雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

千代紙のひらひら踊る可愛くて少女は好きなものだけ食べる

2014-01-27 13:50:46 | Weblog


 冬の陽ざしに。


 何ということもない、つぶやき。ちいさい女の子はほんとうに可愛い。

 色々な千代紙をぱらりとうち拡げたかのような、童女の世界。

 
 五歳くらいの女の子の無邪気にながめた世界を、いつか小説で書きたい。



 で、さて



 色について少しお話しましょうか。


 色彩調和は、人間関係に似ている。


 前回、色には、色相、明暗、彩度の三要素があると書きました。

 ひとつひとつの色は、はっきり言うと、単独ではよしあしは定められない。ただ好き嫌いがあるだけ。

 赤は好きだけど黄色はちょっとね、とか緑でも明るい緑が好きで、どんよりした緑はいや、とか、これは主観にのみ左右される。


 だから、もちろん好き嫌いは他人がどうこう評価する筋ではありません。


 二色以上の色を組み合わせるとき、調和、不調和のスケールが現れます。

 音と同じです。いっぺんに複数の音を鳴らしたときに、それが澄んだ和音になるか、不協和音になるか。


 おおまかなことを書きますね。

 調和には三種類あります。


1)色相同一の中で、明暗の度合が調和する。

 青ならば青の明暗ヴァリエーションのみ。すなわち同一色のグラデーション、和様なら裾濃または裾ぼかしと言えます。

 人間関係なら、似たもの同士、というところかしら。これが一番生理的に目に快い調和。見ていて気持ちがいいのですね。

2)色相の対比。補色の調和です。これはわかりやすいでしょう。赤と緑、黄色と青。
  
 目に鮮やかで、はっとするので、広告などで注目されたいときは補色を使うのがいい。ルイス・チェスキンは、資本主義原則に忠実だから、ずばり「色は補色で使うべき」と主張している。

  ただ、わたし自身の眺めた日本や、周囲のさまざまで、衣装について補色の強烈をうまくアレンジし、品よく着こなす、あるいは騒々しくなく表現しているものは、あまりみたことがありません。
 補色でも、赤緑ほど強烈ではない黄色と青の着こなしは、かなりうまくまとまります。

  衣装で、こうした補色効果をうまくまとめられるのは、わたしの狭い見聞では、前近代の民族衣装です。日本では王朝の俗に十二単の重色目の調和。後述することもあろうと思いますが、このかさねの色目は、マンセル、チェスキンの色彩学において、完全な調和を実現しています。


 人と人とのかかわりになぞらえるなら、反対気質の者どうしは「補いあって」うまがあう、というところでしょうか。


3)類似の調和。
 
 これは同一と対比のあわいで、曖昧ではなく、ほどよい間隔を隔てて似通った色の調和。たとえば、わたしの好きな調和なら、紫とピンク。もちろんあまり濃くないクロマ(彩度)で、です。そのほか黄緑と青なども。

 色相間の距離が、あまりに近すぎると曖昧になり、それぞれの色の印象が混然として、美しさ(つまり視覚の快感)の効果が低くなります。



 この三種類の調和は、明度、彩度、それぞれのスケールのなかで一定の数値(音階)を守って、さまざまに展開できます。


 わたしの浅い勉強の範囲で知るかぎり、平安装束から近代に続く和服の着付け、いろどりは、もっとも美しい古典的(生理的欲求にかなった)調和を表現しています。




  







 
コメント
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