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歩くことが唯一の趣味ですから。

慈恩寺

2020-10-10 | Weblog
左沢線(あてらざわせん)という盲腸線の途中の駅、寒河江で1時間あまり次の列車を待つしかなくなった。
本でも読んで時間つぶす。乗り鉄しにきたわけじゃなく、羽前高松にある寺に用がある。山形から寒河江まで
きたら左沢ゆきの乗り継ぎ列車が待ってるかと思ったのに、あてがはずれた。



ろくに調べもせずに旅するのが好きだから、1時間から1時間半待ちぐらいは覚悟してるといえなくもない。
こんなこともあろうかと、おにぎりとお茶を取り出して昼ごはんを済ませる。羽前高松の到着は昼すぎ。
無人駅の待合室で慈恩寺観光案内図をみた。郵便局のわきを通って橋を渡り、山を登れば慈恩寺だ。
これなら間違えようがない。ろくに調べずにきて正解だった。



盲腸線で山形まで戻るには、13時の列車はムリだから16時22分までこのあたりにいるしかないようだ。
ほぼ4時間……14時台、15時台の列車で帰れたらよかったのに、きっと寒河江で折り返しちゃうんだろう。



どういうわけでこの盲腸線ができたのか、さっぱりわからないけれど、大正11年(1922)に左沢線の
寒河江・左沢間が開通したときのことが待合室に掲示されていた。羽前高松駅を経由するか、それとも
寒河江と左沢を直に結ぶか大問題になったが、高松村の工藤八之助や國井門三郎ら大地主の政治力で
羽前高松を経由するルートが開通したと書いてある。そして百年後さびれた無人駅となった。



無人駅から徒歩20分の慈恩寺で、いま非公開の平安仏を拝観することができると聞いてやってきた。
山形くんだり(失敬)になぜ平安仏があるかというと、藤原摂関家の荘園を兼ねた寺だったので
そういうものがあり、都は焼けたが田舎は焼けなかったので残っているというわけだ。



もちろんGoToトラベルキャンペーンなんぞ利用せずに、徒手空拳でやってきた。二階氏らの中抜きが
気持ち悪くて使う気になれないのだった。ああ、また急坂を登らねばならない。



寺なのに瓦じゃなくて茅葺きだ。それにしても休日に古寺で秘仏を拝観するように自分がなるとは
もう完全にシニアじゃないか。案の定、他に訪ねてきてる人は足腰が弱った老人ばかり。自分も
あと10年もすれば同じようになるのだろうか。端から見れば一緒なのか? 諸行無常だから
すぐにポックリいったりして。



そうじゃないかと思ったけど「堂内撮影禁止」だから秘仏の写真はない。目にしっかり焼きつける。
とはいえ2時間も3時間も集中力は持続しないので、拝観はそこそこで切り上げて元きた道を後戻りし、
AEONマックスバリュでおやつを買って休憩コーナーで列車の時間を待つ。WAONポイント5倍デー
の音楽を、すっかり覚えてしまった。日本中どこへ行っても同じだと悟った。

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