プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★”星の王子”が”巨星”に!

2009-11-02 09:39:25 | 日記・エッセイ・コラム

 私の好きな落語家のひとりだった三遊亭円楽さんが亡くなった。彼を注目し始めたのは、”星の王子様”をキャッチフレーズに、TV番組「笑点」で活躍し始めた昭和41年頃。

 師匠圓生が「真打昇進制度」を巡り、落語協会と対立・脱退した事件は、今では忘れ去られた感がある。が、同世代には、立川談志や古今亭志ん朝(3代目)などの個性豊かな落語家が多く、革命的な出来事だった。

 三人のうち、円楽は「円楽一門会」、談志は「立川流」を結成し、独自の世界を切り開いた。志ん朝は、既に物故したが、五代目志ん生を父に持つ落語界のサラブレッドだった。若い頃、ラジオのDJで「落語と運転はシンチョウでいきましょう」と絶叫していたのを思い出す。

 談志が高座で、ライバル心をむき出しにして、「あいつより俺の方が落語は上手いよ」と真顔で言ったのが印象深く、記憶に残っている。「立川流」は、談志の個性が浸透していて、「家元制」を採っている。組織も3コースに分かれ、実にユニークだが、そのアクの強さが災いして弟子達が定席に出れないのは残念だ。

 三遊亭楽太郎が来年3月、6代目円楽を襲名する。5代目と6代目が同じ舞台に上がる夢は消えたが、古典落語の火を絶やさず大成してt欲しいと願っている。