散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

由比

2017-01-08 | Weblog
富士山が頭だけ出てる。天気がいいので、東海道線の由比で下りて1駅ぐらい歩く。静岡はどこかのんびり
して明るい。


由比桜えび通りをゆく

この道は旧東海道だという。2kmほど歩くと由比宿につく。桜えびは明治27年に望月平七、渡辺忠兵衛の
鯵船がうっかり網に浮樽をつけずに下ろしたら大量に引き上げられて、明治30年には由比、蒲原の160隻
の鯵船が桜えび船に変わって漁を始めたという話だ。


地震だ!津波だ!それ逃げろ

桜えび漁の由比漁港に寄る。鯵漁もしているようだ。明治27年にうっかり獲れたということは、江戸時代は
べつに桜えび食べてなかった(名物じゃなかった)。


あそこで桜えび食べてる

漁協の直売所で桜えびのかきあげとか、かきあげ丼とか、桜えびドーナツとか、そういうものをドライバーが
群がって食べてる。駅から歩いてきてるのは自分くらいかも。


桜えび見つけた?

明治27年にうっかり桜えび獲った望月平七の子孫だろうか。よっちゃんとやら、どうしてこんな悪役ロボット
みたいなのを選挙ポスターにしたんだろう? このへんが地盤なのか、やたら道端に貼ってある。


由比正雪がうまれた紺屋

よっちゃんのポスターだらけの由比宿を歩いていくと、正雪紺屋についた。慶安4年(1651)4月に徳川の
3代将軍家光が死去した後、由比正雪が浪人を集めて幕府転覆を企てた。7月29日に江戸、駿府、京都、
大阪で一斉に事を起こす予定だったのに、計画がバレて7月26日に正雪は同志と共に自刃した。


そんなことを書いた紙を配ってる

正雪は自刃する前、ある物を人に託して紺屋の敷地に埋めさせた。明治になって掘りだそうとしたところ、
手をかけた者が全員熱を出したので中止。そこに祠を立てて現在に至っているという。人に託したある物
とは何だろう? 体の一部かな? 手ぬぐいを1枚買った。


向かいに由比宿の本陣がある

本陣のすぐ前に紺屋があるってことは、そこそこ名家っぽいけど、紺屋に生まれて下剋上に間に合わず
浪人になったということだろうか。昔のことはわからない。


上から見るとこんな感じ

横一文字に旧東海道。向こう側の中央が本陣。手前の路地の左にあるのが紺屋だ。明治維新後まもなく
天皇が東京に行幸した際も、この本陣に泊まった。


そのときの建物がこれ(模型)


復元した建物がこちら

由比宿の正雪だから由比正雪……名前だけで苗字がなかったんだろうか。宿場を抜けて蒲原駅のほうへ
歩いていくと、正雪という酒を作っている蔵があった。


神沢川酒造

由比駅から宿場跡まで2kmくらい、宿場跡から蒲原駅まで2kmくらい、トータルで4kmくらいのんびり
歩いて、東海道線で帰る。


富士山が丸見えになった

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