特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

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2010-07-12 11:46:25 | Weblog
7月に入り、気温はますます上昇。
現場の臭さのみならず、自分の汗臭さにも閉口している。
それでもまだ、夜はエアコンなしで睡眠。
タイマーの壊れた安物扇風機でしのいでいる。

私は、車に乗っていても、あまりエアコンを使わないようにしている。
もちろん、猛暑が好きだからではない。
また、環境への配慮でもない。
身体を甘やかすと、結局は自分がツライ思いをするような気がするから。
ま、業務上のちょっとした訓練みたいなものだ。

大人にとってはツライ日々が続くけど、子供達には、もうじき楽しい夏休みがやってくる。
かつても私も、この時季は、夏休みへの想いが膨らませていた。
学校からの開放されることによって得られる自由感がたまらなかった。
ただ、そんな夏休みでも、楽しいことばかりではない。
“宿題”という難題がある。
しかも、それは、40日がかりでこなすように設計された膨大な量。
これが、熱くなる一方の夏気分に冷たい水を差すのである。

例年、私は、夏休みの序盤にすべての宿題を片付けて、残りは自由に遊び倒して過ごす計画を立てた。
そして、最初の一週間くらいは、いいペースで勉強。
しかし、根性と忍耐力に欠ける私が、いつまでもその気合を維持できるわけもなく・・・
そのうち、勉強することが苦痛になり、日々の勉強量も低下。
結局、当初の計画はもろくも崩れ去り、つまみ食いした状態の宿題を8月末になって慌てて片付けるハメになっていた。

私は、例年、このパターン。
学習能力が低い、忍耐力に欠ける、努力ができない、根性がない・・・
過去の自分を反省し、「今年こそは!」と気持ちを入れ直しても、結局は同じことの繰り返し。
なにもこれは、子供の時分に限ったことではない。
この性質は、その後の人生にも引きずり、今日の苦悩に至っているのである。



ゴミ部屋の片付け依頼が入った。
依頼者は男性で、大人しい感じの人物。
気恥ずかしいのか声も小さめで、何かに動揺している様子。
一方の私は、何食わぬ雰囲気を心がけながら明るく応答。
部屋の間取り、階数、ゴミの種類、家具家電類の有無、堆積高など、作業に必要な情報を収集した。

「間取りはどれくらいですか?」
「1Rです」
「床は見えてますか?」
「いえ・・・見えてません・・・」
「高さはどの程度でしょう」
「低いところで膝下くらい・・・高いところで腰ぐらいあります・・・」
「なるほど・・・だいたい想像がつきます」

「ところで、頼んだ場合、いつできますか?」
「まずは現地調査に伺って見積書をつくらないといけませんので、少なくとも2~3日後にはなります」
「ちょっと、それだと・・・」
「お急ぎですか?」
「はい・・・」
「期日が決まってるんですか?」
「はい・・・」

「お引越しの予定が近いんですか? それとも、大家さんに見つかったとかですか?」
「いえ・・・室内設備の点検がくるんです・・・」
「なるほど・・・その日時が決められているわけですね」
「そうなんです・・・」
「“その日は都合が悪い”って言われたらどうですか?」
「それが・・・“不在の場合でも合鍵を使って入る”ってことなんです・・・」
「はぁ・・・そういうことですか・・・」

「点検の業者は驚くと思うんです・・・」
「まぁ、大家さんにも連絡するでしょうね・・・」
「はい・・・」
「そしたら、“すぐ片付けろ!”ってことにはなるでしょうね・・・」
「はい・・・
「場合によっては、それだけじゃ済まないかもしれませんね・・・」
「はい・・・」

「ところで、点検業者が来るのはいつなんですか?」
「明後日です・・・」
「明後日!?」
「はい・・・」
「二日後ですか!?」
「はい・・・」
「その日には片付いてないとマズイんですよね!?」

「無理ですか?」
「イヤ・・・現地を見てないんで、何とも言えませんけど・・・」
「・・・」
「作業に使えるのは、明日一日だけですかぁ・・・」
「そうなんです・・・」
「ま、ここで話してても仕方がないんで、とりあえず、今日中に現地調査に伺いますよ」
「よろしくお願いします」

到着したところは、部屋数の少ない小規模マンション。
単身者向けの建物のようで、全室1Rのよう。
上がりこんだ男性の部屋は、私が想像してきた通りの光景。
ありとあらゆる生活ゴミが床を覆い尽くし、結構な高さに山積。
更に、ゴミ部屋特有の異臭が充満。
男性の表情には、気恥ずかしさと切羽詰った緊張感が混在。
その緊張と動揺を隠そうとしてか、私とは視線を合わせず。
更に、「すいません・・・すいません・・・」と、謝る必要もないのにペコペコと頭を下げた。

ゴミ部屋の片付けって、基本的に作業の難易度は低い。
ゴミを撤去処分するだけの、単純な作業だ。
しかし、使える時間が短い場合やゴミの量が多い場合、また、秘密裏に行わなければならない場合は難易度が上がる。
このときが、まさにそう。
ゴミは一日で片付けられる程度の量で、作業環境にも特に障害となりそうなものはなし。
ただ、男性の希望は翌日の急施工。
私は、そのスケジュールに困惑。
色々と思案した結果、変更のきく他の業務を後ろに回し、更に、他部署のスタッフも動員することに。
そうすることによって、本作業は、なんとか無事に完遂できた。
そして、「ありがとうございます!ありがとうございます!」と、男性は、ペコペコと頭を下げ、礼を言ってくれた。


本件男性のように、ゴミ部屋の片付けについて、期限ギリギリになるまでアクションを起こさない人は意外と多い。
ゴミを溜めてしまったことは仕方がないにしても、もっと早く動いていればリスクや障害も軽減できたはずなのに、ギリギリに追い詰められるまで動かないのだ。
ただ、それを怪訝に思いながらも、その心情に理解できるところは大きい。
私も、気が進まないことを後回しにして、期限ギリギリに慌てることが多いから。
戦士気どりでブログを書いていたって、実際は、追い詰められて仕方なく戦っているに過ぎないから。

そんな日々に、色々なタイムリミットを抱え、色々なタイムリミットを定められ、我々は生活している。
その一つ一つに気を留め、その中で、責任や義務を果たし、制限つきの自由を楽しんでいる。
しかし、人は、その終局に“死”というタイムリミットがあることを意識しない。
“死”というタイムリミットに対しても、責任や義務があり、自由があることを理解しない。

では、“死”を前にしての責任・義務・自由とは何だろう・・・
夢を追うこと? 欲望を満たすこと? ガムシャラに生きること? 利他の精神を持つこと? 自己を犠牲にすること? 理性と良心に従うこと?
・・・様々な事柄が頭に浮かんでくる。しかし、ピンとこない。遠すぎる。
人生の真理は、もっと身近なところにあっていいはず。何気ないことでいいはず。

それは、「ごめんなさい」と「ありがとう」ではないだろうか・・・
自分のタイムリミットを想うと、その二言が想い起こされるから。
そして、「ごめんなさい」と謝罪する心と、「ありがとう」と感謝する心を、最期のときから人生に引き戻すことで、人は、自分の人生に対して、義務と責任を果たし自由を手に入れることができるのではないかと思う。

私には、来年の夏はもちろん、次の秋さえ保証されてはいない。
私だけでなく、誰もがそう。
だからこそ、一人一人が、今、自身のタイムリミットを前に課された義務と責任を果たすことが大切。
「ごめんなさい」「ありがとう」の精神を持ち、それを発することが大切。
子供のとき過ごした夏休みのように、爽快に・愉快に・自由に生きるために。



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