プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★まさかの転倒!

2009-11-13 10:16:56 | スポーツ

 8日の金沢市民マラソン大会で、走友達が好タイムで走ったのに刺激され、9日午後、2時間のスロー・ジョグに出た。月末にフルを控え、走りこみのピークにするつもりもあった。

 少し走ると汗ばむほどの陽気に誘われ、いつもより快適なペースで川沿いの遊歩道へと足を踏み入れた途端、前のめりに、、、。両手で体を支えたが、勢い余って、顔面を地面に強打してしまった。

 唇に二針縫う裂傷を負い、左手は親指と人差し指しか使えないぶざまさ。不幸中の幸いと言うべきか、両膝はほんのかすり傷で済んだので、歩行に支障なし。事故から4日目の今日、唇の腫れがかなりひき、両手の痛みも薄らいできたので、キーボードを叩いてみた。

 3年ぶりの転倒事故で落ち込んでいるのに、女房は高笑い。「口の傷 インフレマスクが 役に立ち」と、自嘲気味に一句。不注意を反省。丁度良い休養になったと気を取り直し、最後の調整に励もう!


★初心に戻り、再起期す!

2009-11-09 09:11:45 | スポーツ

 昨日8日、第16回金沢市民マラソン大会が開催されたが、エントリーするかどうか踏ん切りがつかない間に期限が過ぎて参加できなかった。自宅近くの臨時駐車場から、大会場へ向かうシャトルバスを見るたびに、欠場する悔しさがこみ上げてきた。

 私がジョギングを始めようと思い立ったのは、1997年54歳の時。第4回金沢市民マラソン大会を観戦していたら、親子が手をつないで楽しそうに走る姿がまぶしく、輝いていた。「来年、この大会に出てみたい」との一心で、翌日から早速、自己流でジョグ&ウォークを始めた。

 退職後のライフステージを模索していた時だったし、さしたる趣味も持たない私には、ランニングを生活の柱にすることに抵抗感がなかった。最初、10分間の連続走すら出来なかった私が、1年後の第5回大会で、10㎞を52分09秒で完走した時の感激は忘れられない。

 以後、2002年5月から2003年8月までの中断期間を除き、ランニング・ライフが定着した。最近、疲労が残るようになり、週4回ペースを3回に落としたが、汗をかく楽しみは健在だ。過去のレースの記録を整理しながら、初心に戻り、来年の大会には何としても出場したいと思っている。


★マラソンの転機?

2009-11-05 09:49:14 | 日記・エッセイ・コラム

 何事につけても、潮時を的確にとらえるのは難しい。ランニングのような趣味の世界においても、欲目が客観的な評価を狂わせがちだ。また、その欲が無いと早く老け込んでしまうから、少々の背伸びはむしろ歓迎すべきとも思う。

 とはいえ、私たち夫婦にとって、ランニングの目的は健康管理なので、無理をしたのでは本末転倒。まさに、潮時の見極めが大切になるが、11月3日の「武生菊花マラソン」では、衰えを思い知らされた。

 自分では、それなりの走りをしていたつもりだったが、11㎞地点で、後から来たランナーが「左足を怪我でもしたんですか?」と、声をかけてきた。「精いっぱいのところです」と返したら、「私もガタガタなんですヨ」と言い残して、横をすり抜けて行った。足を引きずる後姿が、どんどん遠ざかるのを見て、私とは全く次元の違う脚力と分かった。

 左足の異常は隠しようもないが、今度は15㎞地点で、沿道の子供が「迫力ないなぁ」と正直な感想を口にした。長さん流美学上、タイムは悪くてもぶざまな走りはしたくないので、徹底的にリハビリを行い、フォームを矯正したい。「たかが走り されど走り」で、納得いくランニングは奥深い。


★第28回菊花マラソン

2009-11-04 09:14:15 | スポーツ

 11月3日午前2時、昨夜来の強風と雨音で目がさめた。「今日は棄権だな」と思いつつ、ラジオに耳を傾けまどろんでいたら、午前5時になった。

 外へ出てみると、道路は濡れていたが、雨も風も止んでいた。気温は5度で、肌を刺すように痛かったが、体がシャキッとして戦闘モードに切り替わった。昨夜、用意しておいたおでん鍋に餅を入れた朝食をすませ、6時46分発の特急「しらさぎ54号」で武生に向かった。

 不安げに車中から空を仰いでいた妻が、所々に青空を見つけ「これなら大丈夫かも」と、弾んだ声をあげた。いつもは、現地に着いてから準備するのだが、防寒対策のため、車内でレース着に着替えた。

 午前8時30分現在の気象条件は、気温7.5度、湿度71%、北北東の風2.1mと発表された。スタートまでは寒く感じるが、長距離には最適な条件だった。道中、わずかに雨が降ったが、苦にするほどではなかった。

 全体的にフラットで走り易いコースにも拘わらず、並走していた妻が14キロ地点から遅れだし、ゴール後、しばらく動けなかった。これで、2レース連続、同じ状態が続き、「もうハーフは無理かも」と弱気だった。私も同様で、ゆっくりのんびり走りを楽しむために、どうするかを再考する時期に来たようだ。ちなみに、タイムは、私が2時間15分17秒、妻が2時間22分8秒だった。


★”星の王子”が”巨星”に!

2009-11-02 09:39:25 | 日記・エッセイ・コラム

 私の好きな落語家のひとりだった三遊亭円楽さんが亡くなった。彼を注目し始めたのは、”星の王子様”をキャッチフレーズに、TV番組「笑点」で活躍し始めた昭和41年頃。

 師匠圓生が「真打昇進制度」を巡り、落語協会と対立・脱退した事件は、今では忘れ去られた感がある。が、同世代には、立川談志や古今亭志ん朝(3代目)などの個性豊かな落語家が多く、革命的な出来事だった。

 三人のうち、円楽は「円楽一門会」、談志は「立川流」を結成し、独自の世界を切り開いた。志ん朝は、既に物故したが、五代目志ん生を父に持つ落語界のサラブレッドだった。若い頃、ラジオのDJで「落語と運転はシンチョウでいきましょう」と絶叫していたのを思い出す。

 談志が高座で、ライバル心をむき出しにして、「あいつより俺の方が落語は上手いよ」と真顔で言ったのが印象深く、記憶に残っている。「立川流」は、談志の個性が浸透していて、「家元制」を採っている。組織も3コースに分かれ、実にユニークだが、そのアクの強さが災いして弟子達が定席に出れないのは残念だ。

 三遊亭楽太郎が来年3月、6代目円楽を襲名する。5代目と6代目が同じ舞台に上がる夢は消えたが、古典落語の火を絶やさず大成してt欲しいと願っている。