プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★「小豆島マラソン」来年が最後?

2018-11-22 09:30:34 | スポーツ
 小豆島マラソンが三日後に迫った今朝、妻が「来年40回の節目を最後にしようかな」と、ポツリと言ったのを聞き、内心、ほっとした。

 起伏が多く、苦手なコースだったし、加齢とともに重荷になっていたので、ここ数年、今回が最後?と思いながら付き合っていたからだ。

 10年連続(通算12回)参加した千歳マラソンも、昨年、同じ理由で最後になった。

 走る意欲は、依然として健在なので、「制限時間がゆるくて、フラットなコース」探しが今後の大会選びの基準になりそうだ。
 
 
★小豆島マラソン:これが最後?
 これから、来年の春までが本格的なマラソン・シーズンだというのに、11月の最終日曜日に開催される小豆島でのロードレースを一年の走りおさめにするようになって、11年目になる。 1......

★小豆島マラソン迫る!

2018-11-21 09:25:18 | スポーツ
 11月25日に開催される第39回小豆島マラソンのゼッケン類が届き、今年最後のレースということもあって、気持ちが高揚してきた。

 昨年の今頃は、体調不良で不安な心理状態だったことを考えると、雲泥の差で、心浮き立っている。

 今年は、アフターレースの楽しみへの期待が大きいのも体調が良いおかげ。小豆島ソーメンとオリーブ料理を味わい、岡山の稀少ワイン、雄琴温泉・比叡山坂本の紅葉見物で締めくくる。

  好事魔多しというので、不用意なケガに注意し、昨年のタイムを1秒でも短縮してゴールしたい。
★崩れは易く成るは難し
 小豆島マラソンまで、1週間を切ったが、長期ブランクの穴埋めは、思うように捗らない。 10㎞なので、何度か練習すれば、レースに間に合うまでに復調できるだろうと思っていたのは、拙......

★ドライバーに甘い日本

2018-11-20 09:30:33 | 日記・エッセイ・コラム
 日本社会全体に言えることだが、ルールを無視しても悪質で無ければ注意で済ます傾向がある。

 とりわけ、人命にかかわる車の運転に関するルール違反は、マナーの悪さで片付けず、法に基づき、厳罰に処すことを躊躇してはならない。

 外国人が日本を好きという背景には、自国で許されない行為が大目に見られる気楽さがあるのではないかとさえ、勘ぐっている。

 この偏屈じじぃは、ゴーン逮捕のニュースに接し、全く、次元の違う問題を感じている。
★ドライバーにハンディ無し
 最近、自動車事故のニュースが流れるたびに、「また、高齢ドライバーじゃないか?」と、不安に駆られ、違ったらホッとする変な習慣がついた。 事故の態様で年代層の見当がつき、ハンドル......

★日本語の難解さ

2018-11-19 08:55:23 | 旅行記
  世界で話されている言葉の種類は、7,000超といわれ、国の数をはるかに上回るので、どの言語が一番多く使われているかを正確に把握するのは難しい。

 また、その国の人口が大きく影響するので、中国やインドの言語が多くなるのが当然だが、世界共通語とされる英語を話す人数が、アメリカ国内でも100%ではない点が興味深い。

 一方、日本語の話者人口(日本の人口+外国人話者)は、約1.3億人で、人口を少し上回る数だが、日本より人口が少ないフランス(約6,700万人)やスペイン(約4,700万人)の場合、フランス語の話者数は2億人以上、スペイン語の話者数は4億人以上と多い。

 また、国連の公用語は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の六か国語に限定されており、日本語のハードルは高い。

 さて、ある言語学者によると、日常生活に必要な語彙の数は、「英語:2,600~2,700、フランス語:900~2,700」に対し、日本語は、7,000~10,000だそうだ。

 日本語の難しさは、使用する語彙の数だけでなく、漢字の音訓・平仮名・カタカナや敬称の使い方等々、多岐にわたり、豊かな表現になる。

 日本語を話せる優秀な民族が、英語を難しいと考えることは滑稽だと理解し、自信と誇りを持ちたい。

★日本人の英語力(後編):実践不足

2018-11-18 08:37:24 | 日記・エッセイ・コラム
 英語力を高めるには「実践あるのみ」と信じるにいたった私の経験談をご紹介する。

 社会人になって英語を使う機会が無く、読み・書きはある程度できても、話すのは全く自信が無かった私が、43歳の時、アメリカ企業との合同PTの一員に加わることになった。

 英会話の本を広げてみても覚えられないので、「一日一文」をマスターしようと思いついた。

 最初のケースは、郵便局で切手を買い、手紙を出すことにした。事前に、窓口で交わされる会話を想定してメモを作り、それを丸暗記して郵便局に出かけた。
 
 シドロモドロだったが、目的を達することができ、少し自信がついた。翌日、もう一度、郵便局に行った際には、メモを見ずに要件を達することが出来た。

 こうして、次はレストラン、その次はマーケットという風に場面を変えて実践を重ねるうちに、日常生活に必要な最低限の英会話が出来るようになった。

 一か月もすると、先方のマネジャーと筆談を交えながら、簡単な仕事の話が出来るようになった。

 日本とアメリカの往復生活を2年間送った後、20年経った現在、英語を使う機会が無く、元の木阿弥になり、実践と継続の重要性を痛感している。