特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ウ○コ男Ⅱ

2010-04-18 11:57:54 | Weblog
今もあると思うけど、私が小中学校の時分、“身体検査”なるものがあった。
身長・体重をはじめ、視力・色覚・聴力などを測るのだ。
私は、子供の頃から視覚も聴覚も良好。
視力は、加齢にともなって衰えてはいるものの、今でも両眼1.0(調子のいいときは1.5くらい)は維持している。
人として、見なくてはならないものがいまいち見えない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。
聴覚も、右耳に若干の難聴を抱えているものの、日常生活や仕事に支障がないレベル。
人として、聞かなくてはならないことがいまいち聞こえない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。

視覚・聴覚とくれば、触覚・味覚・嗅覚と続くが、後者は身体検査になかった。
それらからも、隠れた病気や健康状態が把握できると思われるのに、その術は用意されていなかった。
感覚のレベルを数値化しにくいからだろう。
それだけ、“ニオイ”ってやつは、デリケートかつ複雑。
“いい匂い”と“悪い臭い”は表裏一体・紙一重。
香水の匂いだって濃すぎれば悪臭になるし、食べ物の匂いも、その濃度によっては不快臭となる。

特殊清掃は、臭気(悪臭)を相手にしなければならない仕事でもある。
場合によっては、“腐乱死体のニオイがする人間”なんてことにもなる。
しかし、そんな環境に長年いても、肉体に“染み付く”ということはない。
よく、“悪臭は長年のうちに身体に染み付いて、風呂に入っても落ちない”・・・“悪臭が、その人固有の体臭になる”みたいに思われがちだけど、そんなことはない。
洗えば落ちる。簡単に。
逆に言うと、洗わないと落ちない。
だから、風呂に入るまでの間は、店に寄ったり誰かと会ったりできないわけ。

作業服のニオイは、着替えれば片付く。
手や顔も、洗うか拭けばほぼOK。
厄介なのは、頭髪。
頭髪は、出先で洗えないし、拭ききれるものではないから。
結果、頭上からプンプンと悪臭を放つ、“ウ○コ男”になってしまうのである。

あくまで自己判断だが、私の場合、その嗅覚は平均的なレベルだと思う。
ズバ抜けて敏感でもないし、人並みに及ばないくらい鈍感でもないと思っている。
しかし、そんな嗅覚が鈍化するときがある。
一つは、“慣れ”。
同じような経験を持つ人は多いと思うけど、同じニオイを嗅ぎ続けていると、そのニオイがわからなくなってくるのだ。いい匂いでも、悪い臭いでも。
もう一つは、自分の体臭。
一時的に付着した腐乱臭はわかるけど、いわゆる、“加齢臭”というヤツは、自分でわかりづらい。
どこからどう見ても“お兄さん”・・・じゃなく“おじさん”の私は、加齢臭があって当然なのだろうが、自分では、それを感じないのだ。
臭気相手の仕事をしているのに、何とも御粗末な有様である。


“自分のことなのに、自分ではよくわからないこと”って体臭ばかりではない。
自分の長所もそうではないだろうか。
自分の短所は、嫌気がさすほどわかるのに、長所にいたってはなんとなく程度にしか認識できない・・・
自分のダメなところばかりに気がいき、結果、自分に“ダメ人間”の烙印を押す・・・
自分を含め、そんな底なし沼にハマッてる人が多いような気がする。

ちなみに、私の短所(ほんの一部)を列挙してみると・・・
(※無駄な行数が増え、かつ自分が惨めになるため、身体的な短所は除外)
猜疑心が強く、何事も斜めから見るクセがある。
口から出る言葉は、愚痴や弱音や人の悪口が大半。
気が短く、苛立ちやすい。
神経質な性格で、細かいところまで気になる。
何事も悲観的に捉え、発想の起点はいつもマイナス。
努力が嫌いで、自分の不遇を他人のせいにしがち。
忍耐力がなく、楽な道ばかりを探している。
愚痴っぽく、弱音ばかり吐いている。
根性がなく、何事に対しても弱腰。
理性を欲望が支配している。
臆病で、チャレンジ精神に欠ける。
内向的で暗い。
人に厳しく自分に優しい。
利己主義、自己中心、ワガママetc・・・
人に対して、良心どころか悪い思いばかりを抱き、親切にするどころか親切にされないことに不満ばかりを抱き、同情心は薄っぺらく、慈愛の精神よりも自愛の精神の方が旺盛。
・・・と、短所は尽きない。
ブログでは偉そうな理想論を展開しているけど、実態はその程度なのである。

では、長所はどうだろうか・・・
仕事はちゃんとやっている。
社会的な義務は果たしている。
人に迷惑をかけないように心がけている。
それなりの責任感と使命感は持っている。
・・・って、いくつかは挙がるけど、これって“長所”と言えるものだろうか・・・どうも“長所”という感じがしない。
“長所”って、もっと性格や性質に近いところにあるものを指すのではないかと思う。

そんなことを考えているうちに、あることに気がついた。
自分の長所がわからない私の長所とは、“自分の短所がわかること”なのではないかと・・・
つまり、“自分の短所を短所として理解していることが、自分の長所”ということ。
更に、考えを進めていくと、“自分には、自分が知る短所の分だけ、自分が知らない長所がある”というところに至った。
結果、“こんな私にも、結構な長所がある”という結論が導き出された。
算数や数学では習わない方程式だけど、そう考えると、沈む一方の気分が浮きはじめ、良い意味での開き直りにも似た気持ちの軽さを覚えるのである。


世の中、鼻につくことは多い。鼻につく人間も多い。
自分の短所が鼻につくこともある。
しかし、そこで気分を沈めてばかりいては能がない。
ここに大切なことがある。
“鼻につく”のは、臭覚が機能している証拠。
それは、悪臭を遠ざけ、芳香に向かうチャンスを与えてくれる。
更には、自分が、自分に対して・人に対して・社会に対して芳しい香りを放つ存在になれるかもしれない。
そして、それは、その人の大きな長所となり、人生に収穫をもたらす種になるのではないかと思う。
自分に誇れる種に・・・

ブログに好感を持ってくれる人がいるからといって、 “自分は、人や社会に良い匂いを放つことができている”と驕ってはいけない。
ブログに肯定的なコメントをもらうからといって“自分は、人や社会に芳しい香りを放つことができている”と高ぶってはいけない。
ブログに理想論が書けるのも、私に短所が多いから・・・
理想と現実、理想と実態のギャップが大きいから・・・
私は、よくも悪くも“ウ○コ男”・・・真の芳香は醸せない者なのである。
ただ、この仕事が私の宿命なら、いつかは、“たまには良い匂いのするウ○コ男”くらいにはなってみたい・・・
・・・それを志す生き方も悪くないと思っている。

そして、今、こうして不快臭(理想論・偽善性)を放ちながらも、もう一人の自分と読み手の誰かが、その中にあるかもしれない芳香を嗅ぎ分けてくれれば幸いだと思っている。








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