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歩くことが唯一の趣味ですから。

小諸

2019-03-10 | Weblog
終点だから下りただけ。藤村の「小諸なる古城のほとり」があまりに有名だから、どんな古城か
小諸の駅を出て見に行く。駅のすぐ裏の低い土地にその古城はあった。


石垣もなくボロボロな「小諸なる古城」とやら

浅間山の火山灰が露出している……維新で廃城になった後、明治4年に北国街道を整備するとき
ここにあった石垣は運び去られて街道の縁石になり、その後ずっと火山灰の崖のまま。島崎藤村、
明治30年代にこれを「小諸なる古城」と表現したのか!


昭和59年に元より大きな石で一部復元された

あまりにボロすぎるので、石が運び去られて百年以上たった1984年になって、元々あったのより
大きな石を使って石垣の一部が復元された。そんなことしちゃ、いけないのでは?


浅間山から噴出した「焼石」でつくられた石垣

運び去られる前はこんな石垣だったのでは? 道の縁石にしやすいだろうし、持ち去りやすいし。
でも、確かなことは何もわからない。


知らないアニメの舞台に

『あの夏で待ってる』とかいうアニメの舞台になって、2012年1月から3月まで放送されたらしい。
ぜんぜん知らなかった。いまでも石垣の前にパネルが置いてあった。


関ヶ原に向かう途中、秀忠が腰を下ろしたとか

本丸も二の丸も三の丸も、跡しか残ってないけれど、小諸城は二度にわたり、真田氏を攻める
徳川氏の本拠地になった。二度目は関ヶ原の合戦に向かう徳川秀忠を真田の親子が足止め
したときの、秀忠の本陣だったから、秀忠が腰掛けたという石が置いてある。


山本勘助が常に愛用したという、鏡石もあった

のぞきこむと顔がなんとなく映る。よーく磨けば、よく映るのかもしれない。武田信玄の時代の
軍師・山本勘助。どうして毎日そんなに自分の顔をよく映したかったのだろう? 美容のためか、
それとも占いのためか?


「ありゃとうござんした」

倍賞千恵子のポスターに本人直筆らしい文字で書いてある「ありゃとうござんした」……こんな
しゃべり方だったっけ? 倍賞千恵子。


お兄ちゃんの口真似だったか!

『男はつらいよ』シリーズ40作目、1988年公開の「寅次郎サラダ記念日」のロケ地になったから
そば屋の店先にサイン入りポスターが貼ってあったということか。


純手打そば 古城軒 本日休業

いつか機会があったら『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』で確認してみよう。機会があるか
どうか定かではないけれど……ちなみに、小諸に「小諸そば」はなかった。あるわけないか。


小諸なる古城のほとりが動物園になっていた

どんな動物がいるんだろう? とりあえず、門の脇に掲示されている動物のニュースらしきものを
チェックしてみる。


お知らせ ケヅメリクガメは、寒くなったので……

ケヅメリクガメは、寒くなったのでお休みしてるみたい。そして、ライオンは体調がよくないので
お休みしてるみたい。なんか、お休みしてる動物が多い?


と思ったらこちらは、 訃報 訃報 訃報……

チョウゲンボウの「チョウちゃん」が死亡しました。 2018年12月3日 推定13歳

キエリボウシインコの「タロウ」が死亡しました。 2018年12月13日 46歳

グリーンイグアナの「ジュニア」が死亡しました。 2019年1月5日 推定17歳

ずいぶん死亡が続いているようだけど、いったい何がいるんだろう?


イヌがいた (名前はさくら)

キツネとか、テンとか、モルモットもいた。
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