してくるものなんでしょうかね????
そう考えると、意外にたくさんの宝物を持っているような気がするのですが、それを宝物だと思えるまでの余裕ってゆうか、経験っていうか…うまく言えませんが、まだまだです。
でも、小さいときに宝物ってのはいっぱいありましたよ!
ティッシュケースを改造して作った宝箱にはがらくたがいっぱい入ってました。
砂鉄を集める鉄だとか、自転車の部品だとか…
親が大切にしているものの似通ったものを見つけたとき、その宝箱にかくしてたような…
懐かしいですね(^^
そう考えると、宝物って、その物よりもその物に関する何かがあって初めて宝物が生まれるっていうか…
その経緯がっていうか…
う~ん難しい…
でも、その時、その年代での宝物って全く違いますよね(^^
ごめんなさい…コメントになってないですね(^^;
とにかく、私もいつかこれが私の宝物だってものを持ちたいものです♪
お後、勝手によろしいようで(笑
人間って年を重ねるほど,思い出は増えるはずなのに,心の中の宝物は逆に減っていくような気がするんですよ.
というか,宝物を宝物と感じる心の余裕をだんだん失っていくのかなあと,思ったりします.
今日は妙に湿っぽい雰囲気になりましたが,たまにはこんな日もありますよね.