カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

26年ぶりの再会

2017-04-24 21:05:52 | つれづれなる想い

大学時代、毎日下宿の風呂を使わしていただいていたO君がこちらに出張してきた。

 

 

東京までは来ることがあっても、この市まではなかった。

 

 

夕方まだ明るいうちになんとか迎えにゆき、26年ぶりの再会となった。



それなりにお互い歳をとったんだろうが、やはり面影は変わらないもので、むしろ不摂生だった当時よりも、健康そうだった。



26年の空白を数時間で埋めることは無理だったが、1時半頃まで、しゃべり倒し、翌日は神社や棚田など、自分の敷地を1時間ほどかけて一周。

 

 

昼頃高速バスのターミナルまで送っていった。




全てをここに記すことはできないが、一番驚いたのは、過去の自分の行動を自分よりも覚えていたこと。それを僕自身が覚えていないこと。



彼は卒業して、僕より早く名古屋で就職。結婚して社宅に入った。その式にも出席した。その後多分僕が院生の頃だったのだろうが、ボロボロのマイカローラで遊びに行ったらしい。そのことは記憶にうっすらある。



しかしO君の口から出たのは「お前は数日間泊まっていった。朝は俺が会社に出かけて夕方まで奥さんと過ごし、また夜にはお前がいた」という話。



かねてより、自分がそんな図々しい人間だとは自認していなかったわたくし、そんなことあるはずがない。勘違いだ。僕にはそんな記憶はない。



果たして、O君帰宅後奥さまに確認。4泊していったと。はれ~。




O君が出かけたあとは洗濯など手伝ってくれたが、干したり買い物などは人の目があるのでご遠慮したと。アンビリーバブル!




なんて図々しい。→俺。1泊くらいかと思っていたが、その記憶もないとは!



 

そんな話がいくつかあって、びっくりした。

 

 

 

というか、学生アパートの共同の風呂を、毎日バイクでただで使わしてもらいに通っていたこと、それがそもそも図々しいよね。学生のノリとは言え、図々しい人でしたな。ふふん。




忘れている自分が、他人の記憶の中には生きていた。もう俺やばいって。苦笑

 

 

 

 

親父から珍しくSOSの電話が。




寝たきりになっていると。




ケアマネさんに連絡をとり、昨日見に行ってもらったが、やはりベッドとトイレの移動のみの生活となっているようだ。腰痛がきついらしい。



食べられないと言っている割には酒は飲んでいるようだが。




気になるが、今度の輸血の日に介護タクシーで行き主治医に鎮痛剤の見直しを申し出るらしいから、その結果を待とうか。



鎮痛剤と言うより心療内科かなとも思うのだが。がっちり組んだ紙相撲の夫婦だからね。僕は振り回されないように気を付けつつ、心は落ち着かない日々だ。

 

 

 

初めての背負い式の草刈り機。

 

 







斜面などは楽だと聞いていて、清水の舞台から飛び降りちゃった気持ちで大枚はたいて注文した。



使ってみたが、今のところまだ慣れず、肩や首がすごい痛いんですけど。






タケノコ20本ほど掘ってご近所にも何軒が配る。

 

 





瓶詰めにも4本。

 

 

 

あちこち草刈り開始。


 

 

 

 

 

山菜だらけの朝餉。



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