気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2005-07-18 18:41:43 | 朝日歌壇
沙羅双樹の花の静かに咲く寺に郵便バイクが登って来たり
(浜松市 桑原元義)

戦争を知らないなんて言わないで戦争だらけの世界じゃないの
(江別市 成田強)

話半分わかればよろし耳遠き二人がひとりのような残生
(新発田市 和田桃)

夫もまだ知らぬ白髪を染めながら鏡に秘密とじこめてゆく
(東京都 宮田礼子)

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一首目。沙羅双樹は夏椿とも言うらしい。さわやかな一首。
二首目。あたりまえのことだが「戦争を知らない・・・・」という常套句の奇妙さを鋭く指摘している。
三首目。お名前からして女性のようだが、何歳くらいになるとこういう境地に達するのだろうか。
四首目。こちらはまだ色気も配慮もあってよい。お互いに見たくないのかも。

短歌の骨法は、一番言いたいことを言わないことだと、常々聞いている。
言うべきことはずばっと短く。日常でも心がけているのだが・・・

とりあへず言ふべきことは言つておく「聞いてない」とは言はせないため
(近藤かすみ)

「母さん」と

2005-07-17 12:51:10 | つれづれ
「母さん」と庭に呼ばれぬ青葉濃き頃はわたしも呼びたきものを

身を繋ぐ何のなければ夏穂草さやる素足の痒くてならぬ

あした、また 詩集に挟むエンピツの幻の青そらを裂きたり

触れるときいつも手探る把手なり子を蔵(しま)うドアわが出づるドア

(佐伯裕子 あした、また 河出書房新社)

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母さんと呼ばれるようになっても、なったからこそ、母さんである作者はそのお母さんを呼んで甘えたくなる。よくわかる心情。母と娘は牽制しあい、反発しあっても、最後はお互いを思うのだろう。(画像は下鴨神社 糺の森)

われに血を授けし母の命日の夜にひとり観る雷蔵シネマ
(近藤かすみ 題詠マラソン2004) 


題詠マラソン2005(16~20)

2005-07-16 23:43:31 | 題詠マラソン2005
016:たそがれ
病院の環境ビデオに切りとられハワイの浜辺はたそがれてゆく

017:陸
海風が凪いで陸風になることの仕組み教へし岩波映画

018:教室
教室の窓辺にをりしは佐野朋子うはさに高き座敷わらしの

019:アラビア
アラビアの糊のほのかな甘さまでみんな纏めて恋文を焼く

020:楽
ひとのため撓まされかたち作られて安楽与ふる役のこの椅子

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短歌バトンを回してから、身辺がにぎやかになって来た。
あす17日は祇園祭の山鉾巡行。今夜は宵山。
ようけの人出なので、遠慮して帰ってくる。
いつものぼちぼちのペースが私には合っている。
(画像は京都新聞HPより)

短歌バトン

2005-07-15 02:06:50 | つれづれ
高澤志帆さんから「短歌バトン」が回ってきました。

■質問
□ 短歌を始めたきっかけを教えてください。

京都精華大学で、短歌講座があり、岡井隆氏が講師だったこと。
同年代MLで、俳句をやる人がいたこと。

□ 好きな歌人がいれば教えてください。

小池光 香川ヒサ 奥村晃作

□ あなたの好きな短歌を3首挙げてください。

おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は(斎藤史)
倚りかかつていいのぢやないのこのベンチ不都合な事は一つづつ終る(若林のぶ)
あほらしうなつたるわれはずつたんぼ、ずつたんぼ、と挽肉こねつ(多田零)

□ あなたにとって短歌とはなんですか?

読んで「腑に落ちる」快感を味わいたい。出来れば味わって欲しい。
短歌のおかげで、もうひとりの私を手に入れました。

□ バトンを渡す3人の歌人。

久保寛容さん 吉岡生夫さん 吉浦玲子さん

蜜入りりんご

2005-07-14 13:35:35 | つれづれ
もの思う妻いかにせんほのほのと微熱に兆す眼(まなこ)をいかに

普通の母でいいと子が言うふわふわと子の言う「普通」銀の響きよ

蛍光の明りに浮かび箸をとる一夫一妻の夕べは永し

くれないの蜜入りりんご頬張ればやたすく蜜に統べられてゆく

うっすらと菜の花の黄が残りいて視界は暗し家に入るとき

(佐伯裕子 あした、また 河出書房新社)

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佐伯裕子は昭和22年生まれ。
同年に小池光、香川ヒサ、永田和宏、河野裕子、道浦母都子。

普通であるって、なんだろう。普通の母って、なんだろう。
普通は銀ほどはよいものであるが、金や白金ではない。
普通の子、普通の夫というのも、存在しないし、いても面白くないだろう。
普通の人が暮らしている場所で、あたりさわりのないご挨拶をして暮らしていくのは、けっこうしんどい。いっそ遠くへ出かけたら、のびのび出来るのだが。

「お子さんは大きくなられましたでしょ」近所の人の言葉は痛し
(近藤かすみ)

題詠マラソン2005(11~15)

2005-07-13 23:24:27 | 題詠マラソン2005
011:都
我が庵は都の丑寅花折れとその名うつくし断層のねき

012:メガホン
『花束で殴る』藤原さんのためメガホン型に咲けチューリップ

013:焦
焦げ茶色制服上下貸与されわれらゴキブリと呼びあひし日よ

014:主義
それもまた主義であらうかいまもなほ携帯電話を持たぬわたくし

015:友
義理チョコより友チョコだつてさこれからは女が女にやさしくする世

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題詠マラソン、今年も「一日に一首以上は投稿しない」という自己ルールで進行中。
口語も文語も気分次第である。ただ旧かなであることでは統一したつもり。折り返したものの、だんだん息苦しくなって来ている。深呼吸。ふ~ふ~


小鳥を売って

2005-07-12 19:16:59 | つれづれ
老人となりしわたしのマトリョシカちんとんしゃんと引っ越しをする

シゲノさんの編んだくつした湯に浮かびらっぱすいせんゆうぐれをすう

そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています

気持ち悪いから持って帰ってくれと父 色とりどりの折り鶴を見て

放たれてあなたの還るみずうみはどこまで明るくつめたいのだろう

(東直子 春原さんのリコーダー)

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自分の境涯を詠嘆する歌を好む人にとっては、生活感のない歌は、どう受け取られるのだろうか。
「そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています」
この生活感のなさ。しかし、確かにこの歌は私のこころをヒットして、ゆうべから、これが頭の中で繰り返しなっている。
それにつづいて「あなたでしたか」というフレーズを、どこかで聞いたぞ聞いたぞと気になり始める。
懸命に思い出したら、水須ゆき子さんの歌だった。

わたくしの夢にいつでも吹いてくる風があります あなたでしたか
(水須ゆき子 題詠マラソン2003)

どちらも名歌だなあ。

春原さんのリコーダー 東直子

2005-07-11 18:21:14 | つれづれ
おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て

転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

少し遅れてきた人の汗ひくまでのちんちろりんな時間が好きよ

「・・・び、びわが食べたい」六月は二十二日のまちがい電話

(東直子 春原さんのリコーダー 本阿弥書店)

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近所のブッ○オフに散歩に行って、見つけた一冊。実は3ヶ月ほど前から、ここにあるのは知っていたが、半額になっていただけだったので買わずにいた。きのう、単行本すべて500円というセールだったので、ついに購入。なぜか謹呈の栞まで入っていた。

東直子の歌は、現実味がうすい。意味を読み取れないものがあるが、それはそれで不思議感を楽しんだらいいんだろう。歌の終わりまできて、一字あけで「来て」というようなやり方は、彼女がはじめたのだろうか。ネット歌会ではよく見るやり方だ。

朝日歌壇から

2005-07-10 21:12:39 | 朝日歌壇
捨て去りて職も妻子もなき日々を夢みる夜あり多く雨の夜
(和泉市 長尾幹也)

「臆病の治し方」買えばわが顔をちらり見上げぬ書店の主人
(和泉市 長尾幹也)

パソコンに魂吸われる父よりも金魚の世話をする父が好き
(川越市 原田由美)

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一首目。高野公彦は「夢とはいえ、これは男の抱く物哀しい夢想」と評している。しかし、なんだか男の人は身勝手だ。今の時代、中年以上の女性はお金があって健康なら生き生きしている。
二首目。書店の主人がお客の買った本とお客の顔を見るというのは、失礼な話。よほど小さな店なのだろうか。それとも作者が見られたような気がしただけだろうか。本の題名を引用するなら『』を使うべきだと思う。
三首目。パソコンに魂を吸われる・・・というのは、よくわかる。別に金魚の世話などしてもらわなくてもいいが、自分のことは自分でして、家族に心配をかけないでいただきたいものだ。
それぞれ、なんらかの形で私の気持ちにひっかかった歌について書きました。

花眼の記 道浦母都子

2005-07-09 19:48:02 | つれづれ
水陽炎めぐりにあふれ草苑のベンチはしまし春の揺籃

つくづくと読めばわが歌嘆き歌 うたはたましい落下する井戸

菜の花のはじけるようにぽくぽくと永井陽子は死んでしまえり

うつくしく闇はひらきて湧水の気泡のごとき蛍火ともす

入浴も着替えも忘れ眠りたり夢のなか咲く破れ水仙

(道浦母都子 花眼の記 本阿弥書店)

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図書館で見つけた道浦母都子の本を読む。歌日記ということで、2003年の一年間の日記と歌。