散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

南宗寺

2017-01-15 | Weblog
南宗寺まで行かなくちゃと思って阪堺電車に乗ったら路面電車だった。堺市の援助によって均一料金で
運行してると車内に書いてあった。御陵前までガタゴト揺られていく。


御陵前の次は……

下車して駅名表示を見ると、「御陵前 次は 御陵前」と変なことが書いてある。何かの間違いなのでは。
南宗寺のほうへ歩いていく。


大小便防止に鳥居

何宗寺の角には、「町を美しく!!悪臭はいやです 大小便おことわり」の文字と一緒に、鳥居の絵が
描いてあった。ちょうど便意を催したところだけど我慢して寺の中へ。


三好長慶の銅像が

堺を支配した武将、三好長慶がこの寺を開いたということで銅像が建っていた。信長よりも20数年前に
天下統一を果たしたと紹介されているけど、それはいいすぎなのでは。


秀忠と家光がやってきた坐雲亭

南宗寺の歴史を記した「南宗寺史」には、大坂夏の陣のとき家康が茶臼山で敗れて駕籠で逃げる途中、
後藤又兵衛の槍に突かれて堺まで逃げ落ちたが、駕籠を開けてみるとすでに事切れていたので遺骸を
南宗寺に隠して後に改葬したとある。


屋根の瓦に三つ葉葵の紋がある

公には大坂夏の陣の翌年に駿府城で亡くなったことになっているが、ここ堺の南宗寺に家康の墓があり
秀忠と家光がわざわざ御成になっている。


この門の向こうには家康の墓が

床下にあった卵型の無名碑が家康の墓だということで、もうちょっと立派な墓碑が松下幸之助らによって
建てられた。はっきり「徳川家康の墓」と書いてある。


徳川家康の墓

この場所には、昭和20年に空襲で焼失するまで東照宮の拝殿があったという。そこにあらためて墓碑が
建てられたわけだ。久能山東照宮や日光東照宮より、ここが本物の東照宮だったりして。


大小便防止の鳥居もあるけど…

大坂夏の陣で豊臣方を葬り去った徳川方が、じつはこっそり自陣の大御所さまを寺に葬っていたなんて!
とんでもないスキャンダルが眠る寺を後にして、また御陵前からガタゴトと路面電車で帰った。


和歌山のパンダのデザインだった
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