現存する天守は全国に12しかないそうだ。コレクションするつもりがなくても、狭い日本国内に12しかないんじゃ大体いつのまにやら訪ねてしまっている。弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城……ん? 備中松山城というのは行ったことない。
そんなわけで現存する天守のうちで標高が最も高く、アクセスが悪い唯一の山城で、ロープウェイもエスカレーターもエレベーターも何もない備中松山城に歩いて登る。天下人にふさわしい安土城をつくるとき織田信長が発明したという天守は、それから誰も彼も真似たので江戸時代の初めまで約半世紀のうちに大小3000ほど築かれた。せめて100ぐらい残ってたら、諦めてこんなところまで来ないのに。
中太鼓の丸から高梁のまちを見晴らす。高梁はむかし松山といった。明治になって、ほかに松山があるから改名せよと政府にいわれて高梁になった。松山城まで高梁城にされなかったのは不幸中の幸い。ところで、中太鼓の丸というのは非常時の連絡用に太鼓がここにあったから。下太鼓の丸と連携して本丸に急を告げる場所。きっと上にも太鼓があった。
みえてきた上の城郭。かたわらのパネルになにか書いてある。なんの解説かと思って近づいたら、N H Kの大河ドラマのロケ地として備中松山城が使われたっていう解説パネルだった。
『真田丸』(2016)は大阪城の出丸なのにロケ地として山の上の城が使われていたなんて……まったく思いもしなかったけど、いわれてみれば見覚えがあるような気がしなくもない。大河ドラマのロケも場所をさがすの大変なんだろうな。だいたい馬で大軍が合戦するロケなんて撮れる場所もうなさそう。
備中松山城の本丸は標高430m。天守は二層二階だけど三層にみえるようにデザインしてある。戦国時代から後だけでも城主がころころ変わっており、三村家、毛利家、小堀家、池田家、水野家、水谷家、浅野家、安藤家、石川家、板倉家とつぎつぎに城主を変えて、いまは猫のさんじゅーろーに乗っ取られて数年。
赤坂自民亭で安倍総理が選挙対策の酒宴を繰り広げて豪雨対策が放置され、甚大災害の被害が拡大した西日本豪雨災害(2018)のとき、山を彷徨い歩いて備中松山城に取り憑いて城主におさまった。その年の11月に城を抜け出したが、19日後に家臣らの元へ戻り、再び12月に正式な城主となった。
城主のおなりー。毎日10時と14時に城内を見回るのが日課で、城主が出てくると観光客が喜んでカメラを向ける。さんじゅーろーもどうやら満更でもない様子で、声も出さずに(ニャアとも鳴かないで)撮影されるがまま。
山城は登るのが大変だから、戦争がない江戸時代になると城主がほとんど来なくなり、天主に姿を見せるのは年に3回ぐらいで普段は足軽が3人ばかり警備しにくるだけだった。そこ行くと当代の猫城主さんじゅーろーは毎日のように現れて下賤な観光客どもに写真を撮らせるのだから人間が出来ている。
表彰状、あなたはその愛くるしい容姿で観光客を魅了し、昨年の七月豪雨で激減した観光客数をV字回復させるなど災害からの復興と地域の活性化に大いに関係されましたので表彰します。令和元年九月三十日、岡山県備中県民局長水田健一……猫又に表彰状まで出ている。
すっかり猫ブログみたいになってしまったけど、天守に登ったら籠城戦に備えた囲炉裏が切ってあって珍しかった。炎上を心配して囲炉裏など切らない(天守で生活するつもりがない)のが普通なのに、ここの城主は一味ちがう。(猫じゃなくて人間のほうの城主)
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