以前も書いたけれど、うちの横の農道(舗装されていない)を通る車が気になってしまう。
ここ5年ほど、この農道の先で家を自分で建てている方がいて、この人が3日にあけずやってくる。いったい何に手間取っているのかまだまだかかりそう。
ここ数年はこの人が来る日が苦痛だ。元商社マンらしい。船橋在住。
話したこともあるが、腰も低いし大人しそうな人。
今日も一日この人の車や、それに関連した大工さんらしき人の車などにとらわれていた。
道路を通って何が悪い、と自分でも思うけれど、まだ田んぼの時期でもなく、この人がうちの先に家なんて建て始めさえしなかったら、一年のうちで半分は静かなのになぁと思うと、腹立たしい。
農道の真横に教室があるから、余計にそう思うんだろうね。
授業の邪魔というよりは、むしろ「どうせ生徒なんか来ていないから皆が気楽に通るんだ」というような思いこみかな。
(最近は田んぼ作りをやめたのであまり来ないのだが)以前は農道を隔てたうちの前に、農機具小屋を持っているおじいさんが、時々突然シャッターを開けるのが嫌で、それがきっかけかなと思う。
このおじいさんのことも何年も毎日毎日とらわれていたなぁ。
朝目が覚めると、そろそろそのおじいさんが田んぼの水を見にやってくるのではないか、などとドキドキしてもう眠れなくなった。
どこかで車のドアのバタンという音が聞こえると(僕この音大嫌い)、確認のために起き出して行ったり。
その頃から農道を通る車があるたびに、誰の車か確認するようになった。(農道側に窓のない)教室で勉強しているときは、(車が通ると)走って窓のあるお茶の間まで走ってナンバーを確認する。
こいけが、お茶の間にいるときは、何番だった?と教えてもらう。
よく通る人の車は、ナンバーで覚えているので、顔をいちいち確認する必要はないのだ。
こいけがテレビに夢中になっていて、「番号よく見えなかった」なんて言うと怒ったりもした。
(農道の先は)田んぼしかなく、道も一本なので、行った車は必ずまた帰ってくる。最後の車が帰ったことを確認して、やっと安心して夜を迎えられるのだ。
似たようなことを以前も書いたことがあったと思う。
今回は意図的に「確認」という言葉を使ってみたのだが・・・・
これって強迫神経症(OCD)の「確認行為」だよなぁと改めて気づいた。
昨年以来、音に過敏になって強迫観念が悪化して(今も少しあるのだけど)ということがあって、姉崎のクリニックで(明確な強迫行為のない)強迫神経症だと、診断されてショックを受けたけれど・・・・
(気にしすぎという医者もいた)
HPにもあるように、強迫的完璧主義だとは認識していたけれど・・・・
どうも、元々かなり強迫神経症的部分はあるぞと、思い始めた。
ぼちぼち、変な自分、について書いていこうと思う。